八重洲の北口に日本一のビルが建てられるらしいが、東京駅周辺に行かなくなって何年か経つと八重洲北口ではどのあたりがそれなのかはっきりしない。こういう時は○○ビルのあたりと言ってもらえると親切だ。で、聞いていて思ったのは朝日生命や、たしか日本ビルとか言ったあたりかなというイメージだ。たぶんあのあたりにできるんだろう。
東京駅や霞が関周辺は20代のころによく仕事でうろうろしていた。しかし、その後の編集プロダクションや出版社勤務で、少し離れた日本橋や銀座周辺を除きほとんど縁が切れてしまった。
日曜日に大規模なデモがあったようだが、参加者の人数が違いすぎる。BBCのサイトでは数千人規模との見出しがついていた。あそこに主催者発表の人数が入るスペースがあるわけはないとすぐわかるし、60年安保からの団体の旗が林立するし、若い参加者が多いとマスコミでは強調されているが、実際はそのころからの生き残りが目立つようにも見えた。
先週いつものようにリハビリに行ったとき、時たま顔を見かけるバアサマ2人が東京新聞の記事を見ながら、ホントに腹が立つというようななことを言っていた。なんの記事かと覗くと、集団的自衛権反対の話で例によって反対一色の記事だ。それを見ながら、話しているのを聞くともなしに聞いていると(待っている席が隣なので聞きたくなくても聞こえる)安倍内閣の悪口だ。元教師とかの教育関係者らしいが、ああいうバアサマが反対派の一例かと思いながら順番を待っていた。中学生の時に不登校だったpochiは教師に良い印象がない。高校の時はそうでもなかったが、大学になるとゼミの教師が共産党の支持者で、それがわかったときはゼミに入って失敗したと思ったことを記憶している。
いじめの話で思い出したことがあった。一つは小学生の時で、一人のいじめっ子とケンカしたことがある。50年以上昔のことなので、今思えばたいしたいじめではなかったがしつこかった印象がある。それでどうにも我慢しきれずにケンカとなったのだ。帰るときに校門でいじめっ子が待っていて一緒に帰った。それを機会にいじめはなくなった。
高校生の時にクラスで髪が薄い人がいた。よくからかいの対象になっていて、その人が被っていた帽子を取り上げて、ほかの人の頭にこすりつけて「薄くなるぞ」みたいなことが行われていた。pochiの友人もよくやっていたし、その帽子がクラス中を飛び回っていた。pochiも止めるでもなく、一緒に騒いでいたと思う。いま思えば、結構ないじめである。
東京駅や霞が関周辺は20代のころによく仕事でうろうろしていた。しかし、その後の編集プロダクションや出版社勤務で、少し離れた日本橋や銀座周辺を除きほとんど縁が切れてしまった。
日曜日に大規模なデモがあったようだが、参加者の人数が違いすぎる。BBCのサイトでは数千人規模との見出しがついていた。あそこに主催者発表の人数が入るスペースがあるわけはないとすぐわかるし、60年安保からの団体の旗が林立するし、若い参加者が多いとマスコミでは強調されているが、実際はそのころからの生き残りが目立つようにも見えた。
先週いつものようにリハビリに行ったとき、時たま顔を見かけるバアサマ2人が東京新聞の記事を見ながら、ホントに腹が立つというようななことを言っていた。なんの記事かと覗くと、集団的自衛権反対の話で例によって反対一色の記事だ。それを見ながら、話しているのを聞くともなしに聞いていると(待っている席が隣なので聞きたくなくても聞こえる)安倍内閣の悪口だ。元教師とかの教育関係者らしいが、ああいうバアサマが反対派の一例かと思いながら順番を待っていた。中学生の時に不登校だったpochiは教師に良い印象がない。高校の時はそうでもなかったが、大学になるとゼミの教師が共産党の支持者で、それがわかったときはゼミに入って失敗したと思ったことを記憶している。
いじめの話で思い出したことがあった。一つは小学生の時で、一人のいじめっ子とケンカしたことがある。50年以上昔のことなので、今思えばたいしたいじめではなかったがしつこかった印象がある。それでどうにも我慢しきれずにケンカとなったのだ。帰るときに校門でいじめっ子が待っていて一緒に帰った。それを機会にいじめはなくなった。
高校生の時にクラスで髪が薄い人がいた。よくからかいの対象になっていて、その人が被っていた帽子を取り上げて、ほかの人の頭にこすりつけて「薄くなるぞ」みたいなことが行われていた。pochiの友人もよくやっていたし、その帽子がクラス中を飛び回っていた。pochiも止めるでもなく、一緒に騒いでいたと思う。いま思えば、結構ないじめである。