今頃になると、戦争の話がやたらと目につく。それも、悲惨な戦争を語り継ぐなどというテーマが多いようだ。
そういうのを見るたびに、pochiは本当だろうか?という気がしてならない。
戦争が悲惨でないとは言わない。しかし、見たり聞いたりしていると、なんだか通り一片のどこかで聞いたような話ばかりなのだ。それだけが戦争だろうかという気がしてならない。
昨年末、母は89歳で亡くなった。母に聞いたところによると、ミッドウェー海戦に敗れるまではそんなに悲惨ということではなかったらしい。
我が家は祖父と祖母、母と妹の4人家族で暮らしており、祖父は公務員、祖母は専業主婦、母は専門学校の教師、叔母は女学校に通っていた。小さな子供がいないので配給になってもさほど困らなかったらしい。
タバコなどは吸うのが祖父だけにも関わらず、4人分が支給されたという。
ただし、甘いものがなく、大福だか饅頭が売り出されると言うので市ヶ谷の餅菓子屋に並んだという話は聞いた。それまで母は甘いものが好きではなかったらしいが、戦争中から食べるようになったという。
空襲が始まると高台にある学校から下町が焼けるのを見ていたという。ゆうゆうと飛んでいるb29の銀色の機体を見て戦争に負けるなという話を同僚としていたらしい。生徒を連れて品川の沖電気の工場に通っていたらしいが、戦闘機の機銃掃射などがあると先生怖いという生徒たちを抱えておろおろしていたという。
叔母も海軍省に働きに行き、そこで食事の時に出たパンは現在のパン(昭和50年ころ)よりも白かったという話が印象的だった。海軍省は海軍軍人だった伯父の口利きだったらしい。この伯父は海軍兵学校機関科を出て日露戦争では戦艦敷島?の乗組員だったという。なお、父は関東軍の兵隊として中国におり、敗戦とともにシベリアに抑留され、日本に帰還してから母と結婚した。
その母はボケる前は戦争中よりも現在の方が大変だという話をよくしていた。
pochiはb29がきれいだったという話を母以外の人から聞いたことがない。他にもそう思った人はいたかもしれないが、そういう意見は伝わっていない。もっと、戦争をとりまく多くの意見が出ないと真の戦争を知ることにはならないと考えるpochiである。
そういうのを見るたびに、pochiは本当だろうか?という気がしてならない。
戦争が悲惨でないとは言わない。しかし、見たり聞いたりしていると、なんだか通り一片のどこかで聞いたような話ばかりなのだ。それだけが戦争だろうかという気がしてならない。
昨年末、母は89歳で亡くなった。母に聞いたところによると、ミッドウェー海戦に敗れるまではそんなに悲惨ということではなかったらしい。
我が家は祖父と祖母、母と妹の4人家族で暮らしており、祖父は公務員、祖母は専業主婦、母は専門学校の教師、叔母は女学校に通っていた。小さな子供がいないので配給になってもさほど困らなかったらしい。
タバコなどは吸うのが祖父だけにも関わらず、4人分が支給されたという。
ただし、甘いものがなく、大福だか饅頭が売り出されると言うので市ヶ谷の餅菓子屋に並んだという話は聞いた。それまで母は甘いものが好きではなかったらしいが、戦争中から食べるようになったという。
空襲が始まると高台にある学校から下町が焼けるのを見ていたという。ゆうゆうと飛んでいるb29の銀色の機体を見て戦争に負けるなという話を同僚としていたらしい。生徒を連れて品川の沖電気の工場に通っていたらしいが、戦闘機の機銃掃射などがあると先生怖いという生徒たちを抱えておろおろしていたという。
叔母も海軍省に働きに行き、そこで食事の時に出たパンは現在のパン(昭和50年ころ)よりも白かったという話が印象的だった。海軍省は海軍軍人だった伯父の口利きだったらしい。この伯父は海軍兵学校機関科を出て日露戦争では戦艦敷島?の乗組員だったという。なお、父は関東軍の兵隊として中国におり、敗戦とともにシベリアに抑留され、日本に帰還してから母と結婚した。
その母はボケる前は戦争中よりも現在の方が大変だという話をよくしていた。
pochiはb29がきれいだったという話を母以外の人から聞いたことがない。他にもそう思った人はいたかもしれないが、そういう意見は伝わっていない。もっと、戦争をとりまく多くの意見が出ないと真の戦争を知ることにはならないと考えるpochiである。