ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

花の国 ‐ イスラエル(2)

2011年11月21日 | イスラエル巡礼

 朝日の土曜版に「花をひろう」という和歌や俳句を題材にした連載がある。
 19日は「冬紅葉」と題して、“ 秋の花の観のあるモミジだが、温暖化の影響で見頃は立冬以後という名所が珍しくない ”、ちなみに今年の立冬は11月8日。“ 紅葉も遠くない将来冬の季語になるかも知れない ” とあって頷いた。

 暖冬異変といえども桜紅葉が風に舞う季節。
 一方イスラエルは、赤や紫や朱に混じって珍しい黄色のブーゲンビレアが競って咲き、真夏日に近い気温。 

 A1 A2

  ガリラヤの丘の辺り、ブーゲンビレアなどの花が咲き競っていました
  遠くガリラヤ湖を望み、その向こうはかつてヨルダン領のゴラン高原です

 ペトロ、フラッシュバックのような季節の逆行再現に上手く対応できなかったのか、巡礼中鼻がぐずぐずして困った。
 カタリナ が、巡礼前にA先生から調剤して貰っていた抗生薬を服んで凌いだ。

 そのあおりを食った?のか、復路の機中あたりから今度は彼女がおかしくなった。
持病の気管支炎に加え話す声にくぐもりがある。
 高槻の公民館恒例の文化祭の茶席もあって、帰国後すぐに大事をとりA先生に点滴を受けていた。

 B1 B2

 パレスチナ自治区の「エリコ」
 イエスは曠野で40日間の断食をしますが、その折悪魔から誘惑を受けます
 イエスは悪魔に、「人はパンだけで生きるにあらず」と答えた誘惑の山があります
 
パレスチナ自治区の「ベツレヘム」、ここでイエスが生まれました
 
旧約聖書に、「この地から救世主が出現する」とあります
 パレスチナ自治区に限らず、アラブ人居住区は雑然としていました

 日曜の午後、“ 110人にお茶を差し上げました。120人分用意していてよかった。10時前に予約が50人を超えて急遽40分繰り上げて楽しんで頂きました ” との携帯メールが届き、夕刻、「ただいまと明るい声で帰宅。
 チーム高槻の仲間の皆さん上首尾のうえ、自身の体調も良かったらしく安心した次第。

 それに引き替えペトロ、往路も復路も深夜便でさほど影響がない筈の時差ボケになったのか、生来の天然ボケなのか判らないが、小康を得ていた風邪がぶり返し、薬を飲むための水代わりにアリナミンAのドリンク剤片手にミサに参列するお粗末君。

 今度の巡礼、上げ膳据え膳ポーター付きで楽だったのだが、対人ストレスの耐性がないことを自ら証明した?

 C1 C2

  イスラム教の聖地「神殿の丘」から場外に出たところ、緑豊かな新市街が望めます
 
「ヤド・ヴァシェム = 記念と記憶」の中の一施設「ホロコースト・メモリアル」
 人間はどこまで残虐になれるのかを改めて考えさせられました
 そのメモリアルのバルコニーから望むエルサレム郊外です

 ところで、現代イスラエルは数次のアリヤー、ヘブライ語で「上がる」の意でシオン=エルサレムへの帰還のことだそうだ。を経て1948年に建国された若い国。
 それまでは岩と土塊の曠野だったが今は緑が繁り、「春になれば野山は花で覆われ、それは息をのむほど美しい」とガイドさんは話し、「その殆どは、建国後にユダヤ人が植栽したものだ」と胸を張る。
 パレスチナ自治区などに入ればその違いは際立ち、ユダヤ人の明敏さと勤勉さが理解できるのである。

 ミサへの道すがら、夙川公園の桜紅葉がはらはらと散る景色を眺めながら、温暖化で季節感が失われつつあるものの、そういう意味では日本は恵まれた国だということを改めて思った。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.402

 ※ イスラエル巡礼、前回の《美しき国》へは、<コチラ>からお入り下さい。

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