もう少し、毅然・・・と、できると思っていた。
が、悲しいものは悲しい、本を読んでもDVDを借りて映画を見ても、酒を飲んでも街を歩いても、独りでいると如何(いっか)な心は晴れなず、何時まで経っても恥ずかしいほどだらしない自分に烏鷺たえる。
しかし、嘆き悲しんでばかりもいられない。
コメントで、「前向きに!」と励ましを受けた。きちんと祀ってやらなければ故人も迷う。
確しか仏式では、お悔やみごと弔事は三月に亘ってはいけないと言い、そんな場合には、四十五日の忌明けも約(つづ)めて三十五日で行われるとも。
であれば、十二月の中頃にも執り行わなければならず、カタリナ も主の御許で気を揉んでいることと思い気が急く。
ところが、カトリックではどのようにすれば? この手の、この手もと言うべきだろう。諸事について無知でもどかしくもある。
あれこれ考えるよりも相談するのが一番、11月も末のある日、夙川教会にU神父様を訪ねた。
仏式のような取り決めはないらしい。
が、わが国でカトリックはマイノリティ・少数派、家族、就中(なかんずく)親戚には仏教徒の方も多いことから、信徒が困らないように仏式に準じて諸事執り計らっても頂けるようだ。
それで、多く行われるのが、三十日や五十日などに、愛する人を失った悲しみから慰めと希望に代わる恵みを祈る追悼のミサ。
それとても、遣(や)りたければ遣ればいいし、遣りたくなければ遣らないでいい、要はそれぞれが故人を想い追悼すればいいのだそうだ。
で、カタリナの場合、五十日にあたるのが12月26日、降誕祭・クリスマスの翌日。
家族だけで追悼ミサ、故人へのクリスマス・プレゼントにいいと思ったのだが、幾ら何でもたった七人きりの家族だけでは寂しく可哀相。
ひとりでも多くのお仲間に、と思い歳末の慌ただしい時期は避け、年明けて1月18日の土曜日11時から夙川教会で追悼式、追悼のミサを神父様にお願いした。
年始、松が取れて直ぐでもあり恐縮しきりだが、時間が許せばカタリナを偲び祈って遣って下さればほんとうに嬉しい。
そんなこんなで師走・十二月、昨日(12/1)は待降節第一主日(日曜礼拝)、カトリックの教会暦、ひと足早く2014年が始まった。
08年待降節のウィーン、リースに4本のろうそくを立てるアドベント・クランツなどが並ぶナッシュマルクト、つまみ食いという名の食料品市場をカタリナと歩いた。
叶うことなら、もう一度手をつないで・・・。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.736
昨夜寝ながらぼんやりカタリナのこと思っていました。
カトリックではどうするのだろう?35日とか49日じゃないだろうから50日にあたるのは亡くなった日から数えて12月25日、丁度Xmasだから教会へいこうかな?
そんなことや釣り人とペトロさんの話を朝食中していました。
少しでも悲しみが癒えるには私たちに何が出来るだろう?釣りは少々寒くなったから鍋パーティーに招待しようか?昔の職場が一緒だったKさんに教会でお会いしたからご一緒に如何でしょうか?とお誘いしようか?
その直ぐあとブログ開けてびっくり!
11月14日夙川教会へ行ってきましたが
1月18日には是非行かせていただきます。
と言うのが、ブログ開く直前にカタリナが病気になり亡くなってからのペトロさんの様子を話したとき、釣り人がMちゃん(昔の愛称のまま呼んでいます)のことを 意外だったなあ・・・、もっと毅然とできるタイプと思っていた と。
私は 悲しいものは悲しいし寂しいのも時が必要かも。素直に表現できるペトロさんが同じ?(失礼)やんちゃタイプの私は理解できる。毅然とできるタイプはカタリナでしょう そんな話をしていたのです。
ペトロさんの心が少しでも癒され晴れるのをカタリナも望んでいると思います。気晴らしをどんどんみつけて元気に過ごされますように!
釣り人と釣った魚が待っています、呑みにお越し下さい。
夕方からは何時でもオッケーです。