ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ムンク 「マドンナ」

2017年09月17日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ハンブルク/ハンブルガー・クンストハレ編 (2) 中欧美術館絵画名作選 (93)

 朝方の雪が嘘のよう、束の間の日溜りのなかのハンブルグ市立美術館(上)、待降節を前にした午後ともあって鑑賞客も少なく、課外授業か小学生の一団が可愛い。

 ちなみに、円形のエントランスの奥に階段があって、途中の踊り場からふたつに別れている。
 向かって右がアルテ・マイスター、左がノイエ・マイスター、途中の小ホールでつながっている。に、なってい、そのアルテからゆっくりと館内を巡った。

 ところで、(09年)5月9日の朝日紙に、“ 傷癒えぬ 「叫び」公開 ” との見出しがあった。

 記事には “ ノルウェー・表現主義の画家エドヴァルド・ムンク(1863-1944)の代表作 「叫び」は、04年オスロ郊外のムンク美術館から、日曜日の白昼80人ほどの入館者のいる中、わずか5分の間に覆面の二人組に強奪され、2年後オスロ郊外で傷ついた姿で発見された ” とあった。

 そして、“ 修復作業にも拘らず一部の液体のシミは治せず、一緒に強奪された 「マドンナ」も木枠が壊れ、穴が開いて引っかき傷も複数あった ” とも。

さらに、“ ムンク美術館は4月24日からの特別展で、強奪された作品を傷も絵画の歴史のひとつとしてありのままの姿を公開している ” と記事は続いていた。

 ちなみにムンク、「叫び」を4点、「マドンナ」は、1892年から95年にかけて5点も描いているという。

 この記事を読んで、昨年(08年)の11月、ハンブルク市立美術館のノイエ・マイスターで 「マドンナ」(1895年/90×71cm)と対面した時のことを思い出した。

 主題は、題からして聖母マリアと誰しも思うだろうが、聖母の表現としては非常にユニークであることは間違いない。
 が、当時のムンクは宗教的寓意を描く画家でもなく、敬虔なクリスチャンでもなかったとされている。

 だとすれば、彼自身の友人でありモデルを務めたダニー・ジュエル・プリッツィーヴェスの美しさを讃える気持ちを聖母に仮託した、と単純に考えるのが妥当だと思うのだが、はてどうなんだろう?

 次号から、ハンブルガー・クンストハレが収蔵する、さほどメジャーではないがバロック期から現代までの作品を短く綴ってみたい、お付き合い頂ければ幸い。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1380

 ※ 小編は、09-05に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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