ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

涅槃会と復活祭 ‐ 3月がゆく

2013年03月30日 | 季節/暦

 本業のみならず、俳句、短歌、オペラ、新作能などの分野でも活動されている詩人の高橋睦郎さん。
 これまでにも氏の博識振りを拝借してきたが、過日の朝日(3/23)、氏の 「季をひろう」のテーマが 「涅槃会」、読まれた方も多いと思う。

 少し長いので意を損なわない程に端折れば、“ もともと涅槃とはサンスクリット語の火を吹き消すこと、または吹き消された状態を意味するニルヴァーナの音に漢字を当てたといい、人間の苦の本質である煩悩の火を焼きつくして知恵が完成する悟りの境地をさした ” と書く。

 A_kobusiそして、“ 生命論的にいえば、永遠の苦の巡還である輪廻の輪から脱落し、まったき無となりおおせること。釈尊の説法の原点はそこにあったかと思われる。そういう生命観に達した最高最大の覚者である釈尊の死の日だから、仏教者の理想であるニルヴァーナ = 涅槃を当てて涅槃会(ねはんえ)というのだろう ” と続ける。

 さらに氏は、“ サンスクリット仏典を原典に仰ぐ北方仏教では古来、陰暦二月十五日を涅槃会としており、今年は三月二十六日がそれに当たり、各寺では涅槃会を営む ” と書き、その涅槃会を詠んだ詩歌が、西行法師辞世の歌とも伝える、

  願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ  だという。

 この歌には表向き涅槃の文字はどこにもないが、“ 『きさらぎの望月』が陰暦二月十五日を暗示、しかも釈尊に遠慮してか翌十六日に亡くなったというので、この歌はいよいよ有名になった “ と結ぶ。

 B2_kobusiB1_kobusiその西行、武家藤原氏の出自とし和歌と故実に通じた人物として知られている。

 親友の死か、はたまた高貴な上臈女房に懸想して振られた所為か知らないが、衣の裾に取りついて泣く幼子を縁から蹴落として家を捨てたという。

 出家後は心の赴くまま諸所に草庵を結び、しばしば諸国を巡る旅に出たらしいが、「ただの気取り屋、妻子を捨てて何が漂泊」 「フーテンの寅さんの方がまだまし」と、記事を前にふたりして腹を立てている可笑しさ。

 ちなみに高橋さん、“ 釈迦の誕生会(え)がクリスマスで、涅槃会が復活祭にあたろうか ” とも書いているが、その<復活祭>、今年は明日の日曜、今日土曜は夜を徹して主の復活を待つのである。

 余談だが、復活祭のミサの後、聖別されたイースターエッグ、早い話がキャンデーのように綺麗な紙で包んだ茹で卵。を頂く。
 今を盛りの辛夷(こぶし)、純白のウェディングドレス、はたまた、白無垢。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.593

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