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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

イタリアの小さな町で

2013年07月14日 | 大聖年イタリア巡礼

 ガラシア病院からの帰り道、万博公園の外周をジョギングする人を結構見かける。
 ジョギングといえば、ロンドンのグリーンパークやニューヨークのセントラルパークで、足の長い女性が軽やかに駆ける姿を遠目に何度か見かけたが、なぜかその後姿が美しいイメージとなって残っている。

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 秋のグリーンパーク(左/03)です
 
高級マンションに隣接する広大なセントラルパーク(中/10)、驚いたことにリスが走っていました

 実際より美しく見える場面を俗に夜目遠目傘のうちと言うらしいが、助平なおっさんの思いそうなことばかりでもなさそう。
 ちなみに、和製外来語ではバックシャン(back sch�・n)あたりか?

 後姿といえば、大聖年のイタリア巡礼の折に小さな思い出?がある。
 巡礼も九日目辺りだったように思う、文豪シェイクスピアのロミオとジュリエットの舞台ともなったヴェローナ、ローマ時代の遺跡がそこかしこに遺こる美しい町からその話は始まる。少し長いがお付き合いを。

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 アディジェ川が旧市街を馬蹄型に囲む美しい町ヴェローナ(左/99)(中・右/00)です

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  中世の面影を残し(左/99)、緑豊かな町(中/99)でもあります
 
ローマ時代の遺跡を眺めています(右/00)

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  ローマのコロッセオに匹敵するアレーナ(左・中/99)(右/00)、毎夏、開かれる野外オペラが有名です

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  変哲もないジュリエッタの家(左/00)、最初に訪れた時(中・右/99)には観光客で一杯でした

 相変わらずの我侭なふたり、遺跡のひとつアレーナを見物している団と離れ、14世紀からこの地を支配したゴンザーガ家の庇護によりルネッサンス期に華開いた町マントヴァへ小旅行。

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  ヴェローナ駅で電車を待ちます、以下、写真は00年です
 
暫らくするとローカルな電車がホームに、勿論、リージョナル・クラス、各駅停車です

 三方を湖に囲まれた小さな町マントヴァのことは次回に譲り、日本人が滅多に訪れることもないこの小さな町、帰りの駅のホームで若者に出会った。
 福岡の人で、マントヴァから30分ほどの町で料理を修行中とか、「元気で頑張って」とエールを贈ると嬉しそうな笑顔で頷いていた。

 それはさて置き、ヴェローナへの車中カタリナ は疲れたのか居眠り、ペトロ 乗り過ごしてはならじと車窓から顔を出し風にあたっていると、小さな駅に時間調整なのか少しの間停車。
 眺めるともなく改札口を見ているとたったひとりの客が降り、駅前から真っ直ぐに延びる道、この道がまた晩夏の気だるい午後のこと車一台人ひとりいない。を小さなキャリーバックを引き町に消えた。

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  マントヴァ駅前通り?です、イタリアの町、どこも新市街は近代的な建物が並んでいます
 
マントヴァ駅でヴェローナ行きを待っています、旅も九日目、少し疲れたかな?

 映画のような印象的なシーンだったが、後姿が美しい女性だったのでそんな風に感じたのかも知れない。
 目覚めたカタリナに話すと、「・・・」何を寝ぼけてという表情をされた。
 そのバックシャン、“ 多く、前から見ると失望するような場合にいう ” ともあった。

 ところで、少し前にアッシジやシエナなどイタリアの小さな町のことなどを書いたが、これには少し訳がある。
 当時、97年から00年にかけてはまだ銀鉛フィルムが主流、カタリナの写真を中心にディジタル化をしている。で、今回はその続きと言う訳、ご協力を。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.661

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「アッシジ」へは、<コチラ>から入れます。

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アッシジ ‐ カタリナ便り

2013年05月30日 | 大聖年イタリア巡礼

 M神父様、Y神父様にカタリナ のことを、「伝えておくからね」と言って下さった。
 その翌日のこと、「神父様が来られてね、Y神父様、貴女のことよく覚えていらっしゃいましたよと、嬉しいお言葉を頂いたの」と言う。
 その折、Y神父様、「何か祈りのものを上げよう」と贈って下さったのが、アッシジの聖フランシスコの小さなレリーフ。

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  今朝(30日)のカタリナ、お気に入りのカタリナチェアでお花の手入れ
 
 聖フランシスコの小さなレリーフ、M神父様が訳を付けて届けて下さった

 その御言葉は、“ 主が、あなたを祝福し、あなたを守り、その御顔をあなたに示し、あなたに慈しみを与えてくださいますようように。主が、あなたに御目を留め、平安を与え、祝福してくださいますように ” とか。

 アッシジと言えば、大聖年のイタリア巡礼でY神父様と訪れた地。
 当時のことを旅の日記に感動を込めて記している。少し長いが引用する。

イタリアの中世の街は押しなべて小高い丘にあり、途中から歩くことが多いがアッシジもそんな町のひとつだ
坂道の途中に旧市街への門があり、くぐるとそこはタイムスリップしたような古い町がひそかに息づいている
マルコーニ通りに続くフランチェスコ下手広場から見上げる教会は、威厳を持って初秋の夕陽の中にあった

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 待望の聖地アッシジ、地震のため長い間観光客などが入るのが規制されていた
 
大聖堂下手広場と芝生の上手広場

ここで小さなアクシデント、ホテルに向かう坂の途中でカタリナが激しく咳込む
背中をさすっていると上のほうから声が聞こえ、見上げると二階の窓から顔をだしたおばさんが、
水を持っていこうか?」と声をかけてくれる
旅先でこのように親切にされると、その町が更に好きになりまた訪れたくなり、
人間って素晴らしいものだなとあらためて思う

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  大聖堂の上手入口、中央におられるのがY神父様

丘の中腹に建つホテル・フォンテベーラ、ヨーロピアン・スタイルゆえにロビーは狭くエレベータは手動
添乗員のKさんが、「湯の出が悪いので皆で譲り合って使って」と言っているが、それもまたヨーロッパの
古い町の楽しみのひとつ

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  夕陽の大聖堂とホテルから眺めたアッシジの町
 
Y神父様(右端)たちとの楽しい語らい、それにしてもよく飲むもンだね!

部屋に入り窓を開けると、煉瓦造りの壁に茶色の瓦をのせた家並みの向うに、夕暮れに霞むアッシジの
田園が広がってい、絵に書いたように美しい
その素朴な風景の中に、聖人の心、生きとし生けるものを等しく愛する心が今も漂っているかのように
感じられ・・・

 今年はローマ教皇が交代、新法王フランシスコを名乗られたが、M神父様を通じてY神父様の近況も判り、何か縁を感じるものもある。
 聖フランチェスコの導きで奇跡が・・・、それを信じ、聖人の「平和の祈り」、“ 絶望があるところに希望を 闇あるところに光を 悲しみあるところに喜びを ” と、今朝も唱える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.615

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「ビバ・パーパ!」へは、<コチラ>から入れます。 

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ビバ、パーパ!

2013年03月06日 | 大聖年イタリア巡礼

 ローマ教皇ベネディクト16世が、任期途中で退位された。
 そのローマ教皇、毎週水曜日にサン・ピエトロ広場で行なわれる一般信徒への謁見行事で、集まった15万人の信徒を前に、05年4月からの在位をキリストの使徒が乗った舟に譬え、「穏やかな日もあれば、めまぐるしく風が変わる日もあった」と述べたと伝える(朝日・2/28)。

 A2_piazza_san_pietroA1_piazza_san_pietroいつもなら屋内で行われる週一回の信徒との交流行事。
 この日は広場に、“ これからも私たちのために祈って ” などと書かれた横断幕や各国の国旗が翻り、教皇が特別車で広場を一周すると、ビバ・パーパ!教皇万歳の声が次々にかかったともあった。

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世との出会いを祝福するかのよう、ローマは蒼い空に覆われている
 2000年という区切りの今年、“ ミレニアム・大聖年 ” とカトリック教徒ならずとも祝う
 この記念すべき年に教皇の祝福に与かることが叶う、カトリック教徒としてまさに至福の時間

 こB1_john_paul_iiの日B2_john_paul_ii、サン・ピエトロ広場へは許可書がないと入ることができない
 広場辺り一帯は、高揚感溢れる面持ちの人、人、人・・・で溢れている

 ロC11_john_paul_ii_3ーマ教皇は世界中のカトリック者から、敬愛を込めてパーパ、日本ではパパ様と呼ばれる
 もう少しでそのパーパに会えると思うと期待に胸が膨らむ

 10時きっかり、突然、辺りが騒がしくなる
 広場にある大型テレビには教皇の姿が写っているのだが、どの辺りにおられるのか位置関係が皆目見当がつかない、皆、椅子の上に立ち捜している

 見えた!右側の通路を特別車でゆっくりと進まれる姿が
 何時ものように心持首を傾げ、小さく手を振りながら祝福される柔和な慈悲に満ちた表情の姿が近づいてき、周りからは期せずして大歓声があがる
 この間、時間にして数分ほど、しかし、周りを見渡すと、誰もが満たりた感激の面持ちである

 こF1_piazza_san_pietro_2F2_piazza_san_pietro_2の時、この瞬間のために、この巡礼に参加した
 大きな喜びとともに、信じることによってのみ与えられる心の糧を得た

 この後、世界各地からの巡礼団が紹介される
 中央に設えられたステージからヨハネ・パウロ2世が祝福
 祝福を授かる巡礼団から嵐のような歓声、ビバ・パーパ!の声があがる
 それにしてもこの人の多さは呆れるばかり、会場を出るだけで小半時は要した

 この交流行事、夙川教会が主催した大聖年の巡礼団の端っこに加わり体験、その折のことを興奮気味にメモに残している。
 ローマ教皇ベネディクト16世の退位を報ずる記事を前に、懐かしくも遠い夏の日のヒトコマを思い出し、少し長くなった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.585

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「スピーアコ」へは、<コチラ>から入れます。

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スピーアコ

2010年12月13日 | 大聖年イタリア巡礼

 聖なる山 ・ モンセラート。
 建築家ガウディが気に入り足繁く通ったそうで、彼の作品「キリストの復活」も残っていると言う。

  11世紀、ここにベネディクト派の修道院が作られたことは、前回書いた。
 修道制度の創設者と呼ばれる聖ベネディクトゥスは、5世紀の終り頃から6世紀半ばまで活躍したとされている。

 Photo_2彼自身は、隠修的な修道を行なおうとした訳ではなかったようだが、喧しいローマを離れる必要を感じ、自ら労働しつつ修道生活を営むことを考えるようになったと言われている。

 ベネディクト会のモットー、「祈り、かつ、働け」は、この精神を表現したもので、ここモンセラーでも、今も多くの修道士が祈りとともに暮らししていると言う。

 ここで少し寄り道を。
 聖ベネディクトゥスが隠修生活をしたという、ローマ郊外の 《スビーアコ》。
 大聖年の巡礼の折に訪れたが、その当時のことを、「大聖年イタリア巡礼の旅」で次のように書いている。

42 〈 スビーアコは、ガイドブックにも載らない山深い小さな集落
〈 です
修道院までは、聖人と双子の妹、聖スコラスティカの女子修
〈 道院があるその
集落から、山道をさらに30分ほど登らなけ
ればなりません

〈 そろそろ息が切れかけた頃に石造りの壁があって、その
端の狭く急な石段を登ると砂利石が敷き詰められた小さな
広場があり、その奥に素朴な佇まいの修道院(写真上)があ
りました

〈 修道院のある棟は急峻な岩肌に身を寄せるように、ある棟
〈 は僅かばかりの岩棚に腰掛けるように建っているのです
5 〈 眼下には重畳たる山並み
(写真中)があり、当時の修道院
〈 が、人里離れた山深い地に建てられていたことを実感しま
〈 す

〈 修道院は、自然の地形を巧みに取り入れて造られていて
その奥深く、聖人が瞑想したという岩穴がありました

〈 3年前に訪れたバルセロナ郊外のモンセラートに比べ、その
〈 規模は遥かに小さいものの、訪れた人を敬虔な気持にさせる
〈 強い信仰に支えられた静かな心を感じさせるのです

〈 朝まだき、清明な大気に包まれた修道院の小さな礼拝堂でミサに与りました
〈 礼拝堂は、珍しくも壁の一方が大きく開け放たれ、そこには谷を挟んで次の山が迫っていました

 話がそれた。
 モンセラートに戻る。

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