徳川宗家(将軍職を世襲的に引き継ぐ家系)将軍継承権を有するのは初代将軍家康が定めた紀州徳川家(現和歌山県と三重県の南部)、尾張徳川家(現愛知県名古屋市)そして水戸徳川家の三家でした。そして家康から100年経過した18世紀1700年初頭7代将軍家継(いえつぐ)が幼くして亡くなり家康の直系の血統が途絶えました。
それから徳川宗家を引き継いだのは紀州徳川家の徳川吉宗でした。8代将軍吉宗は将軍の血統を絶やさないため実子に田安家・一ツ橋家・清水家の三卿を成立させました。
この三卿は領地は無く江戸城内に住み将軍継承のためだけの家系でした。
八代将軍吉宗から150年経過した幕末の19世紀中頃には徳川宗家は三卿が引き継いでいました。
しかし三卿と徳川三家は徳川家の血統が疎遠となり赤の他人同様になっていたのです。
1853年7月27日、12代将軍徳川家慶が亡くなりました。家慶とうい人は不運な将軍で家慶の実父先代の11代将軍徳川家斉(いえなり)は50年も将軍の在位にありました。そして家慶が将軍に在位に就いたのは45歳の時でした。家慶が将軍に在位に就いた頃から日本近海に列強諸国の蒸気船が頻繁に現れる様になりました。家慶は黒船対策を徳川斉昭に任せていました。しかしそこへペリー艦隊が浦賀に来航し「開国要求」を家慶に付きつけたのです。家慶はペリーが去ったと同時に亡くなりました。
家慶の実子は13人居ましたが多くは幼くにして亡くったりまた他家へ養子になっていました。家慶の正室は楽宮喬子(さがのみやたかこ)院号浄観院(じょうかんいん)は京の公家から将軍家に嫁ぎ一人慣れない江戸に住みまたさらに実子は次々亡くなってしまい心細かった事でしょう。
家慶の実子で生き残り江戸城に居たのは家定(いえさだ)だけでした。家定を生んだ生母は側室の美津でした。美津(院号本寿院ほんじゅいん)は生き残った子ども家定を溺愛しておりました。ですから本寿院はこの家定に将軍継承させるため強力に薦めていたのです。
この本寿院が家定将軍擁立した幕府内の派閥を「南紀派」と呼んでいました。
しかし家定は子どものころから病弱でまた精神的にもひ弱でとても将軍職を引き継ぐ器ではありませんでした。家定は江戸城の庭でガチョウを追い回したりまた剣付き鉄砲を持って近習を追い回したりと家定の奇行が目立っていまいした。父親の家慶が亡くなった時は家定は32歳になっていましたがしかしその奇行は治まっておりませんでした。
ですから国難と言える「アメリカとの国交問題」に対処できる器量を家定は持ってはいませんでした。
家定が将軍を引き継ぐことは幕府つまり日本の不運であったのです。
家定の将軍継承に危機感を感じた幕府の閣僚安部正弘は初めて水戸徳川家が国政に参加できた徳川斉昭と共に将軍擁立する幕府内の派閥を作ったのです。安部正弘は斉昭の7男である七朗麿こと慶喜(よしのぶ)を三卿の一ツ橋家に養子にする事に成功したのです。この徳川斉昭・安部正弘が慶喜将軍擁立した
幕府内の派閥を「一ツ橋派」と呼んでいました。
この
一ツ橋慶喜は江戸幕府の終焉を見た最後将軍です。慶喜は家定とは対照的で聡明にして賢明な貴公子
武士というより政治家でした。幕府の閣僚達は当然の様に家定より貴公子一ツ橋慶喜を次期将軍に相応しいと思っていました。
しかし家定を次期将軍にと強力に薦める本寿院の「南紀派」はここで禁じ手を使いました。徳川斉昭が将軍以外の男性は出入り禁止の大奥(江戸城にある将軍の正室と側室ための御殿)に出入りしたので大奥勤めの女中が斉昭と慶喜を毛嫌いしていると訴えました。この本寿院の一言で一ツ橋慶喜は将軍継承ができなくなったのです。
江戸城将軍御座之間に頼り無く心細く家定が座りそばに幕府の閣僚達が控えている。そこに本寿院が入って来て勝ち誇る様に言い放った。
「家定殿あの一ツ橋慶喜に勝ったのですよ!あなたが将軍です!」
「あの……母上…」
「一ツ橋派」の安部正弘と幕閣達は本心ではこのぼんくらな家定に「アメリカとの国交問題」に対処できる器量は持っていない事に危機感を持っていたのです。
そして「一ツ橋派」の幕閣達は将軍継承闘争をまだあきらめてはいませんせんでした。
そして幕府には「アメリカとの国交問題」の意見書が各藩から続々と届ていました。
譜代大名の伊予松山藩・越前福井藩また薩摩藩・土佐藩などの外様大名の有力藩からも意見書が届いていたのです。
つづく
お日様とお月様の光と影~東アジア近代化クロニクル(年代記)~
第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!(1)~(8)
参考文献
知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝 前半
2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半
文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)
文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候
筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。