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戦国時代最強の女性の系譜をラムネと訪ねる

2019-05-05 23:24:24 | 
今日は少し趣向を変えて新田金山城~忍城を巡ってみた。


駐車場から。非常に狭いので、休日は早目に行くのがお勧め

桐生城と館林城は見る影も無いが、金山城は割と遊べるし関東平野を一望する素晴らしい景観を持った山城だ。歩いてみると分かるが籠城されると非常に厄介なお城で、史実でも上杉や北条を退けた名城である。特に関東一円を支配下に置こうと圧力を掛けてきた巨大勢力北条氏を向こうに回し、息子二人を人質に取られながら一歩も引かず、息子の処刑勧告(脅し)には大砲をもって返事にかえるという猛将も真っ青の齢71歳の妙印尼輝子の逸話が有名。その筋にはたまらない話しで支配下4城のうち2城を守り、ついでに出来の悪い息子2人も無事送り返されてきたという。ここでは余談になるが人間50年の時代に71歳で城主不在の中具足を付けて陣頭指揮を執るだけでも驚きなのに、その6年後に孫の後見人として小田原征伐に加わるという信じ難い話しがあり北条への積年の恨みを晴らすとともに家督を守り、さらには息子二人の命も救うという離れ業を演じている。その後も続いていく話しもまた面白いのだが

金山城も3回目で、そんな歴史的背景を思い浮かべつつ歩いてみるのも楽しい。まぁラムネがいるから楽しめるのであり。


多分防御用の落とし橋

これも防御用の堀切

物見台はきんぞくせいになっているので登れず。それでも高台でポーズ








金山城を後にし帰路の途中にある忍城へ。ここにも妙印尼輝子に負けず劣らずの逸話をお持つ女傑が一人。小田原征伐の際石田三成、浅井長政、真田親子等の名だたる武将を向こうに回しに自ら甲冑を身に着け伝家の宝刀浪切を携え陣頭に立ち対峙するという凄さ。これが妙印尼輝子の孫だというから成程とは思う。実在したかどうかの議論は残るし、武芸に秀でていたとはいえここまで凄いのかとの疑問もあるが祖母が祖母だけにあり得るとも。間に挟まれ存在感の薄い母もまた武芸に秀でていたらしい。これでいて東国無双の美人と言うのだから手に負えない(笑)忍城自体は僅かに水城公園にその名残が見て取れる程度。水城公園も巨大な釣り堀になっていてその設計思想も面白味に欠け一度見ておけばもう良いかなぁ~と言った感じ。水城公園のPに停め歩いて忍城に行ったが、お城自体は狭いのでこの行程の方が多少は良いと思う。



手入れのされていないボロボロのC57

これは資料館?




カメラを向けると立ち止まってポーズをとってくれました^^


帰りがけミニストップでアイスを食べる事に。選んだのは”ラムネ”で、ラムネも一緒に食べました。暑かったもんね。




この1週間沢山遊んだラムネ、流石に夜はこの通り


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