なんだか、この助詞シリーズ・・・皆さんのコメント読むのがすごく楽しい。
たかが助詞なんだけど、温度や湿度が感じられる品詞であるってわかって
おもしろいです。
やっぱり、されど助詞!
このシリーズ書き始めて、毎回着地地点を確認するのですが、
どうも着地ができそうな気がしません。
みなさんと分析できて楽しかったってことにしといてね♪
では、無理やり着地に向けて、もうひとつ。
あるブロガーさんのところで見つけた題材をまずご紹介。
人形
八木重吉
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた
----------------------------------------------------------------
という、詩があります。
さらに、ブロガーさんのお子さんの塾での問題がこうなっています。
問
桃子が「そっとせなかへ人形をのせた」のはどうしてだと思いますか。
そのときの桃子の気持ちを想像して書きなさい。
さて、いよいよ本題に入るわけですが、
私は、この問題は愚問だとおもうのです。
でも、日本にはとても良くある問題ですよね?
この問題で何を聞きたいのか?
あるいは、塾は、この問題を解かせることで、この子に(この子たちに)
どんな力を付けさせたいと考えてるのか?
ここで養える力があるとしたら、「想像力」だけだと思うのです。
気持ち教育は、(こんな日本語があるかどうかはしりませんが)
道徳の時間になされるほうがいい。
私が小学生の時代から(おそらくもっと前から)、
日本の国語は、このときの主人公の気持ちは?と問う教科になってしまったので
国語はあいまい。こたえが1つに決まらないとなるのです。
わたしなど、日本人学校の宿題で、こういう問題が出ると、必ず間違って、
母に「ピンクは、出題者と気が合わないのよね」って慰められましたから。
ところがこれだとどうでしょう?
ブロガーさんが、問題をつけくわえていらっしゃいました。
多分、ブロガーさん独自の問題だと思われます。
①ねころんでいたのは 誰でしょう?
②桃子はだれに うまのりになっていたのでしょう?
③だれの背中に人形をのせたのでしょ?
④どうして 人形をのせたのでしょうか?
これはいい。
こうなると、分析ですね。
まず、この詩は、話者という立場を設定して、話者(つまりお話を進めている人)が作者だと
考えた方がよさそうですね。
すると、答えは、
①話者
②話者
③話者
となりますよね?
ここで話者が男性であるかどうかの情報はありませんが、
話者=作者だとすると、①~③までの答えは八木さん。
そしてもっというなら桃子の父親とまでいってもいいのかもしれません。
桃子さんは、子どもということになりますね。
ところが④の問題はどうでしょうか?
答えは、桃子は父親から降りたが・・自分の代わりとして大切にしているお人形は置いていった。
となるそうです。
自分の代わりのような言葉・・そういった周辺の言葉がかかれてあったら○って感じかな?
着地に向かっていうと・・・
私は、学校やカテキョで教えられること、養いたい力というのは、
この問題の①~③までだと考えています。
こちらでは、ほとんど④のような問題は英語の時間(Reading)には出ません。
この詩を読んで、目を閉じると、具体的に情景が広がり
パパの背中に乗っかっている、女の子(桃子)。
この情景が広がるように、分析の仕方を教える。
それには、昨日まで言ってきたような、
助詞の分析(日本語だとですが。一文字で意味が変わりますから)も必要です。
では、④の問題が解ける・・・つまりここで正解を出す(ある意味何が正解かわかりませんが)
のは、もっと違う勉強をしないといけないって思うのです。
それは、お友達を遊んでいて、
我慢することだったり
ルールを守ることだったり
友達を気遣うことだったり・・・
遊びの中で、身につくこと、養われることだって思っています。
④の問題は、ナンセンスだけど、
出るものは仕方がないとするなら、こういう力は国語の力ではないと思うのです。
そういった社会性?あるいは、人間性・・・とここではそう呼ぶとしましょう。
それは、うちでは身につかない。
もちろんテクニック的なことを教えてあげることはできます。
①~③の問題を解ける力は、責任持ってつけられるとおもいます。
でも、いわゆる科学的に分析する力は、7歳では必要ない。
いっぱい、絵本を読んで
おうちの人といっぱい会話して
そういうことが、分析する土台を作ると思います。
そして、お友達とたくさん遊んで、たくさんけんかして、
遊びの場には、学ぶことがいっぱいある。
うちに来て、ワークシートなんかしているより、よっぽど大事。
ということをいいたかったのです。不十分な着地でごめんなさい。
たかが助詞なんだけど、温度や湿度が感じられる品詞であるってわかって
おもしろいです。
やっぱり、されど助詞!
このシリーズ書き始めて、毎回着地地点を確認するのですが、
どうも着地ができそうな気がしません。
みなさんと分析できて楽しかったってことにしといてね♪
では、無理やり着地に向けて、もうひとつ。
あるブロガーさんのところで見つけた題材をまずご紹介。
人形
八木重吉
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた
----------------------------------------------------------------
という、詩があります。
さらに、ブロガーさんのお子さんの塾での問題がこうなっています。
問
桃子が「そっとせなかへ人形をのせた」のはどうしてだと思いますか。
そのときの桃子の気持ちを想像して書きなさい。
さて、いよいよ本題に入るわけですが、
私は、この問題は愚問だとおもうのです。
でも、日本にはとても良くある問題ですよね?
この問題で何を聞きたいのか?
あるいは、塾は、この問題を解かせることで、この子に(この子たちに)
どんな力を付けさせたいと考えてるのか?
ここで養える力があるとしたら、「想像力」だけだと思うのです。
気持ち教育は、(こんな日本語があるかどうかはしりませんが)
道徳の時間になされるほうがいい。
私が小学生の時代から(おそらくもっと前から)、
日本の国語は、このときの主人公の気持ちは?と問う教科になってしまったので
国語はあいまい。こたえが1つに決まらないとなるのです。
わたしなど、日本人学校の宿題で、こういう問題が出ると、必ず間違って、
母に「ピンクは、出題者と気が合わないのよね」って慰められましたから。
ところがこれだとどうでしょう?
ブロガーさんが、問題をつけくわえていらっしゃいました。
多分、ブロガーさん独自の問題だと思われます。
①ねころんでいたのは 誰でしょう?
②桃子はだれに うまのりになっていたのでしょう?
③だれの背中に人形をのせたのでしょ?
④どうして 人形をのせたのでしょうか?
これはいい。
こうなると、分析ですね。
まず、この詩は、話者という立場を設定して、話者(つまりお話を進めている人)が作者だと
考えた方がよさそうですね。
すると、答えは、
①話者
②話者
③話者
となりますよね?
ここで話者が男性であるかどうかの情報はありませんが、
話者=作者だとすると、①~③までの答えは八木さん。
そしてもっというなら桃子の父親とまでいってもいいのかもしれません。
桃子さんは、子どもということになりますね。
ところが④の問題はどうでしょうか?
答えは、桃子は父親から降りたが・・自分の代わりとして大切にしているお人形は置いていった。
となるそうです。
自分の代わりのような言葉・・そういった周辺の言葉がかかれてあったら○って感じかな?
着地に向かっていうと・・・
私は、学校やカテキョで教えられること、養いたい力というのは、
この問題の①~③までだと考えています。
こちらでは、ほとんど④のような問題は英語の時間(Reading)には出ません。
この詩を読んで、目を閉じると、具体的に情景が広がり
パパの背中に乗っかっている、女の子(桃子)。
この情景が広がるように、分析の仕方を教える。
それには、昨日まで言ってきたような、
助詞の分析(日本語だとですが。一文字で意味が変わりますから)も必要です。
では、④の問題が解ける・・・つまりここで正解を出す(ある意味何が正解かわかりませんが)
のは、もっと違う勉強をしないといけないって思うのです。
それは、お友達を遊んでいて、
我慢することだったり
ルールを守ることだったり
友達を気遣うことだったり・・・
遊びの中で、身につくこと、養われることだって思っています。
④の問題は、ナンセンスだけど、
出るものは仕方がないとするなら、こういう力は国語の力ではないと思うのです。
そういった社会性?あるいは、人間性・・・とここではそう呼ぶとしましょう。
それは、うちでは身につかない。
もちろんテクニック的なことを教えてあげることはできます。
①~③の問題を解ける力は、責任持ってつけられるとおもいます。
でも、いわゆる科学的に分析する力は、7歳では必要ない。
いっぱい、絵本を読んで
おうちの人といっぱい会話して
そういうことが、分析する土台を作ると思います。
そして、お友達とたくさん遊んで、たくさんけんかして、
遊びの場には、学ぶことがいっぱいある。
うちに来て、ワークシートなんかしているより、よっぽど大事。
ということをいいたかったのです。不十分な着地でごめんなさい。
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