●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

天井川と地面

2007年12月02日 | 家族
うちの近くに西代橋と言う、一級河川・斐伊川にかかっている橋があります。

最近、夕方にその橋の歩道にカメラを持った不審人物…ではなくて、えっと~西に向かって撮影している人たちを、よく見かけます。
おそらく、川に夕日が沈むんじゃないか?と思います。私の想像なので、ウソついたらゴメンなさい。 写真を撮っているのは本当ですけど…。望遠レンズの付いたデカイやつでした。

斐伊川は天井川で、橋の上からの風景は、洪水以外の時なら絶景です。
まして、今頃の夕日はとても綺麗ですから、川に沈んだら尚更素晴らしいと思いますよ。多分、朝日もです。

この美しい島根に生まれて、愛するようになったら、全ての物を造られた神さまは、平等な方だと思うようになりました。

都会は景気が良くて、羨ましいとは思いますが、住みたいとは思いません。便利なのや豊かなのだけが、幸せの基準ではないですよね。
かといって、都市での経済活動も大切な仕事ですから、軽んじている訳ではありません。どちらも一長一短だと言う事です。人もね。良い所も悪い所もあるでしょう。

悪事をしている人だけが、罪を持っている訳ではありませんから、私たちはお互いに許し合うしかないのです。守屋前事務次官だけが、悪人ではありません。周りの人たちだけが悪人ではありません。
「アイツは悪い奴だ!あんなことしやかって(怒)」と思った方?…いませんか?
「はい!鏡を差し上げますね(苦笑)。」お分かりでしょう?みんな、多かれ少なかれ心に持っている弱さなのです。誰しも、上から見下ろしたい欲求を持っています。(正しい意味の義憤は大切ですが…。)

でも、許し許され認め合う事は、容易な事ではないかも知れません。私もよく悪い事をした人を、事情も分からないのに決めつけて、裁いてしまう失敗をします。
また、自分の事は分からない物で、言ってる矢先から自分も同じ過ちを犯していたりします。

自分たちだけでは、何が真実で正しいのか?どうすれば理解出来るのか?人間には限界があるんです。
それを日々に教えてさせて下さっているのが、イエスさまなんですよ~。
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なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、
あなた目からちりを取らせてくださいと、言えようか。
(マタイ7:3~4)