「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県みやこ町勝山 ・ 勝山古墳群 「 二号墳 」

2014-02-04 00:06:41 | 古墳・ 遺跡



勝山古墳群 「 二号墳 」







古墳の入り口、前室から見た墳内







大きな石を用いた玄門と楣石 ( 冠石 )







古墳の一番奥にある玄室 ( オーヴが見える )











勝山神社が位置する丘陵上には低墳丘の古墳が数基目視できるが、
ここで報告する古墳群はその南東裾に位置するものである。
神社鳥居のすぐ西に大破して石室が露出した古墳が一基あり、
その東の住宅裏手に三基の古墳がほぼ南北方向に並んでいる。

古墳群はいずれも西側に大規模な周溝を掘削して山塊から切り離されるが、
更に周溝を利用して深い排水溝が新しく掘削されている。
東から1~3号墳として報告するが、
今日は二号墳を紹介したい。

墳丘
二号墳の墳丘は、東側が土取りによって大きく改変されるが、
現状で南北長20m、東西長16mほどとなる。
ただ良好に残存する南側を参考にして、石室を中心とすれば、径20mに復元できる。
北西側の周溝は最大で6mほどの幅を持つ。

主体部
羨道部前面が全体に東へずっていて、左側壁が迫り出し、一見片袖の三室構造に見える。
奥壁腰石が主軸に対して斜めになるが、中軸線で測ると全長は9.8mとなる。
玄室は長さ3.2m、幅2.3m、高さ2.7mほどとなるが、床面は埋没している。
腰石をはじめ、使用された石材は全体に一号墳に比べて小振りで、
積み上げ方も雑な印象を受ける。
また、奥壁の両隅は石材で斜めに架け渡している。
前室は長さ2m、幅約1.9m、高さ2.2mの規模となる。
左右の腰石は一号墳と異なって二枚で構成され、天井も二枚が架構される。
羨道部は比較的小型の石材を積み上げるが、そにため大きく東へ押されたのであろう。
よって本来の幅は確認できない。



沖縄県那覇市辻 「 サンモウジ ( 三文珠 ) 」

2014-02-04 00:05:41 | 沖縄の文化財



三文珠公園内にある小さな丘になった 「 サンモウジ 」








琉球石灰岩で出来た丘







丘の下にある 「 坊主神 」 の墓?あるいは拝所










サンモウジ(三文珠)

那覇市辻町にある岩の毛が 「 サンモウジ 」 である。
18世紀、琉球国を代表する教育者、程順則 ( 名護親方寵文 ) 、
琉球国の執政で政治家の蔡温 ( 具志頭親方文若 ) 、
スグリ山田と呼ばれた山田親雲上 ( ペークミー ) の三人の賢者が
若き日このサンモウジの毛に時々集つて、夢を語りあい、琉球国の行方を語り、
多いに議論を交わしたことから、この場所がサンモウジと呼ばれるようになった。

また、他にも 「 三孟子 」 「 紗帽瀬 」 「 烏帽子 」 などと記されている物もあり、
どれが本当なのか判然としない。



熊本県山都町 「 石堂橋 」

2014-02-04 00:04:41 | 熊本の石橋




































所在地 / 熊本県上益城郡山都町猿渡
架橋 / 安政6年 ( 1859年 )
石工 / 不明
長さ / 15.3m
幅  /  1.9m  高さ / 4.0m



石堂橋は、石堂川に傾斜して架かる半アーチ橋である。
以前は主要道路として活躍していたが、近年新道が通ったことにより
現役を引退したが、今もしっかりと保存されている。


石堂橋へのアクセス
石堂橋へは、途中まで 「松尾橋」を参考にしてもらいたい。
参考にされた松尾橋から山と方面に向かって約1キロほど行った
右側の谷の下に架かっている。
橋には県道219号線に新しく架かっている石堂橋を過ぎて
左カーブの右下から谷へ下りて行く道があるので、そこから橋まで行ける。
駐車は、山のカーブの広くなったところに通行の邪魔にならないように駐車した。