仲昔今帰仁按司祖先の墓
仲昔今帰仁按司の墓の横にある山田按司のものと思われる?墓
崖の中腹に墓がある
墓の下を流れる比謝川と嘉手納町の社協
嘉手納町水釜にある嘉手納町社会福祉協議会の下の比謝川沿いを河口に向かって行くと
左側は丘陵になっており、その崖の中腹に栗石で積んだ白い墓 ( 昭和50年改修 ) が見える。
これは、中北山の先祖墓である。
1322年、今帰仁城主の丘春按司は、羽地グスクの羽地 ( 怕尼芝・はにし ) 按司に攻略され、
討ち死にしたというが、
この戦乱は丘春按司のときではなく、次の代の仲宗根若按司の頃ともいわれており、
どちらとも判明しない。
一族は先祖の遺骨を放置できないとして、上代の湧川王子・湧川按司・今帰仁按司の遺骨と
丘春按司の遺体を舟に乗せ、比謝川まで落ち延びた。
ここに葬って一族は方々に散ったと伝えられている。
今帰仁城主となった羽地按司以後を後北山 ( あとほくざん ) と称し、
その前の丘春按司らの時代を中北山 ( なかほくざん ) ・中昔と称している。
その子孫の一人は、山田城主となったので、ここの墓を山田按司の先祖墓とも、
中北山按司の墓とも呼んでいる。
また、対岸の崖 ( 泊グスク ) の中腹にも今帰仁按司の墓がある。