フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

荒木経惟 (II) NOBUYOSHI ARAKI - LECON DE PHOTO

2005-10-15 18:35:56 | 写真(家)

昨日読み始めた荒木経惟の 「写真ノ話」 の残りを読む。改めて書こうと思ったのは、先日のブラッサイ Brassaï の展覧会に彼も女の子と一緒に行っていて、「夜のパリ」 が素晴らしかったという感想を話しているのを読んで、あの空間をどんな風に味わっていたのかという想像を掻き立てられたから。その他にも面白い話があった。例えば、

「なんにしろ、創るということはドキュメンタリーからはじめなければいけないのです。ドキュメンタリーということは、人間の本質をつかみとることです。ドキュメンタリーは凝視の連続です。そして発見、感動です。」

「巨匠といわれる絵描きなんかだって、現物見ないでカタログで影響受けたりするって言うでしょ。現物よりカタログから影響受けるほうが多いんだよね。」

(バルテュスの『街路』の話をしていて)
「『街路』にはいろんな職業の人が描かれているんだよな。子供とか、コックとか。それで、そこにいるのはみんな個人なの。個人個人、個人と個人の間には一見なんの関係もない、個人それぞれが何かをやってる。で、街路でその個人の人生が交差するっていうことなんだろうな。街路は人生の通路っつうかさ、そういうことなんじゃない。そういうのに案外やられたね、『少女』たちより。
 『街路』をみて、オレのイメージと同じだって思ったけどバルテュスはオレよりもずっと前にオレと同じことやってたわけよ。『あれ、な~んだ、もうやってんじゃねぇか』っていう感じ。だからね、いま何か新しいことを思いついたとしても、世界で同時に五人くらいは同じことを思いついているらしいから、そんなもんだよ。」

日仏の見方の違いが窺えるようなお話も。

「きれいなんだもん、とかさ。しょうがないんだよねー、もう可愛くってさ~とか、そういうのがいいの、オレ(笑)。『それはどうしてですか?』とか、『なぜですか?』っていうのが駄目なんだよ。
 はじめのころね、ヨーロッパからいろんな人がインタビューに来てくれて、『それはなぜ?』とか、『どうしてですか?』って聞くわけ。とくにフランスっつうか、パリから来たのがうるさいんだ。『なぜ?』『どうして?』って。」

それから、彼の写真を見ていて、この人は一枚の写真では勝負してはいないな、と感じて昨日書いた。本人もそういう意識でいるらしいことを今日読んで、やはりそうかという思い。

「一点作品にしようなんて意識はもうないんだ。一点無駄なしっていうようなへっぴり腰は駄目なの。ガンジーの火葬に行って撮ったその一点が名作だとか、そういうんじゃないんだよ。ブレッソンさん、ごめんなさい。たとえば、ガンジーの火葬に行くときにぶつかったインドの女のデカイけつとかさ、そういうようなことまで含めないと駄目なんだよ。面白くないんだよ。」

乳がんで乳房切除し、今年亡くなった歌人の話も出てくる。写真を撮るということはその人と関係を結ぶこと。最後まで気持ちを傾けている様子が伝わってきた。巻末には、やはり今年亡くなった杉浦日向子さんとの対談が載っている。彼の心に溢れる優しさが読み取れて、思いもかけない出会いとなった。

コメント (3)
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荒木経惟 NOBUYOSHI ARAKI - UN PHOTOGRAPHE ROMANTIQUE

2005-10-14 23:54:51 | 写真(家)

お昼の散策時に荒木経惟の 「写真ノ話」 を読む。昔から気になっている存在だ。常に自分に注意を払っていて、正直。そのツッパリの奥にシャイな自分があり、痛々しくもあり、どこかに深い悲しみを湛えている。この本は語りなので、まさにラジオを聴く感覚で読める。気がついてみると、白水社から出ていて小さくフランス語の題が添えられている。

題名 Leçon de photo
第一部 朝 le matin
第二部 昼 l'après-midi
第三部 夜 le soir

彼にとっての写真とは、日記のようなもの、人生そのものだと言う。常にカメラを持って、その時の自分の周りを撮る。それによって自分が撮られることになる。昔の写真を見ると当時の自分がよくわかる。その当時がどのように今に繋がっていたのかということまで見えてくる。写真に撮っておかなければ、すべてが記憶のかなたに消えていく。まさにブログである。彼の言っていることはよくわかる。彼はこれを40年もやっていたことになる。

写真とは何かを学んだのは、彼の父親と母親が死んだ時だという。その人のよいところを撮ろうとすること、そのためにアングルを選ぶこと。極端に言ってしまうと、それが彼の写真哲学のように感じた。

彼の言葉をいくつか。まず、「日本人ノ顔」 というプロジェクトについて。

「で、撮ってて思うんだけど、顔を撮るっていうことは人と会うっていうことだけど、人の顔の中にすべて、人生とかなんかあるということなんだね。それと、他人と会って、面と向かって、面と向かうことで、相手にエネルギーを与え、向こうからもエネルギーをもらっているような関係性ね、人との関係性、それが写真っつうことなんだよなって思うのよね。そういう関係性、そういうことを、ずーっとやってきたみたいな感じなの。」

近くの子供を撮っていた写真を始めたころを振り返って。

「こうやって四十年分をまとめてみて、このころの写真が一番いいなと思うんだけど、なぜそう思うかというと、やっぱり動くことだって気がついたのよ。生きるっつうか、何かやるっていうことは動くことなの。"生"は動くこと、そっからアタシの場合ははじまってんです。だから、しょっちゅう動いたり変わったりしてるでしょう?実際は変わんないんだけどさ。...
 ...やっぱり、子どもたちの仲間に入って一緒になって子どもたちの世界に入って、子どもになって撮る、そういうことね。アタシは大人になんかなりたくないのよ。っつうのは、ずーっとこういう感じで子ども世界にいたいっていうような感じがあるわけ。」

今や誰でもカメラをいじる。私のその仲間である。そういう時代において写真家とは一体どういう職業なのだろうか。彼の写真一枚だけを見てもそれほど感動しない。彼の命をかけて撮っている写真全体を見る時にある感動が襲ってくる。そしてその後に、一枚をその全体の中に置いて見直すとすべて意味を持ってくる。写真家とは写真を撮ることによって生きている、自分を晒す職業のような気がしてきた。

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パリの Amateur d'art 氏が最近 Araki について書いている。Araki を書いた日はアクセスが一気にシュートしたらしい。

Amateur d'art 氏は彼のことをズーッと怪しい男と思っていたようだ。次のような言葉が続いている。trop porno chic, trop de bondage, un vieux pervers (余りにポルノチックで、ボンデージに溢れ、倒錯老人)。しかし、Arakimentari という映画をロンドンで見てその考えが変わったという。彼が愛すべき人間であり、写真家であることを発見したから。そして、次のような賛辞を送っている。

"Un lutin, vif, nerveux, sautillant, aux cheveux en bataille, rigolard, plen de respect pour ses modèles. Loin d'être misogyne."
(元気がよく、神経質で、考えや動きまでが飛び跳ね、ぐしゃぐしゃ頭の、おどけた、モデルに対する敬意に溢れた悪戯好きの小悪魔。人間嫌いとは程遠い。)

最後に彼はパリのギメ美術館太田記念美術館の浮世絵を見た印象から、荒木を結論付けている。

「江戸という時代が自由 (la liberté)と放縦 (la libertinage) に溢れていた官能的な時代であり、それが明治によって突然打ち切られてしまった。現代の日本人はそのアンビバランスを未だに引きずっているのではないか。Araki はその象徴である。」 

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気がついた展覧会。
荒木経惟 「飛雲閣ものがたり」 (epSITE、新宿)
Araki: Self*Life*Death (Barbican, London)

(version française)

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アンヌ・ルイ・ジロデ ANNE LOUIS GIRODET - UN ELEVE DE DAVID

2005-10-11 23:56:45 | 展覧会

Anne Louis Girodet (1767-1824)

ダヴィッドの弟子のジロデの展覧会が、ルーブルを初めフランス各地で年末から来年初めまで開かれているようだ。例えば、

ルーブル美術館 来年1月2日まで
Girodet et les décors de Compiègne シャトー・ド・コンピエニュ 来年1月6日まで
マニン美術館 Musée Magnin, Dijon 今年の12月31日まで

数週間前に見たダヴィッドの画集で「市民ベリーの肖像」というコロニーの元責任者の肖像画が妙に印象に残っていた。ダヴィッドの絵だと思っていたその絵は、実はその弟子であったジロデの作品であることが今回わかった。ダヴィッドは少なからぬ弟子を取っていたようで、彼の言葉として "Le dessin, le dessin, mon ami, mille fois le dessin" というのが残っている。厳しい先生だったようだ。

その薫陶を受けたジロデの作品をいくつか見てみると、以前に取り上げたシャトーブリアン (24 février 2005) の肖像も描いているし、今日取り上げた絵などは全体の印象は静謐なのだが、それぞれの心の中は高いところに達しているようにも感じる複雑なものである。興味をそそられる絵を他にも多数描いていそうで、もっと見てみたいという気にさせる。同時にジロデその人にも興味が湧いてきているのを感じる。

先日のルノアール(29 septembre 2005)、ウイーンの4人組(4 octobre 2005)、そして今日のジロデ。今年の年末はどういうことになるのだろうか。

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Musée de France

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雨の休日、イタリアを旅する UN VOYAGE EN ITALIE DANS LA TELE 

2005-10-11 00:01:25 | 

昨日は雨の連休最終日となった。気持ちがしっとりと落ち着く。何気なくつけたテレビで 「イタリア縦断」 という番組が流れていた。何ともゆったりと生活しているイタリアの顔が数時間に渡って紹介されていた。歴史と、自然とともに生きている充足感のようなものが画面の人々から伝わってきて、こちらもその香りを少しだけ味わうことができた。過去への想像が知らないうちに羽ばたいているのを感じる。特に中世の町には魅かれるものがあった。

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オルハン・パムク ORHAN PAMUK - CONFRONTATION CULTURELLE

2005-10-10 09:13:32 | 

イスタンブールやトルコに興味を持ってから久しい (18 septembre 2005)。最近の波が訪れた時にトルコ文学で活躍している作家を調べたことがあるが、名前はすべて忘れていた。先日読書雑誌 LIRE を手にとって見て、その中にイスタンブール在住の作家の記事が出ていたので読んでみることにした。

オルハン・パムク Orhan Pamuk (1952-)

写真で見ると若々しい。イスタンブールのボヘミアンの傾向のある家庭に生まれ、本を出すと20万部は売れるという人気作家。30歳を過ぎた時にアメリカの大学で3年間過ごす。そのことが、彼を世界の混沌とした状況の注意深い観察者にした。彼はサルマン・ラシュディーへのファトワに対してイスラム教徒として最初に反対した一人。トルコでアルメニア人の大虐殺が起こった時に、3年の懲役刑になるところだったようである。最近話題になっている欧州連合への参加には積極的な姿勢を貫いている (un farouche partisan de l'intégration de sa patrie à l'UE)。

この雑誌の最後に、「プルーストの質問 Questionnaire de Proust」 というページがあり、この号ではアンドレイ・クールコフ Andreï Kourkov というロシアからウクライナに亡命した作家がその質問を受けていた。その中の 「あなたの好きな作家は?」 の問いに対してあげた3名の中にパムクが入っている。影響力がある作家のようだ。

今回、新たに Neige (原題 Kar) という小説を出した。ドイツに12年住んでいた詩人でルポルタージュ記者の Ka がトルコに帰って選挙をカバーするために地方に派遣される。トルコに存在するヨーロッパ化した階層と中世風といってもよいくらいに伝統を重んじて生活している階層の二極化、東と西の対立を背景に、例えばベールの着用などの政治的に微妙な題材が扱われており、彼の最初の政治小説になるようだ。今日のトルコの状況が劇的な最後まで緊張感を維持しながら描かれていて、光りと影に引き裂かれたこの国の痛みに満ちた現在をその内部から理解しようするときの必読の書だと締めくくられている。

Il faut le lire pour comprendre, de i'intérieur, le présent si douloureux de ce pays déchiré entre lumières et ténèbres.

いずれ読んでみたい。いずれ、と言わなければならない状況が続いているが、、。また彼はイスタンブールの町について次にように語っている。

Je suis fasciné par cette ville et j'essaie de capter l'alchimie si singulière dont elle est le théâtre : ici, passé et présent se bousculent de manière anarchique, mais ils se marient parfois miraculeusement. C'est un voyage permanent entre tradition et mondernité, on transite sans arrêt d'un monde à l'autre !

「私はこの町に魅せられている。この町が舞台となっている独特な錬金術(の本質)を掴むように努めている。ここでは過去と現在が無秩序に溢れているが、時に奇跡的にその両者がうまく共存している。それは伝統と現代性の間の永遠の旅であり、われわれはある世界から別の世界へ絶え間なく移動している。」

私にとっては相変わらず興味の尽きない町である。

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(version française)

9 novembre 2005 オルハン・パムク再び ORHAN PAMUK - TURC, ESPRIT LIBRE

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マルクス・アウレリウス MARC AURELE SE MET A ECRIRE A 50 ANS

2005-10-09 11:12:08 | 古代・中世

ローマ皇帝マルクス・アウレリウスはバルザックやプルーストが書くのを止めた50歳から執筆を始め、亡くなるまでの9年間で12作品を書いたという。2世紀のローマでは、今のような評論家もいなかったし、第一皇帝に口を出すことなど考えられなかったであろう。それにしても素晴らしいことである。

Marc Aurèle (Marcus Aurelius Antoninus) (121-180)
un empereur et un philosophe stoïcien romain

この話を読んだ時に浮かんだのが、人生の時間の使われ方は全く人さまざまだな、ということである。ある時期から、それまでとは違うことに取り組めるだけのエネルギーが残っているかどうかだろう。バルザックなどはすでにすべてのエネルギーを使い果たしたことは容易に想像がつく (11 mai 2005)。

塩野七生によると、その声と姿が残っているローマ皇帝はマルクス・アウレリウスくらいであるという。彼の声は 「自省録Pensées pour moi-même の中に、またその姿はローマのカピトリーノの丘にある、運命のいたずらとその芸術性の高さによって歴史を生き延びた騎馬像として。いずれ彼の声と姿に触れてみたいものである。

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連休初日 CONGE DE TROIS JOURS - DOMINIQUE AUVRAY

2005-10-08 22:28:59 | 映画・イメージ

三連休の初日は雨模様であった。朝から検診なるものに出かけた。昼過ぎに終わったので久しぶりにIFJに寄り、図書館で読書雑誌 LIRE を読む (興味深い記事があったので次回に書いてみたい)。それから時間があったので映画を見た。

今のシリーズは、ドミニク・オーブレイ特集 (Hommage à Dominique Auvray)。彼は編集者で、最近監督としても活躍している人らしい。今日は、その第一作目が流れていた。

「船舶ナイト号」 Le Navire Night de Marguerite Duras (原作

疲れが溜まっていたのか、マルグリット・デュラスの語りを聞きながら終始うとうと。この映画は、私の持っているフランス映画の典型的なイメージに当てはまる。静かで動きがなく、言葉少なく沈黙が大切。景色のショットはきれいであった。内容についてコメントできないのは残念である。

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意外なパリ案内書 DAVID - MARAT - A PARIS (CIDEB)

2005-10-05 23:39:02 | フランス語学習

6月のパリで17-18世紀のフランス絵画展に行った (12 juin 2005)。その関連本が2週間ほど前に届き、雨の週末にぼんやり眺めていた(24 septembre 2005)。

Poussin, Watteau, Chardin, David...: Peintures françaises dans les collections allemandes XVIIe-XVIIIe siècles
David et le néoclassicisme
David

ジャック・ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis DAVID (1748-1825)

新古典主義の画家で、1804年にはナポレオンのお抱え画家になり、有名な 「ナポレオンの戴冠式」 や 「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」 などを描いている彼の絵の中に 「マラーの死 Marat assassiné」 を見つけた時、3年前にフランス語学習のために買った本が蘇ってきた。

À Paris (CIDEB, 1999)

フランス語を始めて1年が過ぎたあたりで、少し内容を楽しみながら言葉も覚えられないかという気持ちで手に入れた。CDを聞いての第一印象は、話すスピードも自然で (相当早く)、内容も高度になり、フランス語がそれまでとは全く違う言葉に聞こえたことである。道は遥か先まで続いているな、という感じである。当時は車の中でよく聞いていて、マラー Marat のエピソードは覚えていた。彼は皮膚病を患っているため長い間お風呂に入り、よく本を読んでいたが、そこでシャルロット・コルデー Charlotte Corday という人に胸を刺されて殺されるという会話があり、挿絵に今日の写真の絵が載っていた。

あの時の絵の作者がダヴィッドだったのか、という繋がりを見つけたのと、この本を改めて読み直してみて、パリとフランスの歴史、政治制度、美術、建築などのエッセンスが凝縮されている素晴らしいパリの案内書であり、フランス語教材であることを発見して、非常に嬉しくなった。この本の出版社がイタリアのジェノヴァにあることも今回初めて知った。当時は本を読むというのではなく、眺めていただけのようだ。

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ウィーンの4人展 KLIMT, SCHIELE, MOSER, KOKOSCHKA

2005-10-04 19:55:30 | 展覧会

明日(5日)からパリの Grand Palais で1900年あたりのウィーンの薫りたっぷりの展覧会が開かれる。

Gustav Klimt (1862-1918)
Egon Schiele (1890-1918)
Oskar Kokoschka (1868-1980)
Koloman Moser (1868-1918)

Le Point の紹介記事には、クリムトの Les Trois Ages de la Femme が載っている (今日の写真)。どういう背景で描かれた絵かは知る由もないが(誤解を恐れずに言うと)、この絵を見ていると、人間という存在が本来的に宿しているどうしようもない悲しさが迫ってくる。それが宗教や哲学、文学、絵画、彫刻などあらゆる芸術を生み出す底にあるものかもしれない。男三代を描いたのではそこのところは伝わらなかったであろう。

先日の Cinémathèque française のこともあり、少し浮き足立ってきているようだ。

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杉本博司 - 方丈記 HIROSHI SUGIMOTO - PHOTOGRAPHE SONGEANT

2005-10-02 13:38:59 | 展覧会

ネット・サーフィン中に杉本博司という人の最新のエッセイ 「苔のむすまで」 のキャプションに目が行き、初めての人だがすぐに興味を持った。

「私の中では最も古いものが、最も新しいものに変わるのだ」

その意味するところが最近よくわかるようになっていると感じており、この人がどんなことを考えているのか知りたくなった。写真集 "Conceptual Forms" とともに注文した。衝動買いである。

杉本博司 Hiroshi Sugimoto (1948-)

今回、文章を書くことになり、自分が書くことができるとは思わなかったという。しかし、鉛筆が紡ぎ出すうちに、自分の中に沈殿していて表に出てこなかったことが意識できるようになってきたと言う。その出来事に素直に驚いているようだ。

著者が写真家のせいか、白黒で済ませてしまう本が多い中、カラー写真もたっぷりと載せ、白黒写真も密度が高く、写真だけでも充分に楽しむことができる。おまけに、カバーにまでちょっとした驚きが隠されている。その語り口には緊張感があり、切り口がユニークで、古きものへのレファランスが至るところに出てくるので、時空を越えた空想の時間も流れる。退屈せずに味わうことができる。アメリカにいればいるほど、より日本人になろうとする、という彼の深層は痛いほどよくわかる。そこにある種の共感が生まれているのか、世界を見る時、あるいは過去と向かい合う時のスタンスが私と似ているように感じ取ったためなのか、自分に引き付けて読み進むことができる。

最初のエッセイ 「人にはどれだけの土地がいるのか」 では、ニューヨーク在住の著者の 9・11 経験から始まり、安元三年 (1177年) の大火の鴨長明による描写につながる。鴨長明と言えば先日から摘まみ読みをしている 「遅咲きのひと」 にも出ていて、あれッ(繋がっている!)という感じである。

鴨長明 Kamo no Chomei (1155-1216)

京都下鴨神社の杜氏の子として生まれ、その後を継ぐものとして育ったが、あることからそれが成らず、世を捨て醍醐寺の近くの方丈で過ごす。若くして世を捨てた西行 Saigyô (1118-1190) や功なり名遂げた後にお城に篭り思索の日々を送ったモンテーニュ Michel de Montaigne (1533-1592) などのことがすぐに頭に浮かぶ。彼らのような ermite の生活にどこか魅せられるものを常々感じているようだ。

そのほか、「不埒王の生涯」 で語られるヘンリー8世といずれも不幸な人生を送った(と思われる)6人の妻の話やニューヨークでの骨董店の開店から閉店に至る顛末や骨董を巡る考察が載っている 「骨の薫り」 も面白かった。

「骨董は『骨の薫り』だ。..骨の薫りはまた死の薫りでもある。自分の今生きているこの生が、こうして幾十世代もの死と結びついて鎌倉時代と繋がっているのだと思うと、私がどこから来たのか、遠い昔の懐かしい思いが込み上げてくる。」

この感覚がエッセイの通奏低音のように流れているのを感じる。まだ読み始めである。他にも興味尽きない話題が詰まっているようなので楽しみだ。

一緒に仕入れた写真集には、予想もしなかったことにフランス語の説明文が付いている。妙に嬉しくなる。国際的にも高く評価されているようなので、こちらもじっくり楽しみたい。

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(version française)

「ヘンリー8世と6人の妻」について書いています (16 octobre 2005)。

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フランス語でブログ COMMENCER UN BLOG FRANCAIS

2005-10-01 23:58:34 | フランス語学習

ひと月ほど前から暇を見てフランス語でブログを始めた。このアイディアは、7月にパリで Amateur d'art (Lunettes rouges) 氏に会って話している時に、ぼんやりと頭に浮かんだもの。

日本語だけでも大変なのにフランス語でもやってみようと思ったのは、彼が私の日本語のサイトを訪ねたらしいのだが、全くちんぷんかんぷんだったという話を聞いたことが第一の理由。折角訪問していただいたのに、こちらの思いを伝えられないことにもどかしさを感じたからだ。それとフランス語の文章を書く機会がないので、強制的にさせる以外に方法はないと悟ったことも大きい。

こちらのブログは書き始めるまでが大変で、実際に書くとなると相当の労力を要するが、今や修行だと思って諦めている。ブログを出した直後に、フランス語の専門家の Sophie さんから温かいコメントをいくつかいただいたのは大きな励みになった。

また今日サイトに入って見ると、私がリンクしている Vrai parisien さんから訂正のコメントをいただいた。「エキゾチックな」 フランス語 (なかなかいい表現だなと思った) ではあるが、こちらの思いを伝えることができるということを実感。少々ブロークンでもそれを晒すことにより、不注意や思い込み (これが意外と気付かない) を指摘してくれる人がいるということを確認できたことが、一番の収穫かもしれない。フランス語から外国臭が抜けるということは望むべくもないが、とにかくこちらの頭に去来するものを書き続けることが大切なのだろう、などと殊勝にも考えていた。

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