フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2012年2月①

2012年02月01日 | しゃちょ日記

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 2012年2月1日(水)/その942◇遊びの本質

 「あんたの弔いはいいねえ」

 地元・代々木上原商店街会長、
 葬儀屋金ちゃんと、昨晩"秀"にてサシで呑む。

 私より五つばかり年長で、スタイリッシュに長身な彼は、
 『ローマの休日』グレゴリー・ペックに似てないこともない。
 より正確に云えば、後ろ姿が似てないこともない。
 私の兄貴分・秀さんの葬儀の仕切りの見事さに私は感激し、
 以来親しく呑み交すようになった。

 昨日のメイン話題は、私の弔いについて。
 差し当たってのスケジュールには入ってないが、
 死んでから慌てても手遅れだしな。

 「馴染みの隅田川にさ、骨をまいてもらうことは出来んのかい?」
 暗黙の了解ながら、今はそういうことが可能だそうだ。
 パウダーにしてまくのだという。
 そこをメイン軸に、予算や段取りなどを決めた。
 四月の誕生日には毎年遺言を書き直すので、新たに組み込んでおこう。
 
 ハチャメチャ路線ゆえ40代前半でクタばることに何の疑いも持たなかった私だが、
 そこからすでに十年以上、ムダに長生きしていることに今さらながら驚く。

 あの頃は目標達成が夢だった。
 そして達成した途端にガタが来た。
 今は、目標達成のプロセスそのものが夢だ。
 だから、いくら長生きしても、逆にいつ死んでも支障はない。
 手遅れながらも、やっとのことで「遊び」の本質が視えてきた。


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 2012年2月2日(木)/その943◇防衛本能

 2014年3月号まで編集長を続けるつもりなので、
 ぎんぎらにアンテナを張り巡らし、
 やってみたい企画を発見することが日課になっている。

 アイデア探しに他の専門誌や雑誌をめくることも多いが、
 最近はそこでヒントを得ることは少ない。
 逆に、アルティスタを含むアフィシオナードとの対話から生じる
 インスピレーションが企画を決めることが多くなっている。

 売れる専門誌の戦略は「上達」にあることが普通だ。
 フラメンコ人口が右肩上がりだった1990年代には、上達記事が有効だった。
 発表会対策や技術講座などが特に人気だったが、数年前からその効果も薄れ始めた。
 その理由は「フラメンコ界の成熟」だった。
 小手先の知識や技術ではフラメンコに太刀打ち出来ないことに、
 多くの練習生たちが気づき始めたのである。
 震災後は国際不況と相まり、その傾向に大いに拍車がかかっている。

 彼が彼であること。
 彼女が彼女であること。
 つまり、私が私であること。

 知識や技術を自分で噛み砕く力がないと、フラメンコが借り物になってしまう。
 知識や技術は上級でも、それがその人なりに完全に消化されていないと、
 フラメンコが借り物になってしまう。
 上級者より初級者の方がよりフラメンコだ、みたいな現象が多発する。
 どんなジャンルでもそれは同じなのだが、フラメンコの場合は特にそれが顕著だ。

 その人、つまりその人の心と、知識・技術を結ぶものって何だろう?
 私が着目したテーマはそこだった。
 云い方を換えれば、「私が私であること」を発見・実践する方法。
 このテーマは、すべて借り物で構成されている私自身の人生にとっても、
 残り少ない人生を悔いなく生き抜くための重要なテーマだった。

 『フラメンコ力アップ!』『心と技をつなぐもの』『しゃちょ対談』などの連載は、
 そうした疑問と希求が通奏低音になっている。
 次期編集長・小倉が発見・担当する『伴奏者の視点』の肝もそこにある。
 これまでに30本ほど自ら担当してみて感じることは、
 表面上は皆それぞれ異なるのに、共通するぶっとい部分が明快であることだった。
 肉体は皆ストイックに多忙だが、その精神はすこぶる明るい勇気に充ちている。
 いつ果てるともわからない自分の人生を、真剣に楽しんでいる。
 楽しいことは楽ではねえことが身体に沁みている。

 「器用さをバッサリ捨てる」

 優れたアーティストたちに共通する法則は徐々に明らかになりつつあるが、
 この大胆戦略などは、私にとってまさしく目からウロコだった。
 「不器用に徹し、三日で出来ることでも、敢えて三年掛けてじっくり血肉化する」
 まあ例えばこういうことになる、一見かったるい戦略だ。

 簡単に身につくものは、すぐにはがれる。
 逆に、じっくり時間を掛けて、心と身体のシンクロ進行で、
 思考・感覚の両面から、曖昧な部分をすべて解決しながら身につけたものは、
 一生ものとなる。
 ブレないフラメンコ人生の第一歩だ。
 私にとっては目下のパセオ編集長稼業がそれに相当する。

 フラメンコはその人の人生に直結している。
 だから、皆それぞれに異なる輝きのフラメンコを発する。
 本人が一番楽しみながら同時に周囲に魅力と楽しさを発散させる、
 いわゆる「独りよがり」との対極。
 大量すぎる文明が忘れさせた、太古より人間個人個人がもれなく所有するポテンシャル。
 成熟しつつあるフラメンコ界では、そのことに皆気づき始めている。
 ついでながら、私もそのことに気づき始めている。

 そういう宝のジャングルに踏み込む試みは、現在トータルで30数本。
 差し当たっての目標を100本としたが、逞しく美しく生きる標本が多ければ多いほど、
 多くの範囲のアフィシオナードに豊かな結論をもたらすことが可能になるだろう。
 最後の最後になるかもしれないが、その結論はやがては私をも救ってくれるだろう。


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 2012年2月3日(金)/その944◇快感と苦痛

 「道は知ってるのに、車の運転ができない人」

 「批評家とは、つまり後宮の宦官(かんがん)だ。
  やり方は知ってるし、やるところを毎日見てるけれど、
  でも自分ではやれない」

 池澤夏樹さん『虹の彼方に』(講談社文庫)からの引用。
 前者は劇評家の自嘲、後者は劇作家の逆襲である。
 どちらもかなり厳しいが、確かにそういう評論屋は多いから、
 こういう逆襲はバランス的に好ましい。

 他人の欠点を見つけるのは本当に簡単だ。
 かつての私はそういう悪行の名人だと恐れられた。
 だが、そういう毒を吐くことは、えらく後味の悪いものだった。

 他人の長所を見つけるのが意外と楽しいことに気づくのは、
 30代の頃だったと思う。
 人付き合いが楽しくなったし、また楽にもなった。
 やがて、そっちの方が自分向きだと知った。

 ただし、欠点探しをまったくやめたわけではない。
 ったく、どうしょうもねえ奴というのはけっこう身近に居るもので、
 そういう輩を容赦なくブチのめすことは、やはり快感なのである。
 だが現在のところ、社会正義の観点からブチのめすにふさわしい対象が
 唯一わたしだけであるところが若干痛い。


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 2012年2月4日(土)/その945◇ノスタル爺

 バッハの無伴奏チェロを、久々にカザルスで聴く。

 古い録音だ。
 1938~1939年。
 昭和で云えば13~14年となる。
 2・26事件の二年後、太平洋戦争突入の二年前である。
 すでに他界した私の父と母は、まだ出逢ってすらいない。
 
 一方、バッハがこの奇跡の名曲群を作曲したのは、
 1720年前後と推定されている。
 わが日本では、暴れん坊・江戸幕府八代将軍徳川吉宗が、
 目安箱を設置した頃となる。
 あの新さんが悪人相手にバッタバッタと大活躍している頃、
 未来永劫人類を楽しませることになるこの音楽を、
 せっせせっせとバッハは作曲してたというわけだ。
 歴史に疎い私だから、それらを一元化するのは容易ではない。

 さて、そのカザルスのバッハ演奏。
 何せ70年以上昔の録音だから、さすがにザーザーと雑音が気になる。
 ところが、一分もしないうちに音楽そのものに没頭できるようになる。
 音楽そのものが、あきれるほどに圧倒的な力を持っているのだ。
 ヴァイオリンのクライスラーや、ギターのセゴビアの
 うんと古い録音でも同じような経験をしたことがある。
 アフィシオナードなら、例えばマヌエル・トーレやペイネスの録音で
 似たような経験をされた方も多いことだろう。

 最近は極めて上質な録音状態が当たり前で、
 しかも驚くほど完璧なテクニックで弾かれたものが多い。
 だが、音楽そのものの力で、知らぬ間に没頭させられてしまうものは、
 残念ながらそれほどには多くない。
 ある音楽評論家の感想を、ふと想い出す。

 「もう、さすがにカザルスはいいかと、若いチェリストのバッハを聴き始める。
  何人か有望な若手に注目する。ふと、鮮やかに力走する彼らの行く先を見やると、
  そこには悠々と走るパブロ・カザルスの背中があった」

 思わず無条件に共感してしまうような、いやいや、
 若い者だって負けてはおらんぞと反論したくなるような、意外と想いは複雑だ。


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 2012年2月5日(日)/その946◇更年期の楽しみ

 寝る前に書いたバッハの無伴奏チェロは、
 四十代半ばの人生の変わり目を、
 やさしくバックアップしてくれる音楽だという認識が私にはある。

 若い頃には鈍重に聞こえたチェロという楽器に、
 昔のようには身体の動かなくなってきた自分が
 えらく共感してしまうという若干もの哀しい構造なのだが、
 同時にそこには、中高年からの希望の道筋が見え隠れする。

 もうチャラチャラかっこつけてもしょうがねえ。
 自分は自分なりに、じっくり腰を据えた生き方がしてみたい。
 まあ、そんなような開き直りに勇気を与えてくれる音楽なのだ。

 合計6曲ある無伴奏チェロを通しで聴けば約二時間半かかる。
 この曲を録音できるのは優れたチェロ奏者に限定されるから、
 どんなCDを買っても、まずハズレはない。
 これまでに私も80セット余りを購入したが、
 その時の気分によって、聴きたくなる演奏は実にさまざまだ。

 同じソレアでも、カラスコ、エバ、マリパヘなど、
 それぞれの持ち味はまるで異なるので、どの踊りが一番というのではなく、
 その時感じたいソレアを選びたくなるのといっしょだ。
 そういう優れたバイレやチェロには、いつでも新たな発見があることも共通している。

 男も女も更年期には無伴奏チェロ。
 そこに話を戻せば、初回買いのお薦めはミッシャ・マイスキー。
 1999年の再録音は、明るい人間愛に満ち溢れる演奏という点において、
 かのパブロ・カザルス(1938~39年録音)の精神を後継する
 20世紀ヴァージョンの若手代表(現在64歳だが)と云えるかもしれない。

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 じゃあ、今現在、この21世紀においてはどうか?
 今のところカザルスやマイスキーの方向性は見当たらないのだが、
 2007年録音のジャン=ギアン・ケラス(現在45歳)には、何やら突出した凄みがある。
 敢えてフラメンコに例えるなら、あの"ドゥケンデ(現在47歳)"的な何かを感じる。

 そこには、希望に充ちたファンタジーをあきらめた世代の、
 現代社会の不安をそのまま受容するリアリストならではの、
 涙痕さえも乾ききった、腰の据わった希望がきこえる。
 
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 2012年2月6日(月)/その947◇茶漬け好き

 バッハの無伴奏チェロというのは、
 他の楽器のプレーヤーにもやたらと人気のあるナンバーのようで、
 私のCD棚だけでも以下のような編曲ラインナップがある。

1)ギター
2)リュート
3)ハープ
4)ハープシコード
5)ヴィオラ・ダ・ガンバ
6)ヴィオロンチェロ・ダ・スラッパ
7)ヴィオラ
8)コントラバス
9)リコーダー
10)トラヴェルソフルート
11)フルート
12)サックス
13)ホルン
14)琴

 コントラバスとホルンは、楽器の機能上やや苦しいが、
 他の楽器については、まるでオリジナルような響きで聞かせる。
 無意識によく聴くのはギターとリコーダーなのだが、
 こりゃやはり、自分がやってた楽器でバッハを疑似体験したいからだろう。

 今日なども仕事の合間に、いろんな楽器でちょろちょろ五種類ほど聴いたが、
 結局トドメに聴いたのは、とことん歌うピエール・フルニエのチェロだった。
 イタリアン・フレンチ・中華などの立食パーティの後で、
 家に帰って嬉々として茶漬けを食らう感じによく似ていた。


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