フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2012年2月②

2012年02月01日 | しゃちょ日記

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 2012年2月7日(火)/その948◇自業自得

 日進月歩するコンピューターに、
 引退した将棋の元名人が敗れたのは今年のことだ。

 途中までは、元名人が圧倒的に優勢だった。
 元名人の後手番の初手「6二玉」は、プロ同士にはまずあり得ない手だが、
 こうした奇手に、コンピューターが戦略を誤ることが稀にあるのだ。
 将棋界では知られていた手らしいが、コンピューター側がまだ対応できないらしい。

 そのへんの状況がよくわからない私は、
 ネット上に無料開放されている将棋ソフトに、久々に闘いを挑む。
 もちろん名人を負かしたソフトより遥かに性能は劣るが、
 安定してアマチュア五段程度の実力のあるソフトなので、
 すでにペーパー六段に老朽化している私は、並みの手段では勝てない。

 私が採用したのは、もちろんその「初手6二玉戦法」である。
 何手か進めると、滅多に狂わないはずのコンピューターが狂った。
 努めて上品に例えて云うなら、とってもお上品なレストランにて、
 いきなり立ち小便をやらかすような手を指したのである。

 序盤の30手ほどで私は大優勢となり、後は間違えなければ勝てる局面となる。
 だが、そこからコンピューターは底力を発揮する。
 とにかく、ことごとくイッパツを狙ってくる。
 そのイッパツの狙い方が、エグいと云うか暗いと云うか鋭いと云うか、
 テレビや映画で観る悪質なストーカーのような不気味さで迫ってくる。

 意表を突くそのパンチを一発でも食らえば逆転するので、
 こっちとしては、腰に重心を据えながらガッチリした受けに徹する。
 殊に中終盤に力を発揮するコンピューターは、
 弱い私にとってクロスカウンターを狙える相手ではないのだ。

 最後まで怖いイッパツを狙ってくる相手のパンチを、
 すべて丁寧に面倒を見ることで、結果としては大差で勝った。
 だが、後味はそれほど良くなかった。

 ひとつには、序盤におけるコンピューターの、
 人間としてどうにも共感できない乱暴かつ無機的なヴィジョンと戦略。
 もうひとつは、中終盤におけるストーカー的な罠の不気味さ。
 最後のもうひとつは、足を止めての殴り合いでは決して勝てないことの悔しさだった。

 人間が幼稚だからこそ、いや、私が幼稚だからこそ、そうした感想を持つのか?
 人間よりも、現代のコンピューターは神(宇宙)に近いのか?
 近い将来、究極のコンピューターが開発された時、その神のお告げに私は従うべきか?
 人自ら発明したすこぶる便利な文明と、人はどう共存すべきか?
 人自ら発明した文化は、どうすりゃその文明により善い影響を与えられるか?
 そして、われらフラメンコ派のこの先の役割は?
 おしまいに、そろそろハラが減ってきたが、朝めしは何を食うべきか?


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 2012年2月8日(水)/その949◇男と女

 「絶対に小山さん、気に入りますよ」

 鋭いアンテナを持つ、地元の後輩呑み友アキラがそう云う。
 その翌日、馬場駅前のムトウ楽器にて、アキラ推薦の三枚組CDを購入した。
 いつもはクラシックと落語しか買わない私だから、
 なじみの店員がちょっと意表を突かれたような顔をした。

 『稲垣潤一/男と女

 大ヒットした徳永英明さん同様のカヴァー・アルバムなのだが、
 すべて異なる女性歌手とのデュエットであるところがおもしろい。
 アレンジも凝っていて、何て手間ヒマかけた作品なんだと驚く。
 稲垣潤一さんが、私より二つ年上の1953年生まれと知ってさらに驚いた。
 お気に入りの三枚になりそうな予感。


 「なんか走りたくなりますね」

 編集部・小倉青年は、パセオにこだまするデュエットの歌声をそう評す。
 うーむ、「健全なる若さ」というのはそういうことか。
 極めて残念なことに、私は走りたくならない。
 走るたびにすってんころりと転んだ痛い想い出も多すぎる。

 締切落ちした原稿の、その哀しみの代打原稿を書きながら、
 シャーバーダー~娑婆駄馬ダー、と意味不明につぶやく。


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 2012年2月9日(木)/その950◇鉄楽レトラ

 ウェブ友あきらからメッセが入る。
 どエライ朗報だった。


 「こんにちは。
  いつもしゃちょさんの日記と、
  月刊パセオを愛読しているあきらです。
  もし、既にお耳に入っていたらすみません、
  ちょっと良い漫画を見つけましたので、ご報告をば。

  その名も「鉄楽レトラ」
   http://gekkansunday.net/rensai/letra/110412.html
   佐原ミズ著 小学館(「ゲッサン」掲載)

  少年誌である月刊少年サンデーに、
  少年がフラメンコを踊るストーリー!!
  第一巻は、主人公の男子高校生が紆余曲折の末、
  フラメンコ舞踊を始めるまでの話です。
  裾野が広がりますね~♪」

     
 ちーとも知らなかった。
 うーん、いい風吹いてきたねえ。
 パコ・デ・ルシア知ったの、おれも高校生の時だったしなあ。

 「鉄楽レトラ」を読んだ高校生が、
 フラメンコ始めたり、その中からスターが出たりとかね。

 あきら、ありがとよっ!


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 2012年2月10日(金)/その951◇mixi畏るべし

 パセオフラメンコ3月号の見本が刷り上った。

 『ダニエル・ムニョスのフラメンコ写真館』には、
 ドキッとするようなクオリティがある。
 写真を撮る人には衝撃的かもしれない。
 マヌエラ・カラスコとエバ・ジェルバブエナの
 対抗ページにおける冷やっとするユーモアなども見事に尽きる。

 さて、この3月号で実現できたことがひとつある。
 それはフラメンコ公演忘備録を独り書き始めた
 二年ほど前に定めたヴィジョンだった。
 
 「私以外の執筆陣で忘備録を構成すること」
 
 今回そう決め打ちしたわけではなかったのだが、
 公演原稿が重複したものについて、内容で1本選んだ結果、
 たまたま私の原稿がすべて落選したという実情である。

 批判や攻撃を恐れ、誰もがやりたがらなかった公演レビューを、
 公演感想という形で独り再開した企画だったが、
 いまでは、人気連載の五指には入る。

 その執筆者のほとんどは、ご存知のマイミクさんである。
 こうした展開は、ネットを始めた頃に構想した青写真の一部だったが、
 やはり伸び縮みできる双方向性コミュニケーションの
 ポテンシャルというのは相当に魅力的だ。
 mixi畏るべし!


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 2012年2月11日(土)/その952◇スポンジ

 「今はスポンジやるしかないみたいです」

 使命感と身銭を元手に、ある大きなイベントの実現に熱中する彼。
 若い頃の私もそういうタイプの人間だったから、
 1時間の予定の話が、ついつい4時間に長引いた。

 彼には止まらない勢いがある。
 そのヒリヒリするような熱情に、何ともやり切れないような、
 それでいて妙に懐かしい感情がよみがえる。

 何もないところに何かを創ることはやり甲斐のあることだが、
 大きな借金を喰らい、心身はボロボロとなり、
 さしたる見返りも生じないことは、彼は彼なりに承知している。

 若い頃の私よりも遥かに彼は純真だが、
 泥沼を泳ぎ抜く免疫は弱いから、そのぶん苦労は多いはずだ。
 ほんの少しの協力を約束したが、
 期待未満の結果に、内心彼はガッカリしたことだろう。

 自らスポンジになって、目標達成のために協力者の苦情をすべて吸収する。
 冒頭の言葉から、彼がそういう段階に入ったことが読み取れる。
 
 やらなくちゃならねえことじゃない。
 やりたいからやる。
 そこを忘れんなよ。
 まあ、骨ぐらいは拾ってやるから。

 何度か私は同様なことを云った。
 彼は私の失敗の歴史を熟知している。
 そういう冷たい言葉で頭を冷やしにやって来たと、私にはそう思えた。


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 2012年2月12日(日)/その953◇対話同士の対話

 昨日の岡田昌己『一輪のマルガリータ』における、井口由美子(みゅしゃ)の公演忘備録
 そのmixi日記への私のコメントを以下に。

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 おつかれ、みゅしゃ!

 アートのレビューというのは、
 そして殊に人生に直結するフラメンコのレビューというのは、
 単に個人の好みや舞台のクオリティうんぬんよりも、
 観た者の個人的な化学反応に基づく切なるエッセイであることが好ましいと、
 パセオフラメンコ的には、そういう方向性を理想としています。

 積み重ねられた観客個人の人生と、
 アーティストの人生を集約するただ一度限りの生舞台との心の対話。
 それらが誌面に記憶されることによって、
 舞台に対する、個々さまざまに真摯な接し方の実態は広く認知される。
 そうした連鎖が帰納法的な収穫を呼び込み、やがて普遍的な真実を浮き彫りにする。
 そんな対話同士の対話こそが、フラメンコの世界をより深く豊かなものに成熟させてゆく。
 そのように私は考えます。

 その意味でも、今回もまたとても読み応えのあるレビューでした。
 やはり昨日のステージを観た私の視点は、後半の地味な踊りに集中していました。
 さりげない老母の踊りの中に、グラシアの華が浮かんでは消え、消えては浮かぶ、
 渋く柔らかに美しい情景にひたすら酔っていました。
 裏を返せば、前半に純白衣裳で踊ったアレグリアスの真価を見落としていたわけで、
 みゅしゃの視点によって、それを補填できたというのが実情です。
 また、「切なるエッセイ」な部分にも大きな発見がありました。

 まあ、私としては自ら参加しながら、そういう対話同士の対話によって、
 自らの実人生をより豊かにするであろう好ましいヒントを発見すること、
 さらにそうした連鎖を広く促すことこそが、目下の最大の興味なのかもしれません。

 ということで、4月号もしくは5月号に掲載したいので、
 例によって原稿の清書メールを、至急よろしくお願いします。


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