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2009年07月16日/その16◇あるあるフラメンカ
あるあるフラメンカ。
当ホームページのイラストを担当するヨランダが
発案した日刊パセオのチョー人気連載で、
読者投稿(mixiなど)がとだえることもないし、
アクセス数も抜群だ。
これまでの「あるあるフラメンカ」のこの二作品は傑作だと思う。
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●うらら(三重県)
法事の時 木魚の音に
コントラをこっそり入れてしまった。
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●ゆきちゃん☆(大阪府)
呼ばれて振り向く時・・・
シャキッ!と肩の上に顎が来るように
精いっぱい首をきる。
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さて、こんなあるある名作に発奮した私も、
いかにもありそーな「あるある」をいくつか考えた。
(1)
あと一歩のところで電車に乗り遅れ、
ホームにとり残された私が、
くやしくてサパテアード(ゴルペ)を踏んだところ、
その振動で電車がちょっとだけ脱線してしまった。
す、すんません。
※(↑)あるある!
(2)
気合いを入れてカスタネットの練習をしていたら、
勢い余って、
カスタネットの本体を指でブチ抜いてしまった。
※(↑)あるある!
(3)
自宅の庭でマントンを振り回す練習をしていたら、
タツマキが発生して、
我が家を吹き飛ばしてしまった。
※(↑)あるある!
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2009年07月17日/その17◇三度のバッハ
「三度のゴハン」と云うが、私にも
「三度のバッハ」という生活習慣がある。
日に三度はバッハを聴くという、
高校時代に始まるこの善悪を超越する私のルーティンは、
途中、パセオフラメンコ創刊から十年位のブランクを除き、現在もつづいている。
ゴハンを食べて歯をみがいてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為なのだ。
ジェーもやってきて部屋が狭くなってきたので、
数年前にバッハのCDだけで約2000枚を泣く泣く処分したが、
それでも三度のゴハン的な超お気に入りバッハを500枚ほど残してある。
お米の貯蔵とほぼ同じ感覚なのだろう。
実を云うとこれは「ゴハン・セバスチャン・バッハ症候群」と呼ばれるチョー難病なのだが、
人体にはまったく影響がない。
むしろ調子がいいくらいだ。
1回の所要時間は5分から20分位のものだし、
最近では朝晩は散歩通勤中に、昼はランチの往復の道々に聴く。
ソフトもハードもない時に自分で歌ってしまう難点はあるものの、
やや不気味なだけで人畜無害だ。
さて、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750年)は、
地球最高峰のミュージシャンとも称されるドイツの作曲家&即興演奏家である。
そのバッハ演奏とくれば本場のドイツ人に限る、と当然そう思う。
ところがどっこい、オランダ、ベルギー、日本あたりが現代のバッハ演奏の主流なのだ。
だから、時おりドイツ人の優れたバッハ演奏家が出てきたりすると、
むしろ物珍しさでCDを買った上に
「へえー、やっぱ血筋も関係あるんだあ」などと妙な感心をすることになる。
ちなみに、大胆な創意工夫を特徴とするピアニスト、
シュタットフェルト(1980年~)もそんな演奏家の一人である。
彼は東西ドイツ統一後、ドイツ人で初めてバッハ国際コンクールに優勝した注目の若手なのだ。
はじめて彼を聴いた時、なにやら私はほっとしたものだ。
大バッハ没から、わずか250年ほどのちの話である。
ただ、バッハの演奏について、別にドイツ人が下手になったわけじゃないのだ。
この場合は、他国のミュージシャンたちが上手くなりすぎた、という話なのだと思う。
そう云や“バッハの哲人”あのグレン・グールドもカナダの人だし、
チェロのパブロ・カザルスだってスペイン人だもんね。
十年先の日本の柔道や相撲なんかも、どうなってゆくのかまったく予想がつかない。
特に相撲なんかは、ドヒョ~!!!(土俵)かもしんねーのだ。
ましてや、われらがフラメンコの百年先なんてことは……。
だが、ほんとうに凄いアートというのは、バッハというジャンルのように、
放っておいても軽々と国境を越え、諸国の人々に愛されながら拡張発展を続けてゆくものだろう。
バッハ同様、強靭な意志をベースに、
常にしなやかな柔軟性をもって展開するフラメンコの場合、しんぱいゴム用つーことかも。
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2009年07月18日/その18◇愛しのヌメロ
愛しのヌメロ。
http://www.paseo-flamenco.com/daily/2009/07/post_36.html
この日刊パセオフラメンコのトピは私のアイデアだったが、
それがゆえに、これまで見事にドン引かれていた。
で、きのう、mixiの募集トピにちょこっとテコ入れしたところ、
いきなり凄んげえクオリティの作品が集まりだした。
小品から大作まで、お笑いから感動まで、
それらはすでに私のイメージをはるかに超えている。
実を云うと、この企画は数年前にmixiで実施したアンケートで
かなりの好感触を得ていた隠し目玉だったのだ。
各ヌメロ(曲種)を学術的に演繹する作業は極めて重要。
そして一方では、各ヌメロの具体的なイメージやアイレを
帰納法的に検証する作業にぬかりがあってはならないと、
常々私は考えていた。
そう、この私にぬかりはないのであった。
ちなみに、抜け目はないが抜け毛は売るほどある。(TT)
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2009年07月19日/その19◇ケーソツ
将棋人口が3000万人以上だった頃のその昔。
将棋仲間のあいだで“3秒将棋”なるものが流行った。
自分が着手した瞬間に、
「イチッ、ニッ、サ~ン!」と相手の指し手を促す。
3秒以内に指さなければ、即座に負けとなる。
私たちが競走馬となり、大金が飛び交うことになる
“シンケン”とは異なり、一局千円のお遊びだったが、
時給230円の時代だから、それなりに熱くなった。
3でアホになる法則は、まだ発見されてない時代だ。
一瞬で10手前後は読む連中だが、
3秒では読みの正確さを確認するヒマもなく、
それまでに培った直観力だけが頼りの勝負。
この修羅場には、かなり鍛えられたと思う。
だから直観命のフラメンコにハマったのかもしれない。
私の決断がチョー早いのは明らかにその影響だが、
その私の英断がことごとく失敗に帰する理由は、
いまだに解明されていない。
てゆーか、今日のタイトルのまんまじゃねーの (TT)
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2009年07月20日/その20◇あらかんの逆襲(前編)
やることなすことエキセントリックに自爆するFは、無類の女好きだ。
根が純なので、駆け引きなどはいっさい使わず、
押しの一手で真っ向からぶつかるもんだから、勝率はそう悪くはなさそうだ。
Fは私よりかなりの年長で、親しい友人というわけではないが、
やはりアートを生業とする人間なので、年に一度くらいは顔を合わせる。
親しい仲間内の呑み会に、そのFが珍しく顔を出した。
愛する女のためにと、以前は煙草も酒もほとんどやらない男だったのに、
やけなハイペースで冷や酒をあおる。
「もう女はやめた」
唐突にFが切り出す。
「ええっ? Fさんが女狂いやめて、いったいどうするの?」
メンバー中、唯一の女性Rが突っ込む。
ややあって、Fはこう答える。
「オレが女になった」
ホモセクシャルをことさら蔑視し、常に女性に熱中するFの生態を、
かれこれ20年以上も観てきた私たちには、にわかには信じられない話だったが、
その後はFの独演会だった。
一年ほど前に完全なる方向転換を果たし、今では週に二度ほど、
新宿にあるその方面の店へ、
見知らぬ男にハントされに出かけるのだと云う。 (つづく)
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2009年07月21日/その21◇あらかんの逆襲(後編)
(きのうの続き)
その晩のFは饒舌だった。
そして、正直云って彼に好感を持っていなかったすべてのメンバーが、
これほどまでにFの話を真剣に聴き入ることは初めてのことだったろう。
詳細は省略するが、それは恥も外聞もかなぐり捨て、
人間存在の真実に迫らんとするかのような内容で、
実を云えば、大いに脱力しながらも私は感動していた。
かなり呑んだはずのFだったが、晴れ晴れとした顔で突然シャキリと立ち上がり、
テーブルに万札を1枚置き、じゃあねと云いながら素早く店を飛び出した。
呆気にとられた私たちは、しばし言葉もなかった。
彼の気質を知る私たちに、その仰天話は何の違和感もなかった。
ほとんどすべて事実だろう。
「あの歳でそこまでやるかい。しかも何で俺らにそこまで話す?」とOは苦笑し、
「まあ、よくあれだけ正直に、俺達に話したもんだよなあ」とYはため息をつき、
「しかし、奴さんも大したもんだよ」とUは、いつものバランス感覚を発揮する。
そして、男ではさんざ苦労したRは、涙目で意外なことを云う。
「ほんとは真摯な男の人だったのね。見直しちゃった」
Fの自殺を私は心配したが、それは余計な杞憂というもので、
それから一年経った今も、相変わらず彼は元気にやってるらしい。
かつて、Fとは青臭い人生論・文学論を闘わせて、その度に正面衝突したものだ。
彼のアクティブ性を大いに認めつつも、その方向性をまるで私は信用していなかった。
いまの彼が、自己の文学的本能のみをバックボーンに、社会常識などクソ喰らえで、
徹底的に自分の信念そのものを生きようとしていることに疑いはない。
いや、よくよく考えてみれば、不器用なだけで、昔から彼はそうだったのだろう。
彼から観れば、むしろこの私の方こそ、中途半端にバランスを取ろうとする
出来損ないの小市民なのかもしれない。
すでに還暦を越えた彼の勝負に、若い頃からのあの大胆でぶざまな生き様の一貫性を、
方向性の相違はそのままに、ようやくのことで私は了解したのだった。
もろもろあって若干のフィクションを交えたが、不敵に己を貫く彼の生き様は、
100%ノンフィクション、いや、100%フラメンコだと云ってみたい気もする。
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2009年07月22日/その22◇森山みえのフラメンコ留学記
『森山みえのフラメンコ留学記』
この夏、一年のフラメンコ留学を終え帰国する
ウェブ友みえの留学記。
短期集中・12回連載で、その初回が先日スタートした。
去年にひきつづき、みえは協会新人公演に出演するという。
日刊パセオフラメンコに人気読み物を!と、
ふと思いついた企画のひとつである。
今日の日刊パセオの一番上“バルぱせ”右横に、
その第二回『エル・トロンボ との出会い』をアップ。
みえには、まだ一度もお会いしたことはないが、
あるとき私の出身高校の後輩であることが判明し、
以来、同情と軽蔑の目で彼女のmixiブログを眺めていた。
残り少ない留学生活の締めくくりの時期に、
みえにはお気の毒な依頼(しかもノーギャラ)だと思ったが、
快く彼女は引き受けてくれた。
上下関係がとても厳格な高校で、ほんとうによかった。
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2009年07月24日/その24◇プライド
「おれ、プロの将棋指しになりたいんだ」
「……じゃあ、ユージは父さんの死に目には
会えないんだなあ」
勝負師は親の死に目に会えない。
こんな警句は現代では死語だろうけど、
中学三年の私の希望を承認しながら、父親はこう笑った。
職種は何でもいいから、仕事だけはキチンとまっとうしろよというのが、
彼の一貫した考え方だった。
それから八年。
病床の父の臨終を看取ることができたのは、家族で唯一、
皮肉なことにとっくに将棋のプロテストに落っこちていたこの私だった。
東京・神田に生まれた父は、
下町の自宅で紳士服仕立のちっぽけな店を営む職人だった。
遠方からもひっきりなしに注文が入っていたから、腕は悪くなかったのだろう。
そんな父の評判をよく外で耳にしてエヘンと誇りに思いつつ、
週に何度かは徹夜で黙々と注文をこなす父の
頼り甲斐のある背中を見ながら私は育った。
人様に迷惑はかけられねえ、
と一度として納期に遅れることがなかったことが父の自慢だった。
評判の腕前に自惚れることもなく、父の矜持はそんなところにあった。
今週のパセオ社は、あり得ない仕事上のすっぽかしを
二件連続で喰らっちまったものだから、
貧しくとも明るく筋目を通そうとする、そんな昭和の下町文化を
ついつい懐かしく想い出しちまった。いけねえ、いけねえ。
その後のスケジュール調整に四苦八苦する社員たちを横目に見ながら、
醜悪なコンパス破りに対するブチ切れをこらえるのに四苦八苦する私に、
人には寛大だった父の口癖がきこえてくる。
「な~に、そのぶんお前が頑張りゃいいさ」
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2009年07月25日/その25◇高田馬場で“舟歌”に学ぶ
きのうの昼下がり。
高田馬場駅前で信号待ちをしていると、
まるで私の双子の兄かのようなヨレヨレの
おっさんが、ヘッドフォンを耳に、
何やら体をクネクネさせている。
面白そうなので、さり気なく近づいてみると、
小さく聞こえてきたのは、
八代亜紀さんの名曲“舟歌”だった。
身ぶり手ぶりを交えながら小さく熱唱する、
いまにもヨダレを垂らしそうなおっさんの
そのお顔はすでに恍惚感が満開花盛りであり、
彼の中での彼は、まさしく、
八代亜紀中の八代亜紀であったにちがいない。
後ろめたさと共に、おっさんに親近感を覚える私。
お気に入りの交響曲(ブラ3、悲愴、40番など)を
聴きながら、
ひと気の少ない川筋なんかを選んで散歩するとき、
この私は、かのドイツの名指揮者ヴィルヘルム・
フルトヴェングラーになりきっている。
「聞こえないよ金管~、もっと大きくっ!」
「弦~、もっと歌ってー!」
「ティンパニ~、もっと鋭く切ってー!」
CD内のオーケストラに、
こんな指示を与えながら歩く私を、人はどー見るか?
高田馬場のおっさんのあの恍惚たる表情から、
何かとても大切な事柄を学んだらしい私は、
今後自分がフルヴェンになりきりたくなった場合の、
その変身スペースは、自宅の密室に限りたいと、
そう決意を新たにするのだった。
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