フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

これもひとつの再会 [286]

2010年03月22日 | 超緩色系



        これもひとつの再会


 
       


 「ゆうちゃん、おれ都電に乗りてえな」

 銀座で待ち合わせ、懐かしい昔話に盛り上がりつつ
 遅い昼飯を食いながら、やや唐突にキミハルが云う。
 東京東部の下町・小松川で生まれ育った幼なじみのキミハルは、
 小学校に上がる寸前に遥か遠い地方へと一家で引っ越した。
 その前日、私たちは抱き合って泣いた。

 その後、何年かに一度、忘れた頃に便りを寄こす彼とは、
 20代半ばに一度だけ故郷・小松川で呑み明かし、
 それ以来およそ30年ぶりの再会となる。

 「じゃあ日比谷線で三ノ輪に出て、荒川線に乗ろう。
 今はそれしか残ってねえんだよ」

 都電沿線で遊び育った私たちの最大共通項を持ち出す
 キミハルの提案に、即座に私は反応する。
 電車道脇の二人して通った駄菓子屋の楽しい想い出が点滅する。
 アメ玉、あんこ玉、メンコ、ビー玉、紙ヒコーキ......。

 学年的には同期だったが、
 早生まれの彼より一年近く早く生まれた私は
 自然と兄貴分となり、ややトロかった彼を外敵から守ったり、
 また子分扱いしたもので、私がどこへ行くのにも、
 ゆうちゃん待ってくれよおと、ふうふうハナを垂らしながら
 ついてこようとする彼だった。
 純朴で温厚なキミハルと我がままな私の相性は
 そこそこだったかもしれない。

 日暮れまでにはまだ間がある。
 三ノ輪から終点の早稲田までは一時間ぐれえだ。
 おめえの気が済んだら、どこかで降りて一杯やろうや。
 巣鴨や大塚あたりの盛り場をイメージしながら私はそう云う。

 そりゃサイコーだな、ゆうちゃん。
 満面の笑みでキミハルはそう返し、いい歳した親父たちは、
 レトロな雰囲気を残す三ノ輪の停車場から二人して都電に乗り込む。
 車窓に映える昭和の面影に、キミハルは夢中に見入り、
 私たちは黙りがちになる。


 チンチーン、浅間前、浅間前~と、
 うっかり居眠りしちまったらしい私の耳に、
 車掌の肉声が大きく響く。
 ん......おかしいな、ワンマン電車のはずなのに。
 しかも「浅間前」って、荒川線にそんな駅はないはずだ。
 おいっ、そりゃオレたちの長屋のそばにあった
 都電25番線「小松川三丁目」の隣りの駅だ。

 あわてて窓から景色を見ると、すでにあたりには夕闇が漂い、
 しかし確かにあの懐かしの中川の木造橋の上を、
 とっくの昔に跡形もなく消え去った廃線を、この都電は走っている。
 ゆるいカーブの坂を下り、このままだとあと十秒足らずで
 「小松川三丁目」に到着するはずだ。
 一体こりゃどういうことなんだ?

 「サンキューゆうちゃん、おれここで降りるよ」
 やや哀しげな、それでもあの人懐こい笑顔でキミハルは立ち上がり、
 じゃあねと小さく手を振り、ひとり電車を降りる。
 おい、待てよキミハル、キミハルっ!
 そう叫ぼうとする私は金縛り状態で声を出すことも
 身動きすることもできない。

 そこで目が覚めた。
 夢、だったか。
 クソおやぢの懐古願望と気づくのに、そう時間はかからなかった。
 キミハルとの音信は20年以上も前に途絶えたままだ。
 もはや彼の消息をたどる手立てもないだろう。

 だが今でもキミハルが、この汚れちまった心の中に健在であることが、
 私にはとてもうれしかった。
 いつかバッタリ会える可能性もゼロではないが、人間欲張ってはいけない。
 嬉し懐かしいこの淡い夢こそが、ヤツとの再会なのかもしれないのだ。



 

          



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