フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2010年2月①

2010年10月02日 | しゃちょ日記

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 2010年02月04日/その220◇まつがえた

 昨年の暮れ、岡田昌己さんの踊った『スペイン交響曲』は、
 実に稀なるクラシコ・エスパニョールの名演だった。
 ファリャの『スペイン舞曲第一番』や、
 アルベニスの『アストゥリアス』などとともに、
 クラシコには実にいい相性を発揮する、
 エドゥアール・ラロの代表的名作の全曲演舞である。

 交響曲と名づけられているが、
 実際にはヴァイオリン協奏曲であり、
 オーケストラ・パートが絢爛豪華なところから、
 そんな風な命名になったらしい。
 初演したヴァイオリニストは、
 あの名曲『チゴイネルワイゼン』の作曲者でもある
 パブロ・サラサーテである。
 ビゼーの歌劇『カルメン』のように、
 フランス人が作曲したスペイン物なので、
 よりスペイン風に聴こえるのが面白い。

 そのライブの折、スピーカーから音楽が放たれる瞬間、
 そのヴァイオリンのあまりに痛快な美音に、てっきり
 アルテュール・グリュミオー演奏の録音だと思い込んだ。
 だが、先日岡田先生にお会いした折、それを確認すると、
 実はイツァーク・パールマンの録音だったことが判明した。
 あらら。じぇんじぇん違うじゃん。

 家に帰って、パールマンとグリュミオーのそれを
 引っ張り出して、しみじみ聴き比べたよ。
 昔からヴァイオリンの聴き分けには自信を持ってただけに、
 もろにへこんだ。

 カマロンとシガーラを聴きまつがえるのとおんなじだから。
 プロコとショスタコをまつがえてはいけねーよ。
 サンマとアジをまつがえてはいけねーよ。
 サンマと紳助をまつがえてはいけねーよ。
 おやじとわらじをまつがえてはいけねーよ。
 おやじとおじやをまつがえてはいけねーよ。
 おじやと不二家をまつがえてはいけねーよ。
 不二家と富士山をまつがえてはいけねーよ。
            
 って、そこまでまつがえてはいねーとは思うんだけど。          

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 2010年02月06日/その222◇フラメンコにチャレンジ!小倉久寛インタビュー

 バイラオーラ鈴木敬子がコメディ&バイレで出演する、小倉久寛ひとり立ち公演vol.2『ウノ!ドス!トレス!』(2010年2月19~28日/新宿シアターサンモール/全14回公演)。詳細はこちらを。

HP写真(1)小倉久寛+鈴木敬子.JPG
【撮影/大森有起】

 さて、その本番を2週間後に控えた特訓中の稽古場。フラメンコギターのハードさに悶絶する、その主役、小倉久寛さんを直撃インタビューしてみた。

 HP写真(2).JPG
 【撮影/大森有起】

 今回、なぜフラメンコが?

「なんか思いついちゃったんです。
 前回はヒップホップ中心だったんですが、今回は踊り的にもヴァージョン・アップしようって。
 で、ひらめいたのがフラメンコ」

 フラメンコからは鈴木敬子さん。
 しかもコメディアン・デビュー?

「去年の夏に敬子先生のライブを観に行って、フラメンコの先生はこれで決まりって思ったんです。
 そしたら、もろもろあって、先生が出演することになっちゃった。
 もちろん、先生はコメディアン・デビューです(笑)」

 小倉さんがフラメンコギターで伴奏するんですね。

「ほんとはカスタネットやりたかったんですけど、4年かかりますって、敬子先生に云われてあきらめた。
 ギターはちょっとだけやってたことあるんで、じゃあギター伴奏で行くかって!」

 フラメンコのギター伴奏は
 最低十年かかると云われてます。

「やっぱりね。
 あんまり難しくて、何か別の楽器やってるみたいです」

 ギター指導は名手・矢木一好さんですね。

「ボクの伴奏で敬子先生が踊る。
 その伴奏を矢木先生に作ってもらいました。
 ビックリするぐらい、もの凄くいいですよ。
 ほんとなんです。矢木先生が弾くと」

 あっ、矢木先生が弾くと凄くいいんですね。
 でも、さっきリハを観させていただいて、
 おお、さすがにやるもんだ!って思いました。
 特に顔がですけど。

「あっ、そうですか?
 なら、顔で弾いちゃおうかな」

 フラメンコの世界でも大いに話題に
 なってますので、ファンにひと言
 メッセージお願いします。

「フラメンコって、思った通りほんとに凄いジャンルです。
 最後にフラメンコとヒップホップの対決というか、融合というか、10分間の白熱のダンスシーンがあるんです。
 ブレイクダンス世界大会で優勝した植木豪さんと、敬子先生。
 ボクらもみんなで踊ります。
 ボクたち2時間、一所懸命びっちり芝居しますけど、最後のダンスに全部持ってかれそうな予感がします」

 ありがとうございます。
 私も仲間ひき連れて、22日に観にいきます。
         (パセオ編集部/しゃちょ)

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 2010年02月08日/その224◇チョー勉強になった!

 パセオ2月号『堀越画伯インタビュー』に対する、
 「Mr.(みすた~)」の化学反応。

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 「東大、京大で一番読まれている本」の
 キャッチコピー、
 外山滋比古著『思考の整理学』。

 最近1章づつ読んでまして
 昨日読んだ章は『触媒』。

 英国詩人T.S.エリオットが唱えたのは
 「詩や芸術は己の個性を出すのではなく
 触媒として変化せずあらねばならぬ。」
 という説だそうで。

 こちらに書かれていた
 「化学反応」という言葉に呼応して
 「は!」と思いました。

 フラメンコという奥深いモノが表に出ようとする時に
 もしや、演ずる側は「触媒」に
 徹していかねばならぬのでは、と。

 堀越画伯が伝えていることはこれでしょうか。
 それは、画伯の様に芸術と向かい合い続けている方々の
 長年の思考の熟慮なのでは、と。

 それをフラメンコ周りで苦悩している
 面々に(私もその袖にこそっといたりしますが)
 教えてくださっているのではないか、と。

 『触媒』たることは
 「インパーソナルセオリー(没個性説)」として
 有名だそうで、私は不勉強で知らなかった故に
 大変、新鮮に感じました。

 著者の外山氏の話の流れはその説の紹介から
 発展していくので割愛しますが
 何か晴れ晴れとした気持ちになることでした。

 堀越画伯の記事も読んだ後に妙にすがすがしく
 「・・・。とりあえず出来ることをがんばろっと」
 という意外にも短絡な(笑)行動の
 モチベーションになりました。

 実は、マドリでナマ堀越センセイに
 ナマ突っ込みをされた経験があります 笑
 (「そんなんだからダメなんだよ」
 「すいません、トホホ」とうやり取りでした・・・。)

 あれから何年も経って、相変わらず
 トホホな自分で、ま、それもモチベーションか、と
 思っています。

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 う~む。
 ちーとも知らなかった。
 まさしくそれだね!
 みすた~、ありがとう!
 ちょー勉強になったよ。

 人間、いや生命の奥底にある共通項。
 それを想起させ、生命同士にそれを認識させること。
 それがアートの使命?
 それがフラメンコの使命?
 それは人間社会の価値基準を超えるかもしれないが。

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 2010年02月13日/その229◇愛の詩

 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ
 デスヌード6~愛の詩
 (2010年2月9日、10日、12日、16日
     東京・代々木上原/ムジカーザ)

201002desnudo_omote.jpg

 スペインの人気シンガーソングライター、
 ジョアン・マヌエル・セラートの名曲『愛の詩』を歌い踊るオープニングから、
 全篇「愛の詩」特集でフラメンコする今回のデスヌード。
 バイレは鍵田真由美、佐藤浩希、権弓美、矢野吉峰、工藤朋子、
 カンテはマヌエル・デ・ラ・マレーナ、ホセ・ガルベス、
 ギターはマレーナ・イーホ、斎藤誠という出演陣に加え、
 80席限定、オール生音という超豪華ライブである。

 ひたすらカッコええ、胸のすくようなカンティーニャ。
 佐藤浩希はフラメンコの男性舞踊の粋を、逞しい意志で存分に舞った。
 だが、それ以外の佐藤は、そこまでやるかあ!とツッコミたくなるぐらいの、
 陽気でおバカなフェステーロ(盛り上げ屋)に徹していた。
 それはおそらく、世界にも通用するであろう演出家・佐藤浩希の
 指示によるものだろう。
 終演後、彼の意図に気づき、その勇気と構想力に私は愕然とすることになる。

 そして、ライブ最終は鍵田真由美のソレア。
 技巧を技巧と感じさせない超絶技巧には磨きがかかり、
 その表情にはほとんど感情が表れない。
 確かに孤独ではあるが、その表現の源泉を成すであろう
 巨大なインスピレーションに、しかと彼女は支えられている。
 これは、「私」を放棄し「私の魂の源」を体現しようとするソレアだ。
 1月号のインタビュー記事に載るはずだった彼女自身が
 バッサリ削った最も重要な言の葉を、
 それを何十倍にも増幅して自らのアルテによって正々堂々と語り尽くす鍵田。
 それによってあの記事は、私の中でようやく成就されたのだった。

 客席からの熱狂的アンコール。
 フラメンコというメディアを仲介に生まれる、熱い感情と深い想い。
 いつものようにデスヌードの終演後に残る極めて上質な余韻。
 この世とあの世を直視しながらも泰然・清涼とする『デスヌード』は、
 殺伐とした報道をたれ流すことで殺伐とした世相を生み出そうとする
 既成メディアとは、もろに対極に位置するメディアのようでもある。

 だが、私の中にほんの少しだけ、何か漠然とした違和感が残る。
 その自問自答に数時間を費やす。
 ひとつには、彼らの勇気ある試行錯誤から生じるちっぽけなほころび。
 そして、残る90%の理由は、私のやっかみだと判明する。
 常にあらゆる批評を前向きに受け容れようとする彼ら。
 本当の対話を望む、そのブレのない謙虚な姿勢の奥底には、
 観る者の生き様そのものを問う匕首が青く透明に光っている。
                 

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 2010年02月14日/その230◇習性

 「このドラマはフィクションです」

 番組のラストにそう表示されると、
 「ええーっ、フィクションだったのお?~」
 と大声で叫ぶ習性は、容易には抜けないものだ。

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 2010年02月15日/その231◇一族の連帯

 およそ35年前。
 ひらがなを覚え始めたばかりの幼い姪っ子は、
 テレビドラマの終わりに「つづく」の表示が出ると
 得意げにこう叫んだ。

 「つづへ」。

 以来わが一族では、
 連続ドラマのことを
 「つづへ」と呼ぶようになった。
       
          とほほ1.jpg

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 2010年02月17日/その233◇心の筋トレ

 乗り物での移動中は原稿を書くことが多いが、
 その気にならない時は、
 ボケ防止も兼ねて詰め将棋を解く。
 今さら手遅れとは、このことである。

 将棋.JPG

 その親父のやってる居酒屋に行くと、
 ビールと一緒に、彼の創った詰め将棋の新作を記した
 ペラ紙をニコニコ顔で手渡される。
 将棋の専門誌に作品が掲載されることもある彼の
 詰め将棋創作の評価は、世辞抜きで高い。
 ビールの大瓶を呑み下すまでの10分ほどで
 正解を答えることが私の重要任務であり、
 「9手目の桂馬がおっさんらしい華麗な妙手だよ」
 などとひとこと加えると、
 ビールの大瓶を1本進呈してもらえるシステムなのだ。

 15手詰め前後の作品を得意とし、
 必ず洒落たトリックを挿入する作風に
 おっさんらしい飛びきり上等な味わいがある。

 ある時、しばらくぶりで行ったその店に到着するなり、
 初段レベルが数名混じるギャラリーの前で、
 おっさんの最新作を解くことになった。
 営業や接待に追われ、
 切り込み型の思考回路がにぶっていたこともあり、
 10分考えてもその17手詰めを解くことが出来ず、
 すでに日本将棋連盟からアマ六段の認定を
 得ていた私は、多くのギャラリーの前で
 看板倒れの赤ッ恥をかくことになった。

 以来私は、バッグの中に必ず詰め将棋の載った専門誌や
 専門新聞を忍ばせ、少なくとも1日1題は解くことで
 唐突に訪れる試練に備えることを習慣化させた。
 彼が他界してすでに十余年。
 頑固だが気のいいおっさんの面影とともに、
 そんなささやかなルーティンだけが残った。

 詰め将棋というのは、
 一見解決不可能のように見える問題を、
 直感プラス理詰めで解決するトレーニングの
 ようなものなので、間接的に
 仕事の役に立ってくれている可能性はある。
 と、そう思いたいのは山々だが、
 そのわりに仕事は常にボロ負け状態なわけだから、
 私にとっての詰め将棋は、
 むしろ負けても負けても投げない根性を鍛える
 心の筋トレと云った方がより正しいような気がする。

 詰め将棋は将棋の専門誌の定番アイテムだが、
 フラメンコの専門誌におけるそんな「心の筋トレ」
 ってどんな企画だろう?
 と、ふと考えてみたくなった。

           1067427_2064001160s.jpg   
           [写真、私の右上がおっさん] 

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