パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

ユニバーサルデザインとは

2022年01月18日 | 本・マンガ・テレビ・映画
1月18日(火)晴れ

読んだ本の感想を書きたいと思いつつ、毎日バタバタしているうちにもう1月半ば。
今、お気に入りの、鈴木るりか著「14歳、明日の時間割」も面白かった。
ブレイディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」も、読み始めは「やはり最初のあのインパクトは無いかな。あれは衝撃的だったものね」なんて感じだったが、やはりじわじわ素晴らしい。
岸田奈美著「もうあかんわ日記」は、相変わらず面白くて切なくて考えさせられて爆笑する。
ものすごく納得した文があったので、思わず写真に撮る。
書き出してみます。

ユニバーサルデザインやバリアフリーを「だれもにとって便利で快適で安心なもの」と説明する人がいるし、わたしもかつてそうだったが、いまは「そんなもんねえぞ」と言い切る。
  〜中略〜
ユニバーサルデザインとは、「だれもにとって便利で快適で安心なもの」ではなく、「前向きなあきらめと、やさしい妥協と、心からの敬意があるもの」だと、わたしは思う。

そして彼女がその例として点字ブロックのことをあげている。
点字ブロックは視覚障害者にとって便利で安心だけど、車いすやベビーカーを使う人にとってはガタガタして不便だと。
誰かにとっての便利は、誰かにとっての不便。誰かにとっての幸せは、誰かにとっての不幸だと。
そして、先の「前向きなあきらめと〜」へとつながる。
しみじみ自分の浅はかさを思い知る。
ワタクシは、音訳ボランティアをしてるということで、視覚障害を持つ友人もいるし、つい肩入れしていたと気づく。
少し前に、ブログ仲間が、点字ブロックにつまづいて友人が怪我をされたという事を書かれていた。
ワタクシ、それを読みながら「でも、それは健常者が気をつけるべきで、点字ブロックに罪はないのでは?」と感じた。
しかし、その後、もっと色々話を聞きながら、ああ、ワタクシは浅はかだなあとか、物事を一面からしか見られないなあと反省した事を思い出した。
バリアフリーだのユニバーサルデザインだの言って、ただ手すりを付けたりしても意味がなかったりもするよなあ確かに。
点字ブロックの色も、黄色は趣味が悪いだの街の景観に合わないだの言われて無色の箇所があったりするが、
あの黄色が、弱視の人達に識別しやすい色らしいのだ。
障害の程度とかにもよって、もうそれはホント一辺倒ではいかない事なのだ。
それをちゃんとした言葉で教えてもらった気がした。

今、これを書きながら思い出した話。
弱視の方が、トイレに入って、さあ流そうとした時に流すボタンが見つからない。
どうしたものか。
あちこち触りまくり、それでも見つからず、泣きたい気持ちで立ち上がったら、自然に流れた・・・
ああ、ありますよね〜そういうトイレ。
こういう所こそ、統一すべきではないのかなあと思う。
公衆トイレが綺麗になってきたのはとても良いことと思うけど、どんどん清潔になるのは良いけど、消毒の為にトイレットペーパーでシュッと拭いて、
用を足す時には音姫のボタン、用を足した後はボタンを押して流す。
この一連の流れが、トイレによって微妙に違うから、目の見えているワタクシもキョロキョロする。
弱視の方はさぞ悩まれることだろう。
せめて公衆トイレは、仕様を統一できればいいのにと思う。
とはいえ、これまた、別の障害を持ってる方には、また何か不都合な事とかあるのかもしれないし、難しいなあ。

岸田奈美さんを知ってから、こういうことについて考えることが増えた気がする。
まずは知ることだと思うので、ワタクシは、以前のワタクシよりは少し進んだと思いたい。

今日の一枚は・・・
コタツの出現をだれより喜んでいる猫。
コメント
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