パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

「産む」ということ

2007年02月02日 | からだのこと
2月2日(金)晴れ
今朝夫はちょい早出。
宇都宮へ行くらしい。
今日のお土産は餃子かしら?
先日は銚子に行って、薩摩揚げとサバカレー缶のお土産。
サバカレーとは、また懐かしや。
「玉置浩二と浅野温子だったかしらねえ~」と言うと、さすが芸能通!という目をされた。
ふん!常識です!

今ちまたで話題の「産む機械」発言。
野党がわーわー言ってるのはいつものことで、それに乗っかる気はさらさらないが、
しかし・・・こういう発言する人って、どんな言い訳をしたって、人間としての本質と言うか
根底に、そういう意識があるんだと思う。
それにしても、「産む」ということはほんとナイーブな問題だ。
私自身も、この「産む」ということに関しては敏感に反応する。
私自身は母性本能が豊かに備わってるとは思えないし、「子供好き」かと聞かれると自信もって即答はできない。
しかし結婚したら子供を産むという図が頭にあり、娘が産まれるまではピリピリしてた。
前夫の親戚に「畑が悪いのか種が悪いのか」と言われたことがある。
決していぢわるな人ではなかったし、とても可愛がってもらったし、人間的にも尊敬できる人だっただけに
一段と驚きショックだった。
でも、産むことを「当たり前の女の仕事」と思ってる人は、結構平気でこういうこと言うんだなとも思った。
いわゆる適齢期という時期にばたばたと結婚した友人達と私であったが、
友人達がぽんぽん(ってこういう言い方にも私のねたみが含まれている)生んでいくなかで取り残されていく気持ち。
そして友人Yが言う「次はnの番だねっ!」
私は心の中で「順番で言うなら、そっちはフライングだろっ!」とののしる。
長い不妊治療を続けてたタレントの西村知美さんが言ってたが「どんどん性格が悪くなっていくのがつらかった」
同じ治療をしてた人が懐妊するのを素直に喜んであげられなくなっていくのがつらかったと言う。
わかるわかる。
娘を産んで、やっとその呪縛から解き放されたかというと、この出産問題は終わることはない。
離婚した私を心配して、友人達がいろいろと画策してくれる。
「私の高校時代の恩師なの。一度会ってみない?」
え?同級生の高校時代の恩師ってことは、いったいおいくつの方なのだ???
あまりに熱心に友人が薦めるので断りきれずに会うことになる。
しかし私の中では会う前から「申し訳ないけどお断りするわ」という、まるで相手はワタクシを気に入るであろうが
ワタクシはお断りいたしますという高飛車な気持ちであった。
そして当日・・・ブランド服に実を固めた、ダンディなおぢさまと高級料亭で会う。
しゃべり始めてすぐぐらいだ。
そのおぢが言うのだ。
「Kからあなたのことを薦められた時、正直迷いました。
僕はもっと若い人を捜していました。
でも考えてみると、若い人はこの先子供を欲しがるかもしれない。
僕は離婚した妻との間に子供がいますし、孫もおります。
だからもう子供はいらない。
そう考えると、若い子よりあなたくらいの年のかたのほうがいいかもしれないと思いました。」
ちょっと言い方は違ったかもしれないけど、大体こんなニュアンスのことをのたまった。
おぢさまとお食事くらいしてさしあげるわ的なタカビーな態度で来てる私はびっくり!である。
60前のおっさんといえど、まぁ~だ20台のギャルと再婚を夢見てるのか。
私だって、当時はまだ35過ぎたくらいだったのだ。
私はばっさりと彼を袈裟切りした。
そして友人Kに「わたしゃまだあと3人は産むつもりだ」と伝えてくれ!と言ったのであった。
産めと言われて腹を立て、産むなと言われても腹を立てる。
そう!まさに、産む機械じゃないんだよっ!ってとこだな。
コメント (2)
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