パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

父の話

2007年01月22日 | からだのこと
1月22日(月)曇りのち晴れ
今朝、実家の母からの電話中に、イチがゲロした気配だけは感じたのだが、
その物体を見つけられない。
いっそ、また食べててくれれば良いのだが・・と動物愛護団体からクレーム来そうなことを願う掃除嫌いの飼い主・・・

重い鬱で入院中の私の父。
年末に帰省した時病院へ見舞う。
母からだいたいの様子は聞いて覚悟はしていたが、やはりものすごいショックだった。
父という人は、昭和ひと桁生まれで、九州男児を絵に描いたような人。
私にはめちゃ甘だったが、兄とかはバシバシしばかれることしばしば。
母に対しても厳しくて、母の人権なんてあったもんじゃないなあ~と思っていたくらいだ。
しかし、母なしでは何も出来ない人でもあり、母の扱い方に問題はあったにせよ、
母のことをとても好きなことはよくわかっていた。
だから母も理不尽なこと言われても、束縛されても、我慢出来たのだろうと思う。
自殺願望というのか、重度の鬱状態が続き、夜眠れなくなり、見張る母も眠れなくなるという状況で
とうとう救急車を呼ぶ。
しかし、ほとんど目が見えないということで、どの病院からも断られ続けたらしい。
そして、昔からある、実家から1キロほどの精神病院が受け入れてくれる。
4人部屋のその病室に、母が見舞うと、黙ってむつかしそうな本を読んでる青年、
ぶつぶつと壁に向かって独り言をつぶやいてるおじさん。
おしゃべりもできないような環境の中にいる父がかわいそうで、かわいそうで・・・と電話で母が泣いた。
しかし遠くに離れてて何もできない私と兄は、母まで倒れたら困るからと
しばらくの入院を勧めた。
そして治療が始まったらしいのだが・・・
しばらくして母が、先生は薬のせいだからとおっしゃるんだけど・・・と言いながら
父の発言がおかしくなり始めた事を告げる。
こんながれきの山の中におれを一人置き去りにして、どういうつもりだ!
家の権利書とかあれほど大事にしておけと言ったのに、とうとう家を人手に渡してしまった!
nたち(私達家族3人)はかわいそうなことだった。飛行機事故で死んでしまった。明日のNHKのニュースで流れるはずだ。
オレはこの病院から選ばれて、長崎へ腎臓を提供しに行かなければならない。そして一月中旬に死ぬ。
そうかと思うと、母のことをものすごく罵り、「オレがこうなってしまったのはこいつのせいだ。」とか
毎日毎日見舞う母に「入院して一ヶ月たって、やっと今日初めて見舞いにきたバカ嫁だ」とか
ご飯を食べさせようとするとばーんと手を払いのけたり、父の兄弟のおじちゃん達に
「こいつとは別れて、また昔みたいに兄弟で仲良く暮らそう。」と言ったり・・・
母大好きな父しか知らない私には信じられないことばかりである。
母もまさに尽くすとは彼女のためにある言葉というくらい尽くしてきたのに
こういうことを言われ続け「情けない」と泣く。
また、私のことだって溺愛してたじゃん!どうして飛行機事故で殺す???
毎日のように、涙声での母の電話を聞きながらも、信じられない気持ちであったし、
娘よりもさらに溺愛していた孫の声を聞かせれば正気にもどるのではないか?と思ったりもした。
しかし・・・帰省して見舞った現実は、やはり壮絶で、よく小説に出てくる「廃人」という言葉の意味が初めて分かったような気がする父の姿であった。
ただただ「薬のせいですから、戻ります」という先生の言葉だけが心の支えだった。
義姉も「うちの父も、心臓で入院した時、暴れて、わがまま言い放題で、
点滴の管ちぎったりして、ホントびっくりしたよ。
でもそれも薬のせいですからって言われてて、その後すっかり元通りになったよ。」
義姉のお父上は温厚な方で、娘二人に手もあげた事ないような方なだけに、それはそれはショックだったであろう。
しかし・・病気が病気だし、年も年だし、もうこのままこの妄想の世界から帰ってこられないのでないかと思ったり、
こんなことなら、もっと父に優しくしてれば良かったとか反省したり、
やはり入院させたのが良くなかったのではないかと、暗に母を責めるようなこと思ったり・・・
でも、帰省して見舞ったことで、現実を見たこと、昔のイメージの精神病院への偏見がぬぐいされたことは良かった。
先生を信じて、もう少し様子を見ようよ。
お母さんも、毎日見舞うことが負担になってるなら、一日おきとか二日おきにしなよ。
今、心ここにあらずのおとうさんは、お母さんが来ても来なくてもわからない。
おとうさんのためというよりも、
心のどこかで看護婦さん達に「いい奥さん」と思われたいから毎日見舞うのだとしたら
少し休憩してもいいんじゃない?
見舞わないことで「悪い奥さん」と思われるんじゃないかというストレスと、
毎日見舞う肉体的精神的ストレスを秤にかけてみたら?
などと、親に対して、ちょっとキツい言い方かなとは思いつつ、言ってみたりした。
そしてまたそれから数週間たった今朝、母から電話。
ここ数日、父が少しづつ正気に戻り始めてるらしい。
自分で「オウムじゃないがまだ少し洗脳されてるようだけど」と言いながらも、
前日の会話をちゃんと覚えていられたり、娘家族を死なせてたことを苦笑いしたりするらしい。
これでほっとしてたら、まだまだ甘いのかもしれないし、
また違う波が押し寄せてくるかもしれないが、今朝は少しだけ安心している。

コメント (3)
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