ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

浅草雷門で・・

2006年04月24日 | 私ごと
 小さい頃 東京に住んでいた。
小学校の時 島根に来て高校を卒業するまで、東京に行くことはなかった。
東京は父方の親戚や、私の従妹がいて、時々手紙をもらうと「会いたい、会いたい」と言ってくれてたが、なかなか行けずにいた。その内 愛想なしが東京の大学に行き、そのまま東京で住みついてしまったので、その後何度か東京に行った。
たまたま@テツ君が雷門の写真を掲載していたので、私も探して見たらあったよ。
暑い夏だった。この時多分、羽田からモノレールで浜松町に行き、品川から新馬場に行って、先祖のお墓にお参りして、浅草に行った時ではないかと思う。
荷物を抱えているのは、その前に東京に行った時、品川のホームのコインロッカーに荷物を入れたはいいが、例によって、どこに入れたかわからなくなり、何時間も探し回り、冷や汗をかいて、本当に田舎に帰りたくなったことがあるから、抱えている。

 この写真も一緒に出てきたのだけど、多分からくり時計のお人形が突然踊りだして、驚いてシャッターを切ったのではないかと・・これ浅草だよね。違うかな?

 さてさて話はさかのぼるが 東京オリンピックが終わった年 島根に引き上げてきてから初めて東京に行った。
その時 小さい頃すんでいた、平町とか、板橋とか行ってみた。とても行きたかったので、父親にどうしても行きたいと頼んで連れて行ってもらった。
けど、面影がないばかりか、住んでいた家すらなく、時の移り変わりの速さをひしひしと感じただけだった。

父親は笑いながら「我々が大陸から引き上げてきた時には、東京は焼け野原で、銀座など、あちこちに綱がはってあったよ、ここが私の土地ですと綱を張ってテントにでも住み続けていれば、今頃は銀座の大地主になっていたよ。」とお酒を飲んだらいつも笑いながら言ってたな・・

 それから 次に東京に行ったのは、結婚して、愛想なしがまだまだ、素直でいい子だった4歳ごろ家族3人で(レインボーはまだ生まれていなかった。)行った時だ。

この時もまた、新宿の地下街で、コーヒーショップに入って、トイレを借りようとしたら、外の突き当たりを曲がった所と教えられて、行くには行けたのだが、私は自分の病気を忘れていた。
帰ろうにもわからない、そこを出たら、右だったか左だったか・・どうしよう、うろうろあっちにいったり、こっちに行ったり、携帯電話などない時代(あっても私は駄目だけどね。)うろうろしてどれくらいの時間がたったのかわからないが、突然愛想なしが迎に来てくた。「お父さんが帰らないから迎にいってやれと言ったから・・」地獄で仏にあったようとはこの事だと思った。
人間 あまり情けないと悲しみじゃなくて笑いが出るよ。へへへ・・・とね。

まだまだこの手のエピソードは数え上げたら切がないが、この前何かの本で読んだけど 女優の村松英子はものすごい方向オンチで、外国で何度も帰れなくなり、行方不明になったことは数え切れないと・・
いるんだね、私より上手が、嬉しかった。

出かけるたびに同じ話になる天然記念物級の方向オンチを遺伝子のせいにしたいけど、これが誰もいないのよ、わが血筋には・・それでは突然変異だろうか?
それともかぐや姫のように竹の中から光り輝いて生まれたんだろうか?
誰です? 安光姫とクローン親子だと言う人は・・


晴れ  15℃  
朝から 黄砂で凄い。隣のFさんの奥さんもお布団が干せないと言っています。