小さい頃 東京に住んでいた。
小学校の時 島根に来て高校を卒業するまで、東京に行くことはなかった。
東京は父方の親戚や、私の従妹がいて、時々手紙をもらうと「会いたい、会いたい」と言ってくれてたが、なかなか行けずにいた。その内 愛想なしが東京の大学に行き、そのまま東京で住みついてしまったので、その後何度か東京に行った。
たまたま@テツ君が雷門の写真を掲載していたので、私も探して見たらあったよ。
暑い夏だった。この時多分、羽田からモノレールで浜松町に行き、品川から新馬場に行って、先祖のお墓にお参りして、浅草に行った時ではないかと思う。
荷物を抱えているのは、その前に東京に行った時、品川のホームのコインロッカーに荷物を入れたはいいが、例によって、どこに入れたかわからなくなり、何時間も探し回り、冷や汗をかいて、本当に田舎に帰りたくなったことがあるから、抱えている。
この写真も一緒に出てきたのだけど、多分からくり時計のお人形が突然踊りだして、驚いてシャッターを切ったのではないかと・・これ浅草だよね。違うかな?
さてさて話はさかのぼるが 東京オリンピックが終わった年 島根に引き上げてきてから初めて東京に行った。
その時 小さい頃すんでいた、平町とか、板橋とか行ってみた。とても行きたかったので、父親にどうしても行きたいと頼んで連れて行ってもらった。
けど、面影がないばかりか、住んでいた家すらなく、時の移り変わりの速さをひしひしと感じただけだった。
父親は笑いながら「我々が大陸から引き上げてきた時には、東京は焼け野原で、銀座など、あちこちに綱がはってあったよ、ここが私の土地ですと綱を張ってテントにでも住み続けていれば、今頃は銀座の大地主になっていたよ。」とお酒を飲んだらいつも笑いながら言ってたな・・
それから 次に東京に行ったのは、結婚して、愛想なしがまだまだ、素直でいい子だった4歳ごろ家族3人で(レインボーはまだ生まれていなかった。)行った時だ。
この時もまた、新宿の地下街で、コーヒーショップに入って、トイレを借りようとしたら、外の突き当たりを曲がった所と教えられて、行くには行けたのだが、私は自分の病気を忘れていた。
帰ろうにもわからない、そこを出たら、右だったか左だったか・・どうしよう、うろうろあっちにいったり、こっちに行ったり、携帯電話などない時代(あっても私は駄目だけどね。)うろうろしてどれくらいの時間がたったのかわからないが、突然愛想なしが迎に来てくた。「お父さんが帰らないから迎にいってやれと言ったから・・」地獄で仏にあったようとはこの事だと思った。
人間 あまり情けないと悲しみじゃなくて笑いが出るよ。へへへ・・・とね。
まだまだこの手のエピソードは数え上げたら切がないが、この前何かの本で読んだけど 女優の村松英子はものすごい方向オンチで、外国で何度も帰れなくなり、行方不明になったことは数え切れないと・・
いるんだね、私より上手が、嬉しかった。
出かけるたびに同じ話になる天然記念物級の方向オンチを遺伝子のせいにしたいけど、これが誰もいないのよ、わが血筋には・・それでは突然変異だろうか?
それともかぐや姫のように竹の中から光り輝いて生まれたんだろうか?
誰です? 安光姫とクローン親子だと言う人は・・
晴れ 15℃
朝から 黄砂で凄い。隣のFさんの奥さんもお布団が干せないと言っています。
小学校の時 島根に来て高校を卒業するまで、東京に行くことはなかった。
東京は父方の親戚や、私の従妹がいて、時々手紙をもらうと「会いたい、会いたい」と言ってくれてたが、なかなか行けずにいた。その内 愛想なしが東京の大学に行き、そのまま東京で住みついてしまったので、その後何度か東京に行った。
たまたま@テツ君が雷門の写真を掲載していたので、私も探して見たらあったよ。
暑い夏だった。この時多分、羽田からモノレールで浜松町に行き、品川から新馬場に行って、先祖のお墓にお参りして、浅草に行った時ではないかと思う。
荷物を抱えているのは、その前に東京に行った時、品川のホームのコインロッカーに荷物を入れたはいいが、例によって、どこに入れたかわからなくなり、何時間も探し回り、冷や汗をかいて、本当に田舎に帰りたくなったことがあるから、抱えている。
この写真も一緒に出てきたのだけど、多分からくり時計のお人形が突然踊りだして、驚いてシャッターを切ったのではないかと・・これ浅草だよね。違うかな?
さてさて話はさかのぼるが 東京オリンピックが終わった年 島根に引き上げてきてから初めて東京に行った。
その時 小さい頃すんでいた、平町とか、板橋とか行ってみた。とても行きたかったので、父親にどうしても行きたいと頼んで連れて行ってもらった。
けど、面影がないばかりか、住んでいた家すらなく、時の移り変わりの速さをひしひしと感じただけだった。
父親は笑いながら「我々が大陸から引き上げてきた時には、東京は焼け野原で、銀座など、あちこちに綱がはってあったよ、ここが私の土地ですと綱を張ってテントにでも住み続けていれば、今頃は銀座の大地主になっていたよ。」とお酒を飲んだらいつも笑いながら言ってたな・・
それから 次に東京に行ったのは、結婚して、愛想なしがまだまだ、素直でいい子だった4歳ごろ家族3人で(レインボーはまだ生まれていなかった。)行った時だ。
この時もまた、新宿の地下街で、コーヒーショップに入って、トイレを借りようとしたら、外の突き当たりを曲がった所と教えられて、行くには行けたのだが、私は自分の病気を忘れていた。
帰ろうにもわからない、そこを出たら、右だったか左だったか・・どうしよう、うろうろあっちにいったり、こっちに行ったり、携帯電話などない時代(あっても私は駄目だけどね。)うろうろしてどれくらいの時間がたったのかわからないが、突然愛想なしが迎に来てくた。「お父さんが帰らないから迎にいってやれと言ったから・・」地獄で仏にあったようとはこの事だと思った。
人間 あまり情けないと悲しみじゃなくて笑いが出るよ。へへへ・・・とね。
まだまだこの手のエピソードは数え上げたら切がないが、この前何かの本で読んだけど 女優の村松英子はものすごい方向オンチで、外国で何度も帰れなくなり、行方不明になったことは数え切れないと・・
いるんだね、私より上手が、嬉しかった。
出かけるたびに同じ話になる天然記念物級の方向オンチを遺伝子のせいにしたいけど、これが誰もいないのよ、わが血筋には・・それでは突然変異だろうか?
それともかぐや姫のように竹の中から光り輝いて生まれたんだろうか?
誰です? 安光姫とクローン親子だと言う人は・・
晴れ 15℃
朝から 黄砂で凄い。隣のFさんの奥さんもお布団が干せないと言っています。
浅草文化観光センターにちゃんとあるんだね。
方向感覚は良い方だと思う。
住所、番地だけを頼りに目的地へたどり着くとか、
初めて行った町でストリップ劇場をすぐ探し当てる
というような事は非常に得意です。
最近こそ いたるところにあるけど、珍しかったのよ。暫く見ていた。
やはり浅草だったのね、この写真は・・。
方向オンチも若いときなら可愛いが、おばあさんになると、誰も同情してくれない。むしろバカ呼ばわりされる。
私の人に負けない得意技は、においで当てること。これは得意よ。
たとえばお客さんの今晩の夕食のおかずも当てるし・・洋服についている。
このお客は今女性と別れて来たとか、
これは雰囲気ね。
ところで、未だかつて 行きたいところに辿り着けなかったためしは
ないのだけれど...、地図も読めるし 案内図も書ける...。
でもねぇ...、最近 駐めた時に ちゃんと意識していないと
駐車場のどこに車を駐めたか分からなくなっちゃう!!
つい先日も、買った敷き布団を抱えて ウロウロ ウロウロ...
そして、現状とのあまりのギャップにプチ詐欺と言いますが、人間年を取ると変わるのですから、仕方ないよね。
今はもう少し(体型は変わらないが、)おばぁさんになってるよ。
私なんぞ、車を止めたところがわからなくなるのは日常茶飯事、
自分でもどうして?と不思議でなりません。
きっと 脳の部分で、途切れているのでしょうね。
温泉でも自分の衣服を入れたロッカーがわからなくて、裸でうろうろし冷や汗をかいたこともあるよ。死なねば治らない。