アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

日本のクリスマスは日本の習慣

2008年12月25日 | Weblog
 日本が豊かになったお祝いがクリスマス
 
 我が家のカーナビ、大変頭がよい。エンジンをかけたら、いきなり「メリークリスマス!」。日本は、本当にいい国だとつくづく思います。仏教・儒教・神教・キリスト教・イスラム教・・・何でもござれ、自由自在に適応・対応している。こういう国って、ほかにないんじゃないかなあ。日本が誇ってもいい文化です。

 このことについて批判する輩もおります。
 「花祭りも知らず、クリスマスを祝うのはおかしい」
 「深い信心がないことの証」
 「葬式は坊さんに頼み、初詣は神社へ。キリスト教徒でもないのにクリスマスを楽しむ」
 「仏教徒なのに、キリスト教の教会で結婚式を挙げる」
 「宗教に対する無節操ぶりは目に余る」

 このように「おかしいぞ日本人」と、合唱しながら…クリスマスケーキ食ってんじゃないの!?おかしいと思うなら、ひたすら自分の宗教を貫けばよい。世の中を憂いて批判する必要は何もない。そういう人たちの批判をオマエはしているじゃないかって?私の場合は、独断・偏見・少精義・平妥ですから、いいのです。少精義と平妥は、ワープロの変換ミスじゃないかって?少精義は、「とりえなし」、平妥は、「くだらん」です。昨夜読んだ本に出てきました。昨夜学習し、今朝すぐ使う!多精義ですね。コラ!有森裕子!ってか?(注:有森裕子さんが、「自分で自分を褒めてあげたい」という名セリフを残しました。本ブログでは、自分で自分を褒めることを「有森裕子」と表現しております)

 日本人とクリスマスについて、評論家、似非評論家、受け売り評論家などなど、このテーマは大賑わいです。
 一般的には、日本人の宗教観から真面目に論じられているものが多いです。お坊さんのお経の最後は、「・・・恐み恐みも白す(カシコミカシコミマヲス)」と、なっています。この部分は、黙って聞いていると分かります。ほかは、返り点なしで読むものですから…私には分かりません。「カシコミカシコミ…」は、神主さんのセリフ。七五三のお祓いでも言います。ということは、お経と、のりと(祝詞)に共通部分がある。そうなんです。日本の仏教は、「崇仏VS廃仏」の抗争を経て、神道と融合・共存させ、「独自の仏教」として発展してきたのです。
 このあたりから、日本人は異宗教に対して「寛容」になっているというのです。また、研究者の中には、神道は「八百万神(やおよろずのかみ)」つまり、多神教。山海草木に至る迄、ありとあらゆる物に「神性」を見いだす。仏教は、多種多様な如来・菩薩を信仰するわけで…キリスト教、イスラム教・・・に全く抵抗がない。このような見方もあります。
 よって、何の抵抗もなく、クリスマスを祝う。私のまとめ方も上手いが(あ、有森裕子やっちゃった)、論として興味深いものがあります。

 「日本人が、クリスマスを祝うのはいかがなものか」これ自体、すでに間違っています。
 祝ってなどいません。口では、「メリークリスマス!」そんなものカーナビでも言う。みんなが言うから言うのであって、クリスマス本来の意味で言うのは日本人の1%でしょう。

 では、なぜ日本人はこの時期張り切るのか?日本人が、クリスマスをかくも盛大な行事に仕立てたのは、戦後20数年経ってからです。わざわざ聖徳太子の、「崇仏」までさかのぼらなくてもいいのです。

 終戦後、オギャーと生まれたアラカン世代は、とにかく「食うもの」がなかった。所謂、「粗食」に甘んじなければならなかった。ただ、粗食が実は、換言すれば「豪勢な食」だったのですが…。言っていることが分からないって?本題から逸れますが、何をもって粗食とするかです。「イモとカボチャ」の昼食と、「彩りよく、おかずの品数が豊富、楽しい楽しいコンビニ弁当」の昼食。どっちが粗食でどっちが豪華?

 還暦前まで、イモやカボチャは、貧乏人の食い物で質素、だから粗食。一方、夢一杯のコンビニ弁当は、豪華、贅沢!と、思っていました。今は、違います。なぜ、半病人の私が…ではなく全病人の私が還暦まで生き長らえたか?それは、体の基礎基本を作る時期に、「イモ、カボチャ」を毎日食べていたからです。つまり、粗食が実は、大変贅沢な食事だったのです。現在のカラカンが、アラセブンテイになってもアラエイテイになっても強いですよ。イモ、カボチャという豪華・贅沢で育っていますから。その点、アラフォーより若い世代は、健康での長生きを期待できない人が増えますよ。贅沢な食事をせず。インスタント食品、酸化防止剤たっぷり食品、コレステロールてんこ盛り食品、高カロリー食品、偽装食品…分類がめちゃめちゃですが、これらを食べている可能性が高いですから。

 戦後の日本は、世界が驚く復興を遂げてきた。どんどん豊かになった。イモとカボチャの昼食は、インスタントラーメンに変わった。(これが日本の失敗だったのですが)アメリカから入ってくるものは、皆きらびやかで、あこがれるものばかりだった。
 サイフにゆとりができはじめると、「年に一度くらい無駄遣いしてもいいんじゃないか」という風潮が席巻し始めた。海外を経験する日本人も増え始め、「クリスマス」が広められた。

 昭和36年(1961年)には、コカコーラの登場。「オレ、コーラ飲んだぞ!」が、自慢になった。高校生でも、年に数回コーラを飲めるほど豊かな国になってきた。コーラの空きビンなど、お部屋のインテリアでした。コカコーラで弾みがつき、日本のクリスマスの内容は怒濤のごとく進化発展。「ケーキを食べて、トリの足を食って、炭酸飲料を飲んで、みんなで騒ぐ」…日本独自の文化となってきた。年々新趣向が加わり、現在に至っている。
 名前はクリスマスですが、宗教は全く関係なく、「日本(人)が豊かになり、無駄遣いできるようになったことをお祝いする行事」です。それでは名前が長すぎるので、「クリスマス」と呼んでいますが。クリスマスとキリスト教の関係を知らない女子大生が話題になりましたが、それでいいのです。日本の行事ですから。