アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ピョートル大帝夏の宮殿 冬期間の噴水はお休み…

2012年11月12日 | Weblog
 サンクト・ペテルブルクの西およそ30キロの所にペテルゴフあります。そこには、「ピョートル大帝夏の宮殿」と呼ばれる大宮殿があります。その周囲は広大な公園となっていて、数多くの噴水があります。
 ピョートル大帝が初めてペテルゴフにやってきたのは、1705年。1714年から現在の大宮殿と庭園の建設が始まりました。

 ペテルゴフの噴水は、配水管の全長が22キロメートル。取水口からの配管も合わせると51キロメートル。いかにとんでもない噴水かが分かります。この噴水、ポンプを全く使っていない。自然の傾斜を利用した噴水です。で…、噴水は10月の初旬(今年は15日)に終了…。つまり、16日にペテルゴフへ行った私は、噴水を見ることが出来ませんでした…。ペテルゴフまで出かけて、噴水の出ないピョートル大帝夏の宮殿を眺めて帰ってきた。考えてみると、私の人生は全てこんな感じだったような…。「ツキ」というものがない。
 おっと、愚痴コーナーではありませんでしたね。…噴水だって、1日早ければ見られたのに。配水管が22キロメートルですから、見渡す限りぜーんぶ噴水。皆さんに自慢できたのに。噴水目当ての人は、10月15日までに行かなければなりません。放水をはじめるのは、5月末から。5月中旬に行った場合、運がよければ試運転の放水に出くわすことが出来そう。夏などいいでしょうねえ!白夜の中の噴水!もっとも、24時間放水しておればの話ですが。

 ペテルゴフは、第二次世界大戦中のドイツ軍による900日の包囲で廃墟と化しました。戦後50年間に渡って修復が続けられ、やっと1995年に修復作業が完成。噴水も復活したのでした。

 すぐ近く(プーシキン市)に「エカテリーナ宮殿」があります。この宮殿も、二次世界大戦の時に、ドイツ軍に占拠されました。ドイツ軍は撤退の際、爆弾を仕掛けました。しかし、爆発寸前にロシア軍が取り除いたとのこと。

 この宮殿、日本にも若干関係がある。シベリアに漂流した大黒屋光太夫が、この宮殿でエカテリーナ2世に謁見し帰国を願い出た。この話は、井上靖の「おろしや国酔夢譚」に詳しく書かれています。

 エカテリーナ宮殿は、美しいです。ピョートル大帝夏の宮殿よりも遙かに美しい。
 一番人気は、「琥珀の間」。ドイツ軍は全ての琥珀を剥ぎ取って持ち帰った。そのあと、50年かけて琥珀の間も復活したのですが…。一体、なんトンの琥珀を使っているんだぁ!と、あきれかえるばかり。
 私は、琥珀の間もよかったですが、「ダンスの間」に仰天させられました。これまで、贅を尽くした建築を多数観てきましたが、上位に入りますね。「金(きん)」がふんだんに使われている…どこから膨大な金を持ってきたのか?
 1年の半分を雪と氷に閉ざされるロシア。そのロシアに、今後地球人が束になってかかっても建造することができないだろうと思われる宮殿の数々がある。不思議だが、現実だからしょうがない。