アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「絆だ、絆だ! だけどガレキはお断り!」…何んじゃこりゃ?

2012年03月29日 | Weblog
 東日本大震災から1年以上が経過しました。あまりにも早く過ぎました。被災地から、村外、町外、市外、県外、国外へ逃れている人達が、新しい暮らしを始め、その暮らしが定着してきています。

 新天地で暮らしていける目途がついた人たちが、震災前に暮らしていた土地へ帰ってくるでしょうか?
 帰ってくる人は、もちろんそれで良いし、新天地に永住する人もそれでいい。つまり、どちらでもいいのです。
 大震災がそうであるように、どこで何が起こるか…先のことは誰も予測がつかない。今生きてさえいたら、どこに住もうと何の問題もないのです。

 1889年(明治22年)に、奈良県吉野郡十津川郷が記録的な豪雨に襲われた。山地斜面の崩壊→土砂は、なだれ打って河川に突入→崩壊土砂による河川の閉塞→土石流の発生→人家は埋没…。河床に堆積した砂礫は、平均で30mとされています。3mじゃないんです。30mです。山が、どれだけ崩れたら平均堆積砂礫が30mになるか?!「山の形が一変した」ということがオーバーではないことがうかがえます。

 全戸数2,403戸、うち610戸が全半壊。死者数は、249人。家を失った人は、約3,000人。当時の奈良県は、「復興までに30年」と考えた。

 この状況、東日本大震災の被災者の状況と似ています。
 十津川郷で家を失った約3,000人のうち…2,691人は…新天地を目指した。2,691人の行進。大変な苦労のすえ、北海道の原野に入植した。そして、その地を、「新十津川」と、名づけた。

 新南相馬市、新浪江町、新双葉町、新大熊町、新富岡町…あって、いい。被災した町から出ることが、「郷土愛がない」「故郷を捨てる」…など、ネガティブな印象で受け止められているように思えてなりません。そう思う人は、無責任だと思います。無責任な人の言葉に耳を貸す必要など無いです。堂々と、「新」を冠にしてほしいと思います。もちろん、新しい市町村を作ることは出来ませんから、心の中での「新」です。

 昨年9月、台風12号が奈良県十津川村を襲いました。土砂災害で、道路は寸断され犠牲者も…
 その奈良県十津川村へ、北海道新十津川町から救援隊が行きました。
 こういうのを「絆」というのではないでしょうか!?明治22年から平成23年までの122年間、絆は固く強く結ばれていた。
 最近、絆の大安売りで、「絆」とさえ口にすれば「いい人」のような状況になってきておりまして…そうなると、「絆」が陳腐に聞こえてしまう…。声高に「絆」を叫びながら、「震災ガレキお断り!」。これが現状。
 スーパーの安売りは歓迎ですが、「絆」の安売りはやめていただきたい。

 住んでいた土地を離れて暮らすようになっても、裏切ったわけでも、捨てたわけでもありません…。