おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「原発・正力・CIA」 有馬哲夫

2011年10月01日 | あ行の作家

「原発・正力・CIA」 有馬哲夫 新潮新書 2011/10/01読了

 

 子どものころ、家でとる新聞が時々変わった。勧誘のオジサンが配る洗剤やタオルは、主婦にはそれなりのパワーを持っていたのだ。でも、小学生5年生の時、母親に「読売新聞だけは絶対に取らないで」と懇願した。

 

新聞が不偏不党でないことも、報道がコマーシャルに結びついていることも、私は読売新聞から学んだ。そして、子どもながらに「読売は読まない」ことに決めたのです。

 

というと、とんでもないマセガキのようですが…当時、毎年のように最下位争いを展開していたタイガースファンにしてみれば、阪神がたまに勝ってもベタ記事扱いの読売の運動面は読むに堪えない偏向報道であり、球団とメディアを両方持って善良なる大衆の心を操作するなどケシカラ~ンと思っていたわけです。

 

小学生の頃はそこまでロジカルに考えていたわけではく、漠然とした嫌悪感というか… 単なる、負け犬の遠吠え(当時の阪神は、本当に弱かった。。。)にしか過ぎませんでしたが、でも、今振り返ってみると、結構、メディアの本質を掴んでいたのかもしれません。(ちなみに、他のメディアも多かれ少なかれ偏向報道であることを学んだのは、もうちょっと後のことです)

 

という、与太話はさておき「原発・正力・CIA」は、アメリカの公文書館に保存されている「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書を読み解き、構成したもの。

 

正力松太郎は読売新聞社主、日本テレビ放送網社長を務めた日本のメディア王。警察官僚出身の男が、なぜメディアを手にいれようとしたのか、そして手に入れたメディアをどのように使ってきたのか、CIAとどのような関係にあったのか―そこに迫ることで、第二次世界大戦敗戦後の日本という国の成り立ち、日本人のメンタリティがいかに形成されてきたかを暴いていく。

 

この本は2008年に出版された。当時も大きな反響があったが、2011311日という日を経験した今こそ、改めて、日本の原発導入の裏に、正力個人の政治的野望が存在し、読売新聞が、社主の個人的野望を国家的利益に変換した文脈で国民に原発のメリットを知らしめるメディアであった―という歴史的事実を、きちんと認識しておかなければならないと思う。

 

読売新聞という1つのメディアだけの問題ではなく、メディアとは、そういう危うさを持った存在なのだということ。もう1つは、日本の原発を導入において、正力個人の政治的野望は偶然そこに存在していただけで、そのさらに向こう側には米国の意思、米国の国益が存在していたということ。そして、1940年代に存在していた米国の意思は、2010年代にも消失することなく、存在していると考えるべきなのだろう。

 

311を経て、日本は急速に脱原発にシフトしつつある。津波の映像、原発の爆発の映像が繰り返し流れ、被災地から遠くに住む人も心に傷を負った。原発推進にプレー機を踏みたくなるのは自然の流れだと思う。

 

ただ、スリーマイル島事故以来、新規の原発を一基も建造せず、もはや原発先進国ではなくなってしまった米国にとっても、日本がリードを握る分野を手放すことは歓迎であろう。廃炉ビジネスが主流になりつつ米国の原子力産業にとっても歓迎すべき事態に違いない。原油価格が高止まりすれば、米国国内の油田開発の採算改善につながる。そういう文脈で、米国が日本の脱原発を理解し、歓迎しているであろうことも認識していなければならない。っていうか…民主党政権、そういう前提で、政策考えているんですよね?????????

 

良い悪いは別にして、今の政治家には、正力ほどの野望と妄想に取り憑かれた人はいないような気がする。米国にしてみれば、正力のようなキーマンがいなくなっても、勝手に「空気を読んで」米国の意向を察知するようになった日本は、利便性が高まったのかもしれない。

 



コメントを投稿