おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「ナツコ 沖縄密貿易の女王」 奥野修司

2011年11月16日 | あ行の作家

「ナツコ 沖縄密貿易の女王」 奥野修司著 文春文庫

 

 久々に脳天にガツンと来る一冊。日本で生まれ育ったのに、ほんの1世代前の日本の歴史を私は何も知らないのだなということを思い知らされた。

 

 フリージャーナリストである著者が、石垣島の路地裏の居酒屋にフラリと入った時にオジィやオバァが、いかにも懐かしげに「ナツコ」とい名前を口にするのを耳にした。「ナツコ」とはいったい何者なのか…。文書資料はほとんど残っていない。ただ、ひたすら、ナツコの知り合いを人づてに訪ね歩き、ナツコという人物に迫ったルポルタージュ。

 

 ナツコが密貿易商として一世を風靡したのは1946-51年。沖縄が「ケーキ時代」と呼ばれた頃だ。「ケーキ」は、実は「景気」のこと。私が沖縄に関して知っているのは、太平洋戦争末期に戦場となりたくさんの方が亡くなったこと。1972年に変換されるまで米軍の統治下に置かれていたということぐらい。その延長線上で、終戦後の沖縄は、本土以上に辛く、苦しく、貧しい時間を過ごしたのではないか―と、「死の街」のようにひと気もなく、活気もなかったのではないか―と勝手に思い描いていました。

 

 もちろん、焦土となり、多くの死者を出し、本当に辛い思いをした方もたくさんいたはずですが、ナツコをはじめとするこのルポに登場する人々は、生命力とエネルギーに満ちあふれ、強く、逞しく、ガッポリ稼いでいる。いや、もしかしたら、全てを失ったからこそ、強く、逞しかったのかもしれない。戦争に負けても、着る物がなくても、ひもじくても、生き残った人間は生きて行かなければならない。米軍の物資を盗んでは、舟で香港や台湾に運んで売りさばく。香港・台湾では砂糖やペニシリンを仕入れて持ち帰り、沖縄で売りさばく。

 

 十分な装備のある舟を準備することなどできるはずもなく、気象や海の状態を見極めながらの密貿易。舟が沈むこともあれば、海水をかぶって仕入れた商品が売り物にならないこともある。もちろん、闇取引故に、相手に足元を見られて騙されることも珍しくない。そうした条件下で、並外れた度胸と、ピカイチの商売勘で密貿易の女王とのしあがったのがナツコ。その人生は、太く、短く、はかないが、清々しい。密貿易で警察に捕らえられても「沖縄には何もない。でも、生きていくためには、食べるものも、着る物も必要だよ。だから、貿易で手に入れることの何が悪い?」と、少しも悪びれることのないナツコの強さが印象的だった。

 

 私は、たった1世代前の日本のことをほとんど知らない。そして、その1世代前の人々は高齢期を迎えている。戦争や、敗戦直後のことを実体験として知っている人たちにもっと色々なことを聞いて、書き残しておかなければいけないのではないだろうか。公文書に残っていることだけが歴史ではない、教科書に書いてあることが歴史ではないということを実感する一冊だった。



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