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もんく [とある南端港街の住人になった人]

正しさは自信の無いものの杖

他人に対して助言したりすることは歳とともにしないようになってきた。何度も何度もそんなことをしてきたわけだが、それで相手が変わるという体験はほとんどできなかったから。それは助言を相手が求めていた時でさえそうだったからだ。つまり、人というものはどうしても「自分を変える」用意がある場合のみに助言が有効なのだ。

助言というのは、人から人への助言もそうだが、偉いグルがこう言っているというのもそうだし、神様が言っているのも同じだ。結局人は何がどうあっても自分本位にしか物事を見ないし考えもしない。

現代は「正しいこと」を言う人間が増えたと感じる。感じられるだけかもしれない。以前は言っていたとしてもそれを目にする機会が無かっただけなのか?

正しいことを言うのを聞く機会はいつでもある。以前にもそんなことを書いた覚えがあるが、会議で社内起きた問題について話すとき、必ず正しいことを言う者が現れる。正しいから誰も反論できない。だって正しいのだ。その者は自信持ってそれを言う。言うことができるから自信を持てるのか、自信があるから正しいことを言うのか?

いや、そうじゃない。自信が無いから正しいことを言うのだという事に多くの人は気付けない。そして本人も気付けない。誰も反論できない正しいことはそのことの裏に必ずバックアップが存在する。一般論、慣習、神様、そんなものが。つまり、その正しさは自分自身のものじゃない。自分で考えた結論じゃないのだ。自信が無いから他から正しいものを借りてくる。その正しさは思考の代替品だ。自信があればそんなもの必要ない。

自分本位に適当な正しさを脳に焼いて自分自身の在り方について考えない。そういう人には借り物の正しさ、つまり一般にそうだと言われる言葉以外に何も響くことがない。言葉の無意味さはそこにある。

↓これもそんな歌。



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