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もんく [とある港街の住人]

家の前で石鹸を売る時代へ

スランゴール州のCMCOは2週間延長も、出勤可能人数制限が撤廃されたので4月から通常出勤に戻る事になった。長かった。もう家にいるのが普通になってしまったが、本当はそれではいけないのだが。

今日はちょっとした用があって少し出かけた。そしてある方に会った。

その人、マレーシアで長く事業をやっていて存在は知っていたがこれまで会った事はなかった。海外で個人で長く事業を続けられるだけでもすごい事だと思うのだが、昨年来のコロナでダメージを受けた後も縮小にはなったものの続けられている。しかもたった1人で。物を扱う仕事なので身体と知識だけでは済まないので仕事場のアレンジも全て自分でやっているとの事。

そしてさらに驚くのは、自分のアイデアと興味から別の仕事を立ち上げられていた事だった。これは今日会って聞いた話。最初は趣味のようにして小さく始めて、徐々に認知されつつあるそうで、これからの展開が楽しみ。それに使う道具も自作、最初に作ってみたのは手間がかかり過ぎて商売にならないとわかり、似ているが別の物に変更したとか。ゼロから種蒔きして少しづつ少しづつ育てていく、そこに踏み出せるのが素晴らしい事だ。

普通に考えれば分野違いの何かをやろうとするのは無謀な事と思われる。しかもそれについて経験があるわけでなし、そしてもしかしたら既にやっている人もいるかもしれない。そんなどうなるかわからない事を続けてなんとかしようなんてなかなかできるものじゃないだろう。でも、よく言われるのが、アイデアを出す人はたくさんいる、けど実際に行動に移す人は1%もいないと言うやつ。まあ、それはその通りだと思う。やれない理由の方がその反対よりも遙かに集め易いから。とりあえず、羨ましい限り。


羨ましいとは言ってもだけど、大昔は皆そうして暮らしていたと聞いているからある意味そんな風に自分で何か作ったりして売るってのは特殊な事じゃないとも思う。大昔(また出た)、アメリカでは主婦が少し収入を足したい時に家で石鹸を作ったりして家の前で売ったとか。他にもあったかもしれないけど、要は家でできる何かをちょっと売ってみたりってのが一般的に行われてたと言う事だそうだ。

今のマレーシアだとあまり無いけどあの村のパン屋はそれだし、ロシアの生活とかをYoutubeで見てるとヨーグルトや手袋や毛糸の帽子や家の庭で採れた果物の干したのなんかを市場に持って行って売っている。インドネシアでも手作りの品を少しだけ作って売っている人を見かけたりいろいろやっている。それが普通でないのはどっちかと言うと日本だけかなと思う。日本は長らく経済成長しながら人を給料取りに押し込んで来たし、屋台なんかも迫害してできないようにしてしまった。

でも、これからは元に戻すようにすべきじゃないかと考える。だって日本はこれまでのやり方では貧しくなるだけなわけで、所得を補助する何らかの手段を多くの人に許すべきだと思うから。それやったからと言って今ある産業がダメージを受ける事もないだろうし、食中毒が蔓延してバタバタ人が死ぬ事もないだろう。まあ、ここでそう言っていても無理だろうけど。
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