もんく [とある港街の住人]

いつの間にか真南に向いて

近所のちょっとした繁華街への道はそれほど複雑ではないけれど微妙に道の向きが変わるところがあって方向感覚が狂う。だからここに居て何時まで経っても東西南北がよくわからない。仕事場に向かう高速道路も真西に向いて走っていると思ってずっと走っていると、いつの間にか真南に向かっている。到着してみると太陽の位置が感覚と90度もずれてしまっているのだ。


人間の感覚ってのはかなり主観的だし、そこにそれが"ある"と言う"事実"らしきものさへも実際には解釈した結果だったりするのだなと思う。

重大な出来事を些細ないつもの出来事だと勝手に解釈してしまう事は日常の中でけっこう多いだろう。あまり重要な事だと思いすぎてしまうと大変なので些細な出来事に格下げしておくことでパニックや負荷を回避しようとするのではないだろうか。


仕事の中でもよくそう言うポイントがあると感じている。とりあえずその点を過ぎてしまうことはかなりの場合に可能だ。ただ、時間を経てからそれが大問題としてクローズアップされてくるのだって本当は誰にもわかっている。それなのに、その場にならないとそれを問題として扱おうとはしない。

そう言うことが習慣になってしまうと何が重要なポイントなのか、本当に些細な出来事なのかの判断も難しくなり、そのうちに何もかも麻痺してしまう。それでも心はわかっていてアラートを出し続けるけれども一般のストレスと同じように忘れる方法を人は会得する。生きている限り続くイタチゴッコだ。


やりたい事だけをやるって事は可能なのか、それが素直な本当の自分なのか? 実は何か面倒やトラブルを避けたり見ないふりをしているだけなのか。それはどちらなのだろう?


長期的には、避けていても結局は磁石に引き付けられる鉄のようにその周囲をぐるぐる回り続けなくてはならなくて、その中心を踏まないためにターニングポイントを見逃してしまったりするのだとしたら......それはどんな見掛けが重大な過ちより一番の過ちかも知れない。

小さな見逃しは重大な見逃しよりも巻き戻しにくいと言うこともある。
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