温泉クンの旅日記

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熱海、起雲閣(2)

2018-03-25 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <熱海、起雲閣(2)>

 玄関をはいって靴をロッカーに入れ、中にあったスリッパに履き替える。さすがに建物の中は観光客が多いので、いいアングルの全体的な画像を撮るのは難しそうである。
 
 大正九年(1920年)に起雲閣の最初の持主、政財界で活躍し海運王と呼ばれた内田信也が、実母の静養の場所として「麒麟・大鳳の棟」と「孔雀の棟」を建てた。
 まずは玄関から一番近い「麒麟」の間。



 日本の伝統的な建築美を伝え、大正浪漫の薫り立つ部屋である。鮮やかな濃いブルーの壁がとても面白い。



 またも順路を無視して、麒麟の間の真上の二階「大鳳(たいほう)」の間に向かってしまう。三方を囲む畳廊下の広い座敷の部屋なのだが、ちょっと観光客が多くて一角しか撮影できなかった。こちらも階下の麒麟の間と同じテイストの濃いブルーの壁だ。



 太宰治はたびたび起雲閣に宿泊しているが、この大鳳の部屋にも、玉川上水で心中した愛人山崎富栄と泊まり「人間失格」を書いたという・・・。



 窓ガラスの一部に、当時の職人が一枚一枚流し込んで作った「大正ガラス」が残されている。大正ガラス越しに外を見ると、ちょっと歪んでいるがそれがなかなかにいい味を醸し出している。

「孔雀」の間がある棟は、順路通りいくとかなり先のほうにあるが、これ、実は「麒麟」の棟の隣に建っていたのを昭和二十八年(1953年)に現在の場所へ移築されたものだ。
 孔雀はいまでいう「離れの部屋」だ。床の間と付け書院のある広い座敷である。こちらも座敷周りは畳廊下となっている。





 小説家の舟橋聖一はこの部屋が好きで「芸者小夏」や「雪夫人絵図」などはこの部屋で執筆した。三島由紀夫も新婚旅行で滞在したという。
 わたしも一泊するなら、麒麟や大鳳より、この贅沢な離れの孔雀に泊まってみたい。

 二代目持主である根津嘉一郎が建てた、洋館「玉姫(たまひめ)」と「玉渓(ぎょくけい)」は昭和六年(1931年)着工し翌昭和七年(1932年)完成した。同じく、洋館「金剛」と併設「ローマ風浴室」の棟は、昭和三年(1928年)着工し翌昭和四年(1929年)完成した。
 まずは玉姫だが、正面中央に暖炉があるヨーロッパデザインを基本にしている。





 併設されたサンルームはふんだんにガラスを使い日光をたくさん取り入れている。





 玉渓は中世英国の「チューダー様式」に「名栗仕上げ」を取り入れたヨーロッパ山荘風の造りである。 
 暖炉の覆いにはサンスクリット語の飾り、脇の太い円柱は名刹のものとも江戸時代の帆船の帆柱ともいわれている。



 玉姫、玉渓、いずれも大正ロマンの雰囲気がむんむんと漂っている。
 うん!? そうか。唐突に銀山温泉を思いだしてしまう。
 

  ― 続く ―


   →「熱海、起雲閣(1)」の記事はこちら
   →「銀山温泉をぶらり」の記事はこちら
   →「銀山温泉」の記事はこちら



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