<『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(2)>
こちらの八雲神社は、立派な手水舎もあって、なんか安心した。こうでなくっちゃ。
帰ってからよくよく調べてみると、足利には5つの八雲神社があり特定されていないため、訪れた観光客の混乱にならないように「足利市観光協会」は、格式も規模もある「足利公園近くにある八雲神社」を歌詞の“八雲神社”と暫定的に決めたのだという。(頼むぜ、こちとらはホント混乱しちまったよ)
「八雲(やぐも)神社」は、貞観11年(869年)に清和天皇の勅定により「素盞嗚男命(すさのおのみこと)」他二神を祀ったのが始まりという。主祭神の素戔嗚尊は、開運厄除の神として知られる。
八雲神社には、平将門の乱の際には「藤原秀郷」が戦勝祈願し、前九年の役および後三年の役の際には「源頼義」と「源義家」が戦勝祈願している。
平成24年(2012年)に出火し社殿を全焼したのだが、平成29年(2017年)に伊勢神宮(月讀荒御魂宮)から式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建した。
今でも 八雲神社へお参りすると
あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら
あの頃に戻りたい
床屋の角にポツンとある
公衆電話おぼえてますか
きのう思わずかけたくて
なんども受話器とったの
神社の片隅に愛らしい道祖神をみつけ、心が和む。
(さて、どうするか・・・)
森高千里がシングル「渡良瀬橋」を発表したのが平成5年(1993年)、携帯電話が普及に伴い公衆電話は激減してしまった。今でもあるという、歌詞に出てくる“公衆電話”を探しまくりにまた県道へ戻るという選択肢をあっさり捨てて、本命の、近場のほうの「渡良瀬橋」へ真っ直ぐにいくことにした。
足尾山系に水源をもつ渡良瀬川は、桐生、足利、佐野を流れ、利根川に合流する。
足利市は渡良瀬川によって南北に分かれて、12本の橋で南北の連絡をしていて、その橋の一つが、三角形を組み合わせたトラス形の鉄橋の「渡良瀬橋」である。
自動車専用の県道5号線の「渡良瀬橋」は足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる橋で、それまで全く無名だったが、この歌で一気に知名度をあげ観光名所となった。
この間 渡良瀬川の河原に降りて
ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて
風邪をひいちゃいました
渡良瀬川を渡る冷たい北風に用心して、わたしは冬用ジャケットにマフラーをぐるぐると巻き、両手に手袋をしてきたのは大正解だった。
(こんなに八雲神社に近いなら、渡良瀬橋から廻るほうが良かったな・・・)
渡良瀬橋近くの道路沿いに、歌詞が刻まれた“渡良瀬橋”の記念碑をみつけ、ボタンを押して“渡良瀬橋”を聴くことができた。
欲しい画像を撮ろうと夕陽を待っていたら、日帰り旅が一泊旅になってしまうな・・・。
「そうだ! 新鹿沼に廻り道して、永らく気になっていた噂の“ニラそば”を食べて帰るとするか」
せっかく思いついた妙案だが、ローカル線の乗り継ぎはとにかく苦労する。
両毛線の栃木駅で降りて、東武日光線の乗り継ぎまで、たっぷり30分ほどの待ち時間を潰すことになった。でも、運よく栃木駅の出口に喫煙場所をみつけたので、まあいいとしよう。
それにしても、昼メシだけのためにとんだ方向違いの日光方面の鹿沼に向かうとは、またも平安時代以来の「陰陽(おんみょう)道」の<方違え>をすることになるわいと、苦笑する。
→「『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(1)」の記事はこちら
→「群馬・桐生、水沼駅温泉センター」の記事はこちら
こちらの八雲神社は、立派な手水舎もあって、なんか安心した。こうでなくっちゃ。
帰ってからよくよく調べてみると、足利には5つの八雲神社があり特定されていないため、訪れた観光客の混乱にならないように「足利市観光協会」は、格式も規模もある「足利公園近くにある八雲神社」を歌詞の“八雲神社”と暫定的に決めたのだという。(頼むぜ、こちとらはホント混乱しちまったよ)
「八雲(やぐも)神社」は、貞観11年(869年)に清和天皇の勅定により「素盞嗚男命(すさのおのみこと)」他二神を祀ったのが始まりという。主祭神の素戔嗚尊は、開運厄除の神として知られる。
八雲神社には、平将門の乱の際には「藤原秀郷」が戦勝祈願し、前九年の役および後三年の役の際には「源頼義」と「源義家」が戦勝祈願している。
平成24年(2012年)に出火し社殿を全焼したのだが、平成29年(2017年)に伊勢神宮(月讀荒御魂宮)から式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建した。
今でも 八雲神社へお参りすると
あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら
あの頃に戻りたい
床屋の角にポツンとある
公衆電話おぼえてますか
きのう思わずかけたくて
なんども受話器とったの
神社の片隅に愛らしい道祖神をみつけ、心が和む。
(さて、どうするか・・・)
森高千里がシングル「渡良瀬橋」を発表したのが平成5年(1993年)、携帯電話が普及に伴い公衆電話は激減してしまった。今でもあるという、歌詞に出てくる“公衆電話”を探しまくりにまた県道へ戻るという選択肢をあっさり捨てて、本命の、近場のほうの「渡良瀬橋」へ真っ直ぐにいくことにした。
足尾山系に水源をもつ渡良瀬川は、桐生、足利、佐野を流れ、利根川に合流する。
足利市は渡良瀬川によって南北に分かれて、12本の橋で南北の連絡をしていて、その橋の一つが、三角形を組み合わせたトラス形の鉄橋の「渡良瀬橋」である。
自動車専用の県道5号線の「渡良瀬橋」は足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる橋で、それまで全く無名だったが、この歌で一気に知名度をあげ観光名所となった。
この間 渡良瀬川の河原に降りて
ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて
風邪をひいちゃいました
渡良瀬川を渡る冷たい北風に用心して、わたしは冬用ジャケットにマフラーをぐるぐると巻き、両手に手袋をしてきたのは大正解だった。
(こんなに八雲神社に近いなら、渡良瀬橋から廻るほうが良かったな・・・)
渡良瀬橋近くの道路沿いに、歌詞が刻まれた“渡良瀬橋”の記念碑をみつけ、ボタンを押して“渡良瀬橋”を聴くことができた。
欲しい画像を撮ろうと夕陽を待っていたら、日帰り旅が一泊旅になってしまうな・・・。
「そうだ! 新鹿沼に廻り道して、永らく気になっていた噂の“ニラそば”を食べて帰るとするか」
せっかく思いついた妙案だが、ローカル線の乗り継ぎはとにかく苦労する。
両毛線の栃木駅で降りて、東武日光線の乗り継ぎまで、たっぷり30分ほどの待ち時間を潰すことになった。でも、運よく栃木駅の出口に喫煙場所をみつけたので、まあいいとしよう。
それにしても、昼メシだけのためにとんだ方向違いの日光方面の鹿沼に向かうとは、またも平安時代以来の「陰陽(おんみょう)道」の<方違え>をすることになるわいと、苦笑する。
→「『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(1)」の記事はこちら
→「群馬・桐生、水沼駅温泉センター」の記事はこちら
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