温泉クンの旅日記

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ストーブ列車

2006-11-08 | 旅エッセイ
  < ストーブ列車 >

 最近は高速道路のサービスエリアとおなじように、JRや地下鉄の駅のトイレが
見違えるようにきれいになった。たぶん、民営化したころからだと思う。
 というわけで、ストーブ列車に乗る前に五所川原駅の、寒めのトイレで用をすま
せた。



 本当はラーメンを食べた駅前食堂で借りようと思ったのだが、茶シブで本来の
真っ白が茶色に変色した湯呑や店内の清潔で無いあれこれを見ているうちに、その
気が失せたのだった。ムリヤリに麺だけ食べたラーメンも、現在、記憶から消去
処理中である。だから、また昼食はあらためて食べなおすことになるのだ。

 わたしには特技がある。とんでもなく不味いものを呑んだり食べたりすると、
頭のどこかでサーモスタットのように、自動的に<強制消去>のスイッチがはい
る。これはなにも食べ物や飲み物にかぎらない。イヤなことや、悔しいことなども
同じである。

 ただし程度が、ぜったいに思いだしたくないほどのことに限る。しかし、短時間
で完璧には消去できない。時間をかければほとんどの消去に成功して、記憶の湖の
底に塵となって堆積する。澄み切った湖面にみえるが、塵になりきらなかった軽い
欠片が泳いでいる。たまにどうかすると浮遊しているそいつが悪戯して、イヤな
ことを思い出させる。

 そこへいくと、食べ物の記憶はわりと簡単に欠落することができる。しかし、
カン違いしては困る。「ヨシ子さん、お昼まだかな?」「いやーだア、おじいちゃ
んたらぁ。さっき食べたばっかりじゃないですか!餅三個入りの大盛ラーメンを」
「・・・」。というようなのとは、わたしの特技は違う、とだけ言っておこう。
(誰も止めてくれないので脱線が長くなってしまった)

 ストーブ列車が発車する津軽鉄道のホームは、跨線橋を渡った一番奥にあった。
 列車はすでに入線している。列車の窓を覗きながらホームを歩く。どうやら客が
半分ほど乗り込んでいるようだ。ヨボヨボに古ぼけた年代物の列車は、客や車掌の
姿が見えなければとても現役で走るとは思えない。

 二両編成で、前の車両が団体専用となっていたが今日は団体がいない。
 真ん中へんから乗り込んで、後部車両にはいる。板張りの床は、小学校校舎の
油ぎった廊下を思い出させた。席は、直立した木製仕切りの四人掛けのボックスで
ある。昔のサイズなので、前にすわったひとと膝がぶつかる。

 車両内の前後の席が撤去されたところに、一台づつ、達磨ストーブが設置されて
いる。煤けた焼き網がのせられた横から、排気用の金属管がまっすぐに車両の天井
を突き抜けていた。ストーブも車両と同い年のように相当使い込まれている。安全
のためだろうか、ストーブには鉄製の太いバーが丸くめぐらされていた。横に、
小さめな黒い石炭かコークスがはいった容器があった。

 ストーブ周辺の客席はすでに先客で占められていたので、すこし離れたところに
座った。

 『白一色の眩しい雪原を、トロトロ走るストーブ列車。ストーブからのうすい
 煙も雪景色に溶けこんで見分けられない。急ぐ客はいない。車内のストーブの
 そばには、手拭をかぶったモンペのお婆さんがいて、焼き網のうえのスルメや
 小魚の干物やモチなどを、箸も使わず手でひっくり返して焼いている。兄ちゃ
 ん、まんずハー食べてけろ。焼きあがったものを差し出し、旅人をもてなして
 くれる。恐縮ですあっちっち、といいながらスルメかなんかを受け取ってモシャ
 モシャ齧り、北国津軽の老婆と都会に疲れた旅人はひととき心を通わせ
 る・・・』

 これがなんどかテレビでみたストーブ列車のイメージである。わたしの場合は
スルメではなく、お餅がいいな。代金はらうからぜひとも、醤油のつけ焼きにして
もらいたい。

 見回すと、たしかにわたしに近いストーブのそばには、焼き網バカ一代餅焼ひと
筋でここまで生きた、みたいなお婆さんが座って瞑想している。きっと列車が動き
出したら出番のきた女優のように目をひらき、隣の席においた頭陀袋から手拭や
焼き網セットのいろいろをとりだして、焼きはじめるのだろう。楽しみである。



 12時10分、ストーブ列車は五所川原駅をあとに、うるさく雪原を目指しヨボ
ヨボと北上をはじめた。音のわりにスピードはでない。横揺れがかなりある。
 そばにいる中年の夫婦、夫人のほうが興奮してはしゃいでいる。この電車にずっ
とずっと乗りたかったんですぅ、だからなんども主人に頼んで今回夢がかなったん
ですぅ。そうモノすごーい甘え声で回りに聞こえるようにしゃべっていた。旦那の
ほうは、ニコニコ黙っている。くちの重い津軽の客も甘え声に気おされて、観光案
内させられていた。

 振り返ると、まだお婆さんは瞑想している。そろそろ、焼きはじめてもらわんと
困るんだけどなあ。雪原も現れない。帰りの新幹線の時間から逆算したので、金木
駅まで行って五所川原まで引き返すのだ。太宰治で有名な金木まではあと、20分
ほどである。



 数ヶ月前までは高校生でした、というような若い細身の車掌がストーブに石炭だ
かコークスだかを手際よくくべていた。まだ、学生服のほうが似合いそうだ。
 かなり走ったが雪原はあらわれない。お婆さん主催のストーブの焼き物パーティ
も始まらない。立ちあがって後ろのほうを見たが、やはりパーティはしてなかっ
た。
 デジカメを出して席を立ち、ストーブの写真をとりながらお婆さんをチェックし
てみると、ガアピィ鼾つきの瞑想中であった。

 雪原なしのストーブパーティなし。

 雪原は天気だからしょうがないとして、このつぎストーブ列車に乗るなら自ら
焼き物セットを持って乗り、旅人主催でパーティを盛大に開こう。八戸にトットと
戻り、昔懐かしい八戸ラーメンで昼を食べなおしながら、そう心に誓う、どこまで
も前向きの旅びとのわたしであった。
 これから乗る「はやて」で牛タン弁当あったら食べちゃおう。だって、今食べて
るこれって昼食だし・・・そう追加で誓う、食べびとでもあった。


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