<伊東温泉、シメの納豆炒飯>
宇佐美を過ぎ、海沿いに建つサンハトヤが見えてくると、すぐに伊東温泉だ。

伊東駅に曲がる信号のすこし手前、上り車線沿いに「伊豆っ子らーめん」の店がある。


この店には数度訪れているのだが、いつも散々呑んだあとにいくものだからついつい麺類を注文してしまうのだ。
今夜こそ、名物の納豆炒飯にトライするつもりである。
「飲み放題の宿って行ったことありますか? あれってどうなんでしょう?」
わたしが頻繁に旅をするのを知っている飲兵衛のひとから、よく訊かれる。
もちろんわたしも、三百六十五日同一宿泊料金、二食付きで七千八百円とかの極めて低額の設定、しかも飲み放題で全国にチェーン展開している宿があるのは承知していたが、宿泊した経験はまったく一度もなかった。
なんとか放題というのが恐い。なにか自分がとにかくずっとひた隠しにしていた本性が玉子の殻を割るように現れてしまいそうだ。しかし、繰り返し訊かれつづけているうちに、「こっそりと一回くらいは経験してみるか」という気持ちが高まってきた。
毎年、年初めから一カ月断酒する。断酒明けに飲み放題の宿もいいかもしれない。あまりにも度重なって訊かれるものだから行ってみることにした。
夕食は入れ替えの二部制のバイキングということで、わたしは早い時間帯を選んだ。
列に並んでパレットのような皿を持って、広い食事会場に入る。
料理は朝食のバイキングに毛が生えた程度といったところだから、飲み放題目当てでない客には不満足な内容である。
酒の肴になりそうなものを適当に皿に取って、テーブルを確保すると、酒のコーナーへ向かった。
ビールのサーバーの辺が一番混んでいた。

熱燗のサーバーは機械の具合が悪いようで、なかなかお銚子が一杯にならないようで客が停滞している。

わたしが呑む焼酎だが、残念ながら甲類のものしかない。

まあ、しょうがないか。サワーも飲めるサーバーもあるとあとでわかったが、どうせ同じ甲類焼酎だろう。
氷をグラスに入れ、重いボトルを傾けて濃いめの水割りをつくってテーブルに戻り、周りを観察しながらちびちび呑む。

見廻すと、コストパフォーマンスの一番いいビールを呑む客が圧倒的に多い。いずれも人数の倍以上のビールを確保してから乾杯しているようだ。
眼の前の男性二人客を見ていると、ひとりが関取の付け人のように忙しくビールのグラスを何度も運んだり、どこから見つけたのか普通の皿に、バイキングの目玉の茹で海老を山盛りにして運んだりしている。体格のいい後ろ姿の親分格のほうは、どっかと席についてビールをグビグビ呑んでいた。
視線に気づいたのか、親分が振り返って睨んだのでわたしは慌てて視線を逸らす。
(ふぅ・・・吃驚したなあ。金成日そっくりのコワモテの顔だが、あれはたぶん女性だったぞ。となると、子分格のほうは旦那なのだろうか・・・)
子分格がまた席をたち、皿に寿司を山盛りにして首領様に運んでくる。
熱海のほうがよかったとか、あちこち同じチェーンの宿と比較している会話が多い。どうやら猛者のようなリピーターばかりで、わたしのような初めての客は珍しいようだ。
着替えて、夜の伊東の街に出かけて呑み直す。

やっぱり甲類の焼酎よりは、芋の水割りのほうがうまい。ここでも腹にたまらないように、炙った蛍烏賊の干物にした。

たっぷり呑み直し、勘定を払うと伊豆っ子ラーメンの店にいき、タイル製のカウンターに座ると納豆炒飯を注文した。
炒飯の旨い不味いは叉焼の味に負うところが多い。叉焼が指揮者となって味をまとめるのだ。しかし叉焼が旨い店はそんなに数多くないので、必然的に炒飯の美味しい店は少ない。そうわたしは思っている。
出来あがった炒飯からは、納豆らしいあの匂いはただよってこない。

まずはひと口・・・おぉ、これは思った数倍は旨い。もの凄い、いい味である。
やっぱり納豆サマは偉大な天才だ。平均的な実力の楽団を、あの世界の小澤征爾が登場して指揮したように、飯粒と具のひとつひとつがピタリと息を合わせて、不協和音なし、それぞれの実力を超えた奥深い味を醸し出している。
夕食バイキング、伊東湯の花通りの酒場と、あまり食べずにこれを待った甲斐は十二分にあったのであった。
「飲み放題の宿」のほうは、結論として「芋」焼酎派のわたしにはちょっと向いていないようだ。
→「伊東駅前 湯の花通り」の記事はこちら
→「伊東のいなり寿司」の記事はこちら
宇佐美を過ぎ、海沿いに建つサンハトヤが見えてくると、すぐに伊東温泉だ。

伊東駅に曲がる信号のすこし手前、上り車線沿いに「伊豆っ子らーめん」の店がある。


この店には数度訪れているのだが、いつも散々呑んだあとにいくものだからついつい麺類を注文してしまうのだ。
今夜こそ、名物の納豆炒飯にトライするつもりである。
「飲み放題の宿って行ったことありますか? あれってどうなんでしょう?」
わたしが頻繁に旅をするのを知っている飲兵衛のひとから、よく訊かれる。
もちろんわたしも、三百六十五日同一宿泊料金、二食付きで七千八百円とかの極めて低額の設定、しかも飲み放題で全国にチェーン展開している宿があるのは承知していたが、宿泊した経験はまったく一度もなかった。
なんとか放題というのが恐い。なにか自分がとにかくずっとひた隠しにしていた本性が玉子の殻を割るように現れてしまいそうだ。しかし、繰り返し訊かれつづけているうちに、「こっそりと一回くらいは経験してみるか」という気持ちが高まってきた。
毎年、年初めから一カ月断酒する。断酒明けに飲み放題の宿もいいかもしれない。あまりにも度重なって訊かれるものだから行ってみることにした。
夕食は入れ替えの二部制のバイキングということで、わたしは早い時間帯を選んだ。
列に並んでパレットのような皿を持って、広い食事会場に入る。
料理は朝食のバイキングに毛が生えた程度といったところだから、飲み放題目当てでない客には不満足な内容である。
酒の肴になりそうなものを適当に皿に取って、テーブルを確保すると、酒のコーナーへ向かった。
ビールのサーバーの辺が一番混んでいた。

熱燗のサーバーは機械の具合が悪いようで、なかなかお銚子が一杯にならないようで客が停滞している。

わたしが呑む焼酎だが、残念ながら甲類のものしかない。

まあ、しょうがないか。サワーも飲めるサーバーもあるとあとでわかったが、どうせ同じ甲類焼酎だろう。
氷をグラスに入れ、重いボトルを傾けて濃いめの水割りをつくってテーブルに戻り、周りを観察しながらちびちび呑む。

見廻すと、コストパフォーマンスの一番いいビールを呑む客が圧倒的に多い。いずれも人数の倍以上のビールを確保してから乾杯しているようだ。
眼の前の男性二人客を見ていると、ひとりが関取の付け人のように忙しくビールのグラスを何度も運んだり、どこから見つけたのか普通の皿に、バイキングの目玉の茹で海老を山盛りにして運んだりしている。体格のいい後ろ姿の親分格のほうは、どっかと席についてビールをグビグビ呑んでいた。
視線に気づいたのか、親分が振り返って睨んだのでわたしは慌てて視線を逸らす。
(ふぅ・・・吃驚したなあ。金成日そっくりのコワモテの顔だが、あれはたぶん女性だったぞ。となると、子分格のほうは旦那なのだろうか・・・)
子分格がまた席をたち、皿に寿司を山盛りにして首領様に運んでくる。
熱海のほうがよかったとか、あちこち同じチェーンの宿と比較している会話が多い。どうやら猛者のようなリピーターばかりで、わたしのような初めての客は珍しいようだ。
着替えて、夜の伊東の街に出かけて呑み直す。

やっぱり甲類の焼酎よりは、芋の水割りのほうがうまい。ここでも腹にたまらないように、炙った蛍烏賊の干物にした。

たっぷり呑み直し、勘定を払うと伊豆っ子ラーメンの店にいき、タイル製のカウンターに座ると納豆炒飯を注文した。
炒飯の旨い不味いは叉焼の味に負うところが多い。叉焼が指揮者となって味をまとめるのだ。しかし叉焼が旨い店はそんなに数多くないので、必然的に炒飯の美味しい店は少ない。そうわたしは思っている。
出来あがった炒飯からは、納豆らしいあの匂いはただよってこない。

まずはひと口・・・おぉ、これは思った数倍は旨い。もの凄い、いい味である。
やっぱり納豆サマは偉大な天才だ。平均的な実力の楽団を、あの世界の小澤征爾が登場して指揮したように、飯粒と具のひとつひとつがピタリと息を合わせて、不協和音なし、それぞれの実力を超えた奥深い味を醸し出している。
夕食バイキング、伊東湯の花通りの酒場と、あまり食べずにこれを待った甲斐は十二分にあったのであった。
「飲み放題の宿」のほうは、結論として「芋」焼酎派のわたしにはちょっと向いていないようだ。
→「伊東駅前 湯の花通り」の記事はこちら
→「伊東のいなり寿司」の記事はこちら
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