防災カレンダー
14日。月の最遠日。
新月週間。
東海地方から伊勢湾。

14日。月の最遠日。
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東海地方から伊勢湾。

身体は災厄を事前に察知できるという前提。
さて最初の話に戻ります。私達が予測困難な災厄(大事故)に直面する時、私達は脈診でそれを予知することが出来るのか。まずおそらく、私達の身体は大事故の直前にそれを知ることが出来る。という前提となります。
それは一つに動物の本能。私達が通常知覚していない音波や磁気など。地震を事前に感じる動物や一部の人などはそうでありましょう。
もう一つは人の意識が奥底で繋がっていること。アカシックレコードとも呼ばれる人の意識のクラウド情報保管庫。
テロを起こそうとしている人たち。あるいは整備不良の乗り物。運転手の心理状態。そういう生きている人たちの心理状態は奥底で全て繋がっている。そのアカシックレコードに繋がれば、人災による大事故を予知出来る。
いずれも仮説ではありますが、人は本当は大きな災厄を予知することが出来る。という前提で話を進めます。
大災厄の前は本当に脈が乱れるのか?
人の身体が大災厄を予知出来るのであれば、その兆候は脈拍にも現れる。ということもあり得るかもしれません。
しかし実際に大災厄の前に脈が乱れるという練習も確認も出来ない状態で、本当にそれは役に立つのか。
私が思うには、脈診で重要なのは、人が自分の脈を診る時に、心が落ち着くということでした。表面意識のしがらみから一時的に離れることが出来る。無思考の状態になることが出来る。
意識が脈と同調する間は無思考になれる。その時にそれが本当の胸騒ぎなのかどうか感じることが出来る?
だから。ちょっとした間が悪いこと。これが続いた時。それは警告でありますから。 その時自分の脈を静かに診てみること。これは役に立つかもしれません。
本当に脈が乱れているかもしれませんし、脈は乱れていないかもしれないが、自分の心の中に沸き起こる胸騒ぎ。ザワザワ感。
自分の生命を寿命が来るその時まで生かせ続けようとする自分自身。その自分の生命に耳を傾けることが出来る。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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渡辺謙主演の「沈まぬ太陽」は、当時主人と真剣に観ていました。
山崎豊子さんの三部作の一つ。
名作ですからAmazonプライムにありますね。
観たくなりました。
→ Amazon Primeにあるのはwowowのドラマ編です。私が視聴したものです。
ドラマ編は全20回で、映画では割愛されたシーンも残っているので見応えがあるという人もいるようです。
昨晩の迎え火の時間は、正に黄色い黄泉の世界でした。
お盆の風習がちゃんと続いています。
日本良い国ですね。
→ ありがとうございます。
==========
かつて山崎豊子さんの原作は夢中で読みました。
最後の最後まで報われずに終った主人公の無念を思うと私は未だに悔しいです。読後この物語はほぼ真実を描いたのであろうと感じました。
→ 実際のモデルになった方はそれほど無念さはもう感じていない。アフリカを第二の故郷として活躍されているようです。
1999年駒場祭講演会・小倉寛太郎「私の歩んできた道」
http://minseikomabahongo.web.fc2.com/kikaku/99ogura.html
(講演の中で天皇陛下については天皇と呼び捨てにはしてほしくないです。あの時代のインテリ層の多くはそうなのが残念ですが。)
ドラマの第一部の組合運動については私は違和感がありました。乗客の安全が全てに優先する。それは経営側も従業員側も同じはずなのに、資本家と労働者の対立。資本家が労働者を搾取するのを力で是正するのだ。とすり替えている。これも(戦争の反動で)60年代日本社会に一斉を風靡した運動なので仕方ないのかもしれませんが、乗客の安全を守るためには、別の方法があったはず。
結局労働組合は日本では馴染まなかったです。経営側も従業員も日本では本質的に対立しない。お客さまのためという同じ船の仲間どうしなのですから。
ちなみに小倉氏の前の委員長であった吉高氏は日経新聞で下記のインタビューにに答えているということです。
ーーーーーーーーーー
[小説の取材で]山崎氏は「小倉さんてどういう人ですか」と聞いたので、吉高氏は「連合赤軍の永田洋子を男にしたような人物です」と答えた。山崎氏が「それはどういうことですか」と聞くと、「頭は切れて人を取り込むのはうまいが、目的のためには手段を選ばず、冷酷非情な人物です」ときっぱり答えた。その時、吉高氏は一つのエピソードを紹介した。
松尾社長の長女は長らく白血病で入院していた。団交中「社長の御長女危篤」の知らせが入ったので、労務課長だった吉高氏は団交を先延ばしするように要請したが、小倉委員長は「相手の弱みに付け込んで要求を獲得するのが組合の闘争。こういう時がチャンスだ」と団交継続を指示した。結局、松尾社長は長女の死に目には会えなかった。 このエピソードを聞いた時、山崎氏は「どうしよう。これじゃ、小説が成り立たない。もうやめましょう」と動揺を隠せなかったという。
・・・
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301611.html
ーーーーーーーーーー
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向かった先が、ス○ットでした。元々嫌いではなかったですが、ギャンブルですし痛い目にあったこともありやめていました。
コロナ渦で、1番避けていた所なのに、何かがプチンときれてどうにでもなれ!と向かってしまいました…。4時間ほど滞在して、27000円も負けました。マスクをつけ、消毒をいつもより念入りにし、つばのひろい帽子と眼鏡もかけて、手袋をつけて打ちました。そこまでして打ちたいのか、自分?と情けなくなりながらも打ってしまいました。
→ そういうこともあります。気にしないことと思います。
楽して儲けたいという動機ではなく、ストレス発散のために使うお金は意味があります。パチスロじゃなくても人はストレス発散でお金を使うのは自衛本能だと思います。
それでご自身の身体の健康や家族関係の破壊が避けられるのなら、27000は安い買い物だと思います。
あまり真面目に考え過ぎないでね。揺らぐ柳の木の方が折れにくいです。
==========
教えていただきたいのですが、
『ほんとに危険だぞ!』と、『注意しなさいよ〜』は、どう見分けたら良いですか?
先日息子たちが夏休みに入ったので、ずっと行きたがっていた川に行きました。コロナなので日帰りで県内の川にしました。
行く前に、私は両ひざを交互にぶつけ(今までにない位の内出血しました)、長男は自転車で転んで手の親指を怪我、次男は転んで柱にぶつかりおでこにたんこぶができてしまいました。
これは、行かないほうがいいってことかな、と思いましたが、子供たちは楽しみにしているし、夫は、夏休みどこにも行けないんだから行こうと言うし、私も子供たちに川を経験させたいので、注意して行くことにしました。
川に到着し川原を歩いている時に、近くにいた小学生が大きめのゴツゴツとした尖った黒い石を投げてきました。私たち家族の間を通り、次男の奥に落ちました。次男がギリギリでした。あたっていたら結構な怪我だったと思います。
これだったのか?ご先祖さまが守ってくれたのかな?
でも違うかも、まだかも、本当に気をつけなさいということなのかも、と思い、それからは気を張って家族を見ました。
→ 「危険だぞ」も「注意しなさい」も同じ赤信号であると思います。
陰陽の仮説ではこのように考えます。
小さな間の悪い出来事が立て続けに起きた時「これは要注意だな」と身構えたわけです。
これは注意している事柄は災厄が起きにくい。という力が働きます。あなたが「気をつけなければ」と注意していたから、小難で済んだ。
もしこの警告に無頓着であれば、大きな災厄になっていたかもしれません。
とにかく「間の悪い連続」という予兆があったら、ご自身もそうですし、ご家族にもきちんと「今日○○は川で溺れるか怪我するからね。」と断言するぐらい注意を述べるのも一つの手です。具体的に述べると、それが具体的であるほど、実際に起きにくくなるから。
人の意識が向けられた時点でそれが起きなくなる。(ただし災厄の因子は残っていますから、いくつかの小難で昇華を引き受けることにはなるでしょう)
==========
人は、自分の人生をある程度設定して生まれていると、私は説明出来ない確信を持っていて、間の悪さも含めて自分が設定してきたタイミングなので、それをを信頼し、受け止めようと覚悟できる事が悟りかなあと考えています。
→ 間の悪いことが続く。間の良いことが続く。というのが交互に波のように起きるのが人生というが私の仮説です。
だから間の悪いことが続き始めると、しばらく要注意だな。と自分自身を戒めることが出来る=小難に出来る。
逆に間の良いことが続く時は、油断したり感謝することが怠りがちになるので、これもまた自分の戒めとなります。
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渡辺謙主演の「沈まぬ太陽」は、当時主人と真剣に観ていました。
山崎豊子さんの三部作の一つ。
名作ですからAmazonプライムにありますね。
観たくなりました。
→ Amazon Primeにあるのはwowowのドラマ編です。私が視聴したものです。
ドラマ編は全20回で、映画では割愛されたシーンも残っているので見応えがあるという人もいるようです。
昨晩の迎え火の時間は、正に黄色い黄泉の世界でした。
お盆の風習がちゃんと続いています。
日本良い国ですね。
→ ありがとうございます。
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かつて山崎豊子さんの原作は夢中で読みました。
最後の最後まで報われずに終った主人公の無念を思うと私は未だに悔しいです。読後この物語はほぼ真実を描いたのであろうと感じました。
→ 実際のモデルになった方はそれほど無念さはもう感じていない。アフリカを第二の故郷として活躍されているようです。
1999年駒場祭講演会・小倉寛太郎「私の歩んできた道」
http://minseikomabahongo.web.fc2.com/kikaku/99ogura.html
(講演の中で天皇陛下については天皇と呼び捨てにはしてほしくないです。あの時代のインテリ層の多くはそうなのが残念ですが。)
ドラマの第一部の組合運動については私は違和感がありました。乗客の安全が全てに優先する。それは経営側も従業員側も同じはずなのに、資本家と労働者の対立。資本家が労働者を搾取するのを力で是正するのだ。とすり替えている。これも(戦争の反動で)60年代日本社会に一斉を風靡した運動なので仕方ないのかもしれませんが、乗客の安全を守るためには、別の方法があったはず。
結局労働組合は日本では馴染まなかったです。経営側も従業員も日本では本質的に対立しない。お客さまのためという同じ船の仲間どうしなのですから。
ちなみに小倉氏の前の委員長であった吉高氏は日経新聞で下記のインタビューにに答えているということです。
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[小説の取材で]山崎氏は「小倉さんてどういう人ですか」と聞いたので、吉高氏は「連合赤軍の永田洋子を男にしたような人物です」と答えた。山崎氏が「それはどういうことですか」と聞くと、「頭は切れて人を取り込むのはうまいが、目的のためには手段を選ばず、冷酷非情な人物です」ときっぱり答えた。その時、吉高氏は一つのエピソードを紹介した。
松尾社長の長女は長らく白血病で入院していた。団交中「社長の御長女危篤」の知らせが入ったので、労務課長だった吉高氏は団交を先延ばしするように要請したが、小倉委員長は「相手の弱みに付け込んで要求を獲得するのが組合の闘争。こういう時がチャンスだ」と団交継続を指示した。結局、松尾社長は長女の死に目には会えなかった。 このエピソードを聞いた時、山崎氏は「どうしよう。これじゃ、小説が成り立たない。もうやめましょう」と動揺を隠せなかったという。
・・・
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301611.html
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向かった先が、ス○ットでした。元々嫌いではなかったですが、ギャンブルですし痛い目にあったこともありやめていました。
コロナ渦で、1番避けていた所なのに、何かがプチンときれてどうにでもなれ!と向かってしまいました…。4時間ほど滞在して、27000円も負けました。マスクをつけ、消毒をいつもより念入りにし、つばのひろい帽子と眼鏡もかけて、手袋をつけて打ちました。そこまでして打ちたいのか、自分?と情けなくなりながらも打ってしまいました。
→ そういうこともあります。気にしないことと思います。
楽して儲けたいという動機ではなく、ストレス発散のために使うお金は意味があります。パチスロじゃなくても人はストレス発散でお金を使うのは自衛本能だと思います。
それでご自身の身体の健康や家族関係の破壊が避けられるのなら、27000は安い買い物だと思います。
あまり真面目に考え過ぎないでね。揺らぐ柳の木の方が折れにくいです。
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教えていただきたいのですが、
『ほんとに危険だぞ!』と、『注意しなさいよ〜』は、どう見分けたら良いですか?
先日息子たちが夏休みに入ったので、ずっと行きたがっていた川に行きました。コロナなので日帰りで県内の川にしました。
行く前に、私は両ひざを交互にぶつけ(今までにない位の内出血しました)、長男は自転車で転んで手の親指を怪我、次男は転んで柱にぶつかりおでこにたんこぶができてしまいました。
これは、行かないほうがいいってことかな、と思いましたが、子供たちは楽しみにしているし、夫は、夏休みどこにも行けないんだから行こうと言うし、私も子供たちに川を経験させたいので、注意して行くことにしました。
川に到着し川原を歩いている時に、近くにいた小学生が大きめのゴツゴツとした尖った黒い石を投げてきました。私たち家族の間を通り、次男の奥に落ちました。次男がギリギリでした。あたっていたら結構な怪我だったと思います。
これだったのか?ご先祖さまが守ってくれたのかな?
でも違うかも、まだかも、本当に気をつけなさいということなのかも、と思い、それからは気を張って家族を見ました。
→ 「危険だぞ」も「注意しなさい」も同じ赤信号であると思います。
陰陽の仮説ではこのように考えます。
小さな間の悪い出来事が立て続けに起きた時「これは要注意だな」と身構えたわけです。
これは注意している事柄は災厄が起きにくい。という力が働きます。あなたが「気をつけなければ」と注意していたから、小難で済んだ。
もしこの警告に無頓着であれば、大きな災厄になっていたかもしれません。
とにかく「間の悪い連続」という予兆があったら、ご自身もそうですし、ご家族にもきちんと「今日○○は川で溺れるか怪我するからね。」と断言するぐらい注意を述べるのも一つの手です。具体的に述べると、それが具体的であるほど、実際に起きにくくなるから。
人の意識が向けられた時点でそれが起きなくなる。(ただし災厄の因子は残っていますから、いくつかの小難で昇華を引き受けることにはなるでしょう)
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→ 間の悪いことが続く。間の良いことが続く。というのが交互に波のように起きるのが人生というが私の仮説です。
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