あけぼの

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教え子の東京訪問:日本で出会った人々有難う!

2010-07-22 15:35:15 | アート・文化

 アメリカの教え子が二人やって来た。昼は働き夜大学で学んでいる、とても純情な青年たちだ。「日本に来たら日本人になります」と箸も上手に使い、出す食べ物は全て美味しそうに食べ、日本語を上手になって帰ろうと懸命の努力をしていた。彼らを新居に泊め、早朝に行って食事させ、盛り沢山な観光計画の段取りをし、夜は彼らが入浴を済ませてから自宅に帰るという一週間だった。案内には友人のヘルプもあり大変有難かった。二日目はちえ子さんのご案内ではとバスに乗って皇居、浅草、その他の名所見物だった。次に泊まりがけで博子さんと筆者が付き添い奥日光は湯元の温泉へ。ホテル代、温泉代、長距離バス代、食事代込みで5600円という安価なおおるり山荘を利用したが、温泉は初めてで興奮していた。東照宮も華厳の滝も見た。外国人が殆んど来ない安ホテルだったせいか、大部屋での食事ごと、皆さんの注目を浴び、優しい声をかけられ、喜んでいた。納豆を一生懸命かきまわしていたら、「一杯食べなさいよ、大きくなるよ!」と声をかけるおじさんあり、また、「貴方がたにお時間があったらお招きしたい」と言ってくれるお茶の先生もいた。東京に戻って翌日は登志さんのガイドだったが、アメリカから予約していたTatoo(刺青だけどファッション用)のため渋谷に行き、トラの尻尾に6時間もかかったようだ。それから登志さんの出身大学のカフェテリアに案内され、「日本の女子大生は美人ばかりですね。日本人と結婚したくなりました」と。其の夜は登志さんが夕食にご招待して下さり、体験が増えて喜んでいた。最後の日はまた私の当番。食事をし、静岡までのキップを買うのを手伝い、送り出した。「郷に入れば郷に従え」という態度に徹し行くところどころ友だちを作っていた。彼らが東京滞在中に感じたことは、「初対面でも招待する日本人」が結構いて感動したという。好感の持てる外国人でなければ起こり得ない話だが。その一人スコットの結婚式が8月にある。それに出席するためもあり、もうすぐオハイオへ戻ります。(彩の渦輪)


七夕の会を終えて

2010-07-19 17:29:35 | アート・文化

 1984年、「Still waters Run Deep:音無し川は水深し」の読者の皆様の集まりでスタートし、年一回お会いしてきた七夕の会、筆者がアメリカにいる間にはかなり抜けたものの26年目となった。今年は29人の参加だった。みんなが主役のこの会、スピーチ(日本語、英語、スペイン語、なんでもOKで、今回は3人が外国語のスピーチだった)、歌、楽器演奏、映画、写真、日常生活やご活動の紹介等全員が主体的に参加する。自己紹介と活動報告は勿論のこと、今年は津軽三味線の演奏、サックスの演奏、86歳の絹子さんは耳が遠くなられたけどショパンの小曲を演奏して感銘を与えた。懐かしい九ちゃんの歌や「今日の日はさようなら」の合唱Etc.シンシナティの映画は割愛せざるを得なかったがそれでも3時終了の予定が5時過ぎまで熱気でムンムン。以下はあとで届いたご感想の一部です:     

何かをしているという事を他人に知ってほしいという皆さんの生き生きとした表情が印象的でした。「私のしている事を見て!」と言えるメンタリティって、すごいエネルギーです。(A-san)


昨日は盛会で、楽しく、また、有意義でした。津軽三味線の演奏も興を添え、 演奏や歌も人の心を一つにするものだと今更ながら痛感しました。みなさんが腕を振るっておいしいものもたくさん供されたので、ホテルのバイキング気分でした。大きなパワーと勇気と優しさを余韻に残しました。有難うございました。(T-san)

いろいろな分野の方たちとのふれあい、素晴らしいことでした。めぐりあいがあって、内容も豊かで、あっという間の6時間でした。ピアノ、三味線、サックス等々あって私のアコーデオンなど出る幕がなかったのですが、私も28年ほど前より下手の横好きでたまにたのまれて「童謡」、「唱歌」などを伴奏したりしています。次回には私も演奏させてください。(S-san)

いろんな方とお会いでき、元気と前向きな気持ちを頂きました。特に津軽三味線の細野さん、演奏素晴らしかったです。お若いのにしっかりしていて感心しました。お年を重ねた方々も皆さま素敵でした。一日一日を大切に、前向きに過ごしていらっしゃるなあ、と感じました。主催者ご夫妻もいつもお元気で前向きで尊敬しています。本当に良い機会を頂いて感謝しています。(Y-san)

昨日は本当に有難うございました。ご出席の皆さまがそれぞれ前向きに充実した日々を重ねていらっしゃる・・・変なたとえですが、宝石のようなひとときを頂きました。三味線の演奏のときは補聴器を外しました。器具など通してはもったいないと。

最終段階に入った「自分」と「人間」をもう一度見直してみたいと思っております私に本当に良い機会をくださったことに心よりお礼もうしあげます。(K-san)

出席された個性豊かな皆さまに心から感動致しました。圧倒されてしまった気がしています。とにかく素敵なプログラムでしたし、なかなかお会いするチャンスもないような方々との出会いでエネルギーを頂き、リフレッシュして帰宅出来ました。木の香りのする素敵な新居、展示の品等、・・・86歳のKinuko様、80歳78歳のK-ご夫妻始め、夢多き若い青年まで「多種多才」という表現でいいかわかりませんが、活気溢れる集いを有難うございました。(E-san)

来年も再来年もと、このパーティーが末永く続くことを願います。次回も是非お声かけ下さいね。(J-san)

先日は楽しいひと時ありがとうございます。♪♪いつも前向きで人に出会うことの楽しさを体現されている姿に触発されました!!!良いですね。世代も性別も全て超えてしまって、いいなと思うことにまっすぐにすすむ!!! 勇気と好奇心、そして冒険心を刺激された一日でした。ありがとうございます!!!(M-さん) 彩の渦輪

暖かい会に出席して皆様から感動をいっぱい頂いて、ほんとに私は幸せ者だわと心からそう思いながら帰って参りました。(Y-さん)


旅を彩る出会い

2010-07-05 12:43:58 | アート・文化

  シニアになると行動も控えめになるのが世の常ではなかろうか。だが家に居て視覚や聴覚のみの生活では記憶が減退した今、脳裡に何も残らなくなり、評論家的老人ライフとなる。静かに涸れて行くことをお望みのお方はそれでいいだろう。我々は夫婦合わせて150歳だが、幸い足腰がしっかりしていて健康にも支障が少ない。暮らしにアクセントをつける目的で頻繁に旅に出る。このところ毎月、近隣の海外をほっついている。

小生の性格上旅先で誰にでも話しかける。人それぞれの体験談や人生論など拝聴し自らも体験談を述べ、楽しく密度の濃い出会いと旅を継続している。今回はミヤンマーに行く中継点バンコックである女性と会った。タイからの帰り、ご主人は日本大使館員参事とのことだった。私たちの旅を心配し、「夜遅くてもよいですから」と電話番号をくださった。ミャンマー初日にはお電話せず、9日間無事旅を終えて事後報告をしたところ、残した見どころを案内して頂くという幸運に恵まれた。

海外の旅で大使館や大使と関わりがあったのはこれで3回目、グアテマラではリゴベルタ・メンチュウさんとの面会の仲介に努力していただいた。アルゼンチンでは小生の「無謀旅」のご心配を頂き、お礼に行った。いずれもこちらから働き掛けた事件や活動に対して反応いただいた出来事だった。新体験は珍体験になることが多く脳の活性化に繋がり、加齢対策には何より効果があると確信している。(自悠人)


琴光喜よ、自己変革して頑張れ!

2010-07-03 13:41:48 | アート・文化

今回の相撲賭博に関し、世界一気弱な男、琴光喜関の懲戒処分(除名か解雇)は悲しい。理事長は短期の謹慎、無理にやらせられていた琴光喜への配慮は無い。伝統ある国技の病巣をえぐりたいなら最高責任者、理事長がまず辞めるべきであろう。琴光喜の初回の「かかわり否定」証言は法治国家のもと、何らかの処罰の対象となることは認めるが、そもそも彼に「身内の賭け」と言い、「自分の名を出さないように」と言ってやらせた大嶽親方を彼は慮った。この気弱な犠牲者を除名し理事長が居座る「トカゲの尻尾切り」は相撲への興味と愛を奪ってしまう。ドロ船の船長は最後でなく最初に去るほうが相応しい。

 私は琴と名のつく力士が好きだった。親方、かつての琴の若が顔から土俵に突っ込んで行った姿は今も脳裏にある。長年の相撲ファンである私だがもう相撲を見たくない。

 琴光喜関に贈る言葉:私もかつて世界一気弱な女だったが30歳で自己変革した。内向的になる原因を分析した。自らが他人に傷つけられるのには耐えられるが、自分の未熟さのゆえに人を傷つける恐怖心から消極的になり、特に否定的発言が出来なかったことが判った。「よし、どう思われようと言うべきことは発言するぞ、いつか分かってもらえればよい」と開き直り、内向性を克服出来た。

 琴光喜よ、この事件を契機として世界一プレッシャーに強い男に自己変革し、力強く生きて行こう。私は相撲観戦を止めても貴方の永遠のファンとして貴方の生き方を見守り、応援していますよ。(彩の渦輪)


生涯精進の教訓、両親より(母84歳時、父88歳時)

2010-07-02 12:13:13 | 国際・教育

母、八重子は84歳の時(1998年)、還暦の娘、筆者が、アメリカで教育学博士号を取得

した時、流麗な墨でこう揮ごうした。

静かな泉の水は涸れる: 「学び続けよ!」というメッセ-ジである。筆者はこの語句を

“Constant renewal keeps the oasis alive” と意訳し、アメリカに登録する博士論文の目次前のページにWords of Wisdom by Motherとして挿入した。今も母のメッセージのプレッシャーがあり、心身には休憩がない。この母は今年の2月、誕生日前日に96歳で死去、「鳥取県立米子高等女学校」と言うのが最後の言葉だった。法勝寺という田舎から電車通してここで多く学んだことが彼女の誇りだったようだ。

父春三は88歳の時(1996)、力強い筆でこう揮ごうした。

直進:今でいう大検、当時の文検を独学でパスし、高等学校で教えてきた父の、この語句の意は易しいが実行は難しい。「真ッ直ぐ進め」とは一体何をしようか、と、今アメリカの大学の教職を終えて帰国するにあたって考える。アメリカでは日本文化を教えてきたからだ。うっすらと見えてきているビジョンは日本の平和を次世代に繋げていく活動だ。奥深い伝統と魅力的な文化を有する日本の平和を次世代に残すために精進し、直進することが生涯精進し続けた両親の遺訓を守っていくことだろうと考えている。(彩の渦輪)