あけぼの

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氷河の街、カラファテ再訪:おばちゃんあの時ありがとう!

2011-11-30 11:13:41 | アート・文化

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13年前、小さなB&Bで介抱してくれたおばちゃん(と言ってもその時30代だったそうだ) 

13年後、お礼を言いに来て泊まり、おばちゃん夫婦をレストランに招待した。料理が終わってからの写真ですが。

日本とアルゼンチンの親善に感動してレストランのオーナーがシャンパンをプレゼント!

 タクシーでぐるぐる回ってやっと見つけた懐かしのおばちゃんの宿に移った。13年の歳月、周辺や宿はすっかり変わっていた。おばちゃんは覚えていた。抱き合った。劇的な再開であった。かつて13年前宿を探す折り背中に激痛が走って5日お世話になった宿である。背中をさすってもらったり病院に案内してもらったりしたが安静しているしか方法が無かった。

あのとき日本で心配したワイフは外務省に働きかけ、同情したブエノス・アイレスの日本領事が現地の警察を動かし私を探してくた事件がここ、カラファテであった。当時のカラファテは小さな町、35軒の宿しかなかった。そこをシラミつぶしに探し、リオガジェゴスの空港で飛行機の予約しているのを確認したと日本に連絡が入ったと言う。私は航空機を午前便に変更し、更に奥のチャルテンに飛んでしまっていた。

 今のカラファテは氷河観光ブームで街も膨れ上がり宿も153軒と増え、きれいに様変わり、おばちゃんの宿も大きく増改築して立派になっていた。かつて彼女は遠距離バスが着くたびに客を勧誘するためにバスターミナルに行っていたが、インターネットの発達でその必要もなくなったらしい。その日から2泊し、おばちゃん夫婦をレストランに招待して喜ばれた。会う人に私たちの経緯を語り、お礼にやってきた奇特な日本人のことを話していた。過去にない体験でよほど嬉しかったのだろう。私も長年の心の負担が収まった。やるべきことはやっておかないとね。「今度は貴方の100歳の記念日に招待しておくれ。日本にお祝いに行くから!」とモニカおばちゃんは言った。当時、おばちゃんだと思っていたが、娘と同じ年頃だったそうだ。自悠人


人類の祖先に今を問い助言を仰ぐ女性と会って

2011-11-25 09:42:25 | アート・文化

Australia_new_caledonia_by_ayako_07 ニューカレドニア先住民、カナックの祖先の彫像と住居。
ここにマーゴさんが立っていた。

人類の祖先に今を問い助言を仰ぐ女性

 チバウ文化センターは美しいマジェンタ湾とマングローブの森林に囲まれた広大な土地に、ニューカレドニア先住民、カナックとオセアニア全地域の文化が紹介されている必見の場所だ。「カナックの道」にはカナックの精神世界や宗教観が表現されている。伝説上だが史上初の人間、テアカナケの誕生から死して再生するまでが関連ある植物や花々と共に5段階に造園され、歩きつつ人類の歴史を遡り過去と会話出来るしくみだ。入園時いた外国人夫婦とはぐれ、広大な敷地を歩くのは筆者のみだった。

 高台からふと眼下を見おろすと、「精神の国」辺りで人影がする。行ってみると…まだ30代に見える女性が先祖の木製彫像群に向きあい立っていた。たった一人で。近づいて自己紹介し、会話が盛り上がった。フランス語は勿論だが英語も話すインテリの若い女性がここでしていたことは…祖先との会話だった。その人、マーゴさん曰く、「ここは神聖な場所です。時々一人でここに来て祖先と意思の疎通を図り、質問します。祖先の価値観から見て現代人の私たちの生活が正しいかどうか判断し、助言を頂きます。ここに来ると地上の旅-“身体の旅”-と異なる旅が出来ます。カナックの人々、つまり人類の祖先に会う“精神の旅”です。我々の文化は毎日、毎月、毎年…変化しますね。我々は地球資源を奪い、消費社会を作り、エネルギーを乱用し、その上余り満足しません。何をしているかいつも忘れてしまいます。こんな生活をしていてよいのか。祖先は死んではいません。教会にも行きますが、ここでは祖先の価値観で返事を頂くので私はよくここに来るのです今までのところ『欲求に節度を持て!』『分けあえ!』という返事をいただいています。」

 マーゴさんはそんじょそこらの政治家やエコロジストよりも憂慮していた。筆者の思いも同じだった。広いチバウ文化センターの敷地内の一角、祖先の国行き列車乗り場で、ニューカレドニアの原住民の子孫、見目(みめ)麗しい若い女性と日本から来たおばさん(筆者)が同感しあい、現代人の生活を反省しあったひととき、決して忘れないだろう。(彩の渦輪) 


天国に近い島のサンセット

2011-11-24 10:36:03 | アート・文化

Australia_new_caledonia_by_tadaaki_ 天国に近い島のサンセット

紺碧の環礁は世界自然遺産

サンゴ礁に囲まれた澄明かつ紺碧の海で南国の太陽を一杯に浴びて泳ぎ、砂浜では甲羅干しを楽しんだ。ここに来ているヨーロッパ人は上半身裸でからだを焼いていた。丸出しはやはり中年が多かったが母と娘が並んでオッパイを見せ、寝転がっている姿もあった。シドニーから一週間と余裕ある旅を組んで来たなら、周辺の島めぐり等で地上の楽園を味わえる。近くの砂浜で会った親子三代の家族連れ、老紳士と娘親子を紹介したい。言動からしておじいさんが孫のために海外の海を楽しませてやろうといった感じだった。お金を与えるより体験をプレゼントすることの意義を重視したのだろう。微笑ましい光景だった。美味しそうな食事を囲んでの会話は絵になるシーンだった。孫の素晴らしい人生が予見できる感じがした。体験こそ財産。老人の行動見本の一例を見せられた思いだった。

 最近は若者や家族連れより老人たちの存在を意識するようになった。自分たち夫婦と比較するからだろう。勿論それぞれの境遇の中での生き方を考える。我々は結婚50周年記念、世界一周の旅で立ち寄った。天国に最も近いところとはどんなところだろうかと。

天国に近いこの島へ来てから結構お金がかかることも事実だ。「お金の価値はここで遣って試して下さい。海に突き出したピアーでワインとフランス料理を楽しんでください!」というお膳立て、素直に参加すべきだ。皆さんも是非一度飛来してください。(自悠人)


ご飯が美味しい!:長い旅から帰国しました 

2011-11-23 11:51:53 | アート・文化

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ホテルからすぐ近く、美しいアンスバタ湾の風景      ニッケル鉱山労働者や伊17号潜水艦の英霊を祀った日本人墓地

結婚50周年特別企画:今年のうちだけで50カ国歴訪しよう、という掛け声で地球千鳥足バックパックの旅を続けた。日本に丸々いたのは7月と9月だけ、最後のPart Vは1カ月半の長旅だった。夫の体調に合わせ何度も日程を調整したが、大きな病気や事故もなく何とか無事にこの旅を終えて帰国できたこと感謝している。どこから書こうか迷うが、やはり『天国に一番近い島』(森村桂さんのタイトル)からにしよう。

浜辺を染める桜貝、貝の数ほど人の親切

 淡いエメラルド色の美しい海に囲まれ、その浜辺には無数に桜貝が打ち寄せている。年を忘れて拾わずにはいられないきれいな色の貝が惜しみなく行列している浜辺、だがきりのない貝拾いはいつしか諦め、歌が口を衝いて出る。「麗しき桜貝ひとつ、去りゆける君に捧げん…」ひとつは千個に替え、あとはそのまま歌いながら延々と続く貝交じりの砂浜を歩く。砂浜のすぐ前はプチ・パリだ。美味しいフランスパンや菓子パン、アイスクリーム屋が並ぶ。我々の中級ホテルでも海まで1分、バス停もすぐそこだ。バスを乗りこなせば行動半径が拡がる。何より嬉しいことは高い安全度で、人の親切にも星の数ほど出会うことだ。海の好きな夫はせっかく天国の海に来たのだからと連日海辺へ、森林の好きな筆者はバスを乗り継いでヌメアやチバウ文化センターへと遠出した。ヌメアでチバウへのバスを待っていた時、外国人と見て救急指導中の隊員が筆者をテント内へ誘い、この椅子で待って、と申し出た。例によって別行動の多い夫婦だが日本人墓地訪問は一緒だった。日本人墓地には様々な悲話や美談等の歴史が隠れている。この国はニッケル産地で有名で、1900年前後に5575人が鉱山労働者として移住し、殆んどこの地で没したのだ。刻まれた百数十人の名前を見て往時を偲んだが、出稼ぎ当時の日本の貧しい暮らしが容易に想像できた。いつの時代にも勇気ある者は新開地を求めて国を飛び出す。日本の大先輩たちの歴史的海外移住経緯を知るために墓地を訪ねるのも私たち夫婦の旅である。バスで最寄りまで行ったがわからず、聞く人もいなかった。が、やがて車で通りかかった青年に救われた。車に乗せて墓地の入口まで送って頂き、果物や水まで頂いた。彼は名も言わず素早く去った。その親切に感謝して墓参、帰りも別の家族連れの車に拾われ、メヌアまでバス回数の多いバス停まで乗せてもらった。大先輩たちの苦難の人生は歴史的事実、日本人として忘れてはならないと肝に銘じた。街を歩けば次々と親切や優しい言葉に出会う、まさに天国のような国だった。(彩の渦輪)