あけぼの

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 アゼルバイジャン行きは日本出国までが大バリアだった!

2011-06-30 10:18:44 | アート・文化

筆者夫婦の旅先は最近共和国が多い。つまり滞在ヴィザが必要な国が殆んどだ。ヴィザなしで簡単に行ける国は大体訪問済みなのだ。今回はカフカス地方へ。グルジアは運良くヴィザ不要、アルメニアはまあまあ運良く、Internetでヴィザが取れた。一人当たり$152人で$30だった。ところがアゼルバイジャンのルールのいやらしさ。まず航空券が無いとヴィザを出さないと言うのでウン十万円で買い、ホテルの予約証明書と支払い領収書も必要、と。ヴィザはホテルの宿泊予約のある日だけ出す、と記してあるのでInternetで適当なホテルを見つけて予約、クレディットとカードで支払いを済ませて都内の領事館に出かけた。「これではだめだ!」と領事さんは冷酷な返事。InterNetでの払い込は認めない。「現地のホテルに直接電話してFaxConfirmation StatementTourism Voucherを入手して持ってきなさい!」

なんとNoah’s Ark Hotelに国際電話を10回もかけましたよ!出てくるのはYusifというチーフレセプショニスト、幸いなことに英語を話したが、こっちが電話を何度かけたって向こうはFaxをくれない。それでもConfirmation StatementはやっとPdfで届いたがTourism Voucherは出発予定の直前まで来なかった。「ああ、もう飛行機代もホテル代もパーになるな!!」と思い、10回目の電話ではYusifに泣き声で訴えた。やっとVoucherが来た。それを持ってまた領事館へ。筆者と夫、延べ4回領事館へ通い、やっと出発前日にヴィザを頂けた。ヴィザ代は不要だったが我が家から領事館までの交通費4回で計8000円なり。飛行機代が無駄にならなかったので良しとしようか。

アゼルバイジャンのNoah’s Ark Hotelに着いた時Yusifは握手を求めてきたがなかなかしたたかな男だった。日本人客は我々が初めてだった。合計6人のレセプショニストは皆フレンドリーでいい奴ばかりだった。アゼルバイジャンの旅行記はそのうちアップするが、安全で、親日的で、良い国だった。多くの人が温かい笑顔で話しかけて来て津波見舞いを述べてくれた。旧市街は高い城壁に囲まれていたが日本の領事館のウォールほど高いバリアではなかった。(彩の渦輪)


運と不運を満喫したガウディーの国 ~スペイン②~

2011-06-13 08:37:14 | アート・文化

T_051 グラナダ、アルハンブラ宮殿の一角

 魂を揺さぶられる観光が出来るスペインを30年ぶりに訪問した。バルセロナから夜行寝台車で早朝に着いた。荷物を預けようにもコインロッカーなし。ホテルを探してコロン通りを歩き、飛び込んだホテル、ヴィネッシーは親切で、泊まり客ではないのに荷物を預かってくれた。「アルハンブラ宮殿の当日券は枚数に制限があるので早く行け」と急がしてもくれた。切符売り嬢が「日本人?そっちの窓口にどうぞ」で即座に入場券を発行してくれた。親切と運に拾われた出足だった。アルハンブラ宮殿は二回目の訪問、ヘネラリフェの「水の宮殿」入口の刈りこまれた高い生垣と噴水を見て「ああこの前これを見た」と思いだした。目的のナスル朝宮殿はイスラム芸術の傑作で1238年ナルス朝初代王アル・アフマールの建築だ。幻想的イスラム文明の輝かしいモニュメントとして代々引き継がれ、1492、カトリック女王イサベルに明け渡すまで250年の歴史を持つ。水鏡に映し出されるコマレスの塔、美しい柱で彩るライオンの中庭、天井の鍾乳石飾りが際立つ二姉妹の間、貴婦人の塔など水と建物の映像は偉大の一語に尽きる。多くの庭園で樹木が水と調和して権力者ならではの贅沢な暮しが刻まれていた。だが総じて派手さはなく、優雅に地味に歴史を偲ぶこの宮殿は日本人の庭園趣向にぴったりあう落ちつきのある遺産だと思った。(自悠人)


バルセロナで見事に掏られた!~スペイン~

2011-06-11 16:18:24 | アート・文化

T_008 かの有名なサグラダ・ファミリア

 バルセロナはあらゆる国々からの観光客で押すなおすなの大賑わい。特にガウディ関連の施設は人気がある。あのユニークな建造物、サグラダ・ファミリアの入場は長蛇の列で12.5ユーロ払って見たものといえば、内部では48本の大きな柱と中央祭壇だけ。「生誕のファサード」とその4本の鐘楼は外部からの鑑賞だ。30年前はさほど有名ではなかったが、この塔が存在する以上バルセロナの芸術的観光的価値は永遠だ。常識を超越するものに人間は魅せられる。ガウディの建築物は世界遺産としても多く残されているが、グエル公園が幻想と現実を組み合わせた夢のある施設であり、家族で楽しめるところだ。彼の創造した建造物は来世の理想空間を主張しているようだ。

 並木の美しいランブラス通りはバルセロナきっての目抜き通りだ。その中心、カタルーニャ広場から港のコロンブスの塔までの雑踏は「これぞヨーロッパ!」と感じさせて気分が高まる。解放感のある路上のビア・バーで一杯飲み食事をした。丁度日曜日の夕方、サッカー応援のサポータたちと一緒だった。彼らは勝ち試合で上機嫌だった。ワイフはIntegrityのアンケートに答えてもらい、応援用の帽子をもらって喜んだ。日本人だとわかると津波を気遣ってくれた。その帰路、地下鉄ドラサナス駅乗車時のことだった。スリに財布を巻き上げられたのだ。オヤ?見たことのある黒い財布が車両の床に転がっているではないか!筆者の財布だった。拾うと財布は空っぽだ!400ドルの現金が無かった。3枚のクレジット・カードはそのまま。プロはやることが早くスマートだった。メキシコで大きく掏られて以来、14年振りだった。バルセロナにはプロの掏り団が多いのでご注意あれ!(自悠人)


東京都写真美術館あり、エビス・ガーデン・プレイスはいいですよ!

2011-06-07 10:31:44 | まち歩き

恵比寿駅東口の動く歩道を、恵比寿ビールのグラスに目を細めて口をつけている役所広司さんの写真を見ながら乗り継ぐと恵比寿ガーデン・プレイスに出る。ゆったりとしてくつろげる欧米風の広場にはビアホールも三越もある。ここに来たのは3回目、いずれも東京都写真美術館へ、展示を見にぶらりと一人で来たのだ。過去、ロバート・キャパ、ユージン・スミスの報道写真を見に来ていずれも胸を打たれたが、今回は「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」を見た。今さら「プラハの春」でもないと思うお方もいらっしゃるかも知れないが、筆者の新聞切り抜きファイルには今でも戦車がプラハのバーツラフ大通りに侵攻し、身をもって抗議したヤン青年の記事と写真があるし、プラハはその後訪問して天国のように美しい街並みやプライド高き人々と触れ合ってきたこともあって、この写真展に出かけた。1968年、30歳のクーデルカは、ワルシャワ条約機構軍の戦車がプラハに侵攻した日プラハに戻っており、一連の写真を撮影し、この写真で匿名の写真家としてロバート・キャパ賞を受賞、撮影から40年を経て彼自身が選んだ250枚ほどが初公開されたものだそうだ。買い求めた写真集のカバーによると、「20世紀の歴史的実験であった<プラハの春>の圧殺と、言葉を武器とした抵抗の全てをとらえた画期的ドキュメント」とある。展示は718日まで、皆さまもお出かけになり、そのあとサン・ジェルマンのパン屋さんの中二階で美味しいパンと恵比寿・ビールでくつろがれたらいかが?(彩の渦輪)