あけぼの

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旅の最中よく会うのは日本女性の一人旅~ベリーズ完~

2013-05-31 16:08:55 | アート・文化

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原住民と見間違えた美幸さん。左はワイフのバックパッカー姿。ワイフの顔も実は真っ黒だった。

 ベリーズ・シティは壊れかけた建築物やバラック建物が多くいが、200年前宗主国イギリスから運ばれたレンガで建造されたセント・ジョーンズ教会とカリブ海に面した総督官邸を見学した。熱帯植物に囲まれた優雅なたたずまいだった2時間半バスに揺られ、サン・イグナシオに着いたところで頭髪をアフリカン・アメリカン状に編んだ女性から。「日本人ですか」と声がかかった。バスの中でワイフと日本語を交わしたのを聞いたのだろう。黒く日焼けした日本人にしては大柄な女性で、$10かけてネイテヴのように髪結いしたという。東京は葛飾出身のバックパッカー、旅の最中よく逢うのは日本女性の一人旅だ。南のリゾート地プラセンシアのスーパーで逢った日本女性はワイフが筆者を「お父さん!」と呼ぶ声を聞き、話しかけて来た。夫はアメリカ人、政府系の仕事をしていて定年後ここに来て家を建築した。物価も安いしカリブ海の温暖気候が気に入ったのだ。30分も立ち話をした。ベリーズを代表するシュナントゥニッチ遺跡は密林に覆われた丘の上にある。9世紀頃繁栄した神殿都市という。高さ40mのピラミッドは保存状態もよく壁面には神や踊る人、怪物や貝殻なども刻まれており当時の文明を偲ばせる。(自悠人)

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シュナントゥニッチ遺跡


日本人?ではコーヒーをどうぞ!

2013-05-30 09:29:28 | アート・文化

Dscf9129 当地キーカーカーで働く久美子さん(左)とめぐみさん。みんなよく日焼けしてます。水上タクシーでキーカーカー島に渡った。初日にベリーズ・シティー会った高岡さんを見つけ出すまでが物語だ。朝、コーヒーを飲みたいと、浜辺沿いの結構大きなホテルへ。サーヴィス係のLiz「ここは宿泊客の食堂です!」夫「お金払いますけど」Liz「規則ですから駄目。ところでどの国から来ました?」夫「日本から」「では奥へどうぞ!」。チップはあげたが急に親切になった。高岡さんを探していると言うと、「彼女の名は多分久美子。スーパーでダンプリングを買う人です。住所はここ、ピンクの建物ですよ!」と。日本人が好感を持たれているからこその幸運。その建物の窓の下で「久美子さん!」と呼んだらあの日の彼女が現れたのだった。

夕食に招待したら別の若い女性、めぐみさんと現れた。久美子さんはこの地で働いている。めぐみさんは青年海外協力隊(JICA)員として小学校でコンピューター技術を指導している。「小学校だけで社会に出る人が多いから」と言う。JICAは近年はStep-Upの活動が多いとか。めぐみさんはこの国の教育事情に詳しく、「この島はマドンナが『La Isla Bonita』と歌った素敵な島だが、英国が撤退してから政治の混乱を生じている」と。お二人ともすらりとした健康美人だが、肉付きのいい現地女性からは「あなた、病気なの?」と聞かれると笑った。ベリーズでは7人もの日本人に会った。テレ朝の2人は男性だったが、プラセンシアであった由美子さん、ダンリガで会ったあさ子さん、サン・イグナシオで会った美幸さん、そしてこの島の久美子さんとめぐみさんと、自信と行動力に溢れた日本女性に5人も会えた国だった。(彩の渦輪)


バスの中でプンタの合唱~ベリーズ~

2013-05-29 15:04:42 | アート・文化

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誰もいないカリブの海と夕食に仲間入りした蛙ちゃん

付きの良い女性がお尻プリプリ揺すりながら闊歩するベリーズは長閑な国だ。現在の首都はベルモパンだが、かつて首都だったベリーズ・シティーは国際線の飛行機が発着する関係上唯一の都会であり、ここだけは安全ではない。空港からタクシーの運転手に勧められ旧市街の安宿に落ち着き、すぐに街の散策を始めた。散策中何度も「1ドル頂戴!」という手が出て行く手を遮られた。通貨は米国と同様ドルで1US$=2BZ$。レートが1:2で計算し易いこともあり、米ドルとベリーズ・ドルが混合して使われている。街角で日本人女性に会った。テレビ朝日に雇われ撮影中で、彼女の姓と居住する島の名を聞いただけ。怖いものなしの我々夫婦だが早々に次の街への移動を決め、翌朝長距離バスでグァテマラ国境に近い遺跡を目指しサン・イグナシオに向かった。満員バスの後部座席で夫婦らしき男女がCDプレイヤーを最大の音量にし、プンタを歌い、妻は酔ったように踊り、周辺の123人が唱和し続けた。夫は「煩い!」と前の席に移動したが、筆者は頭でリズムを取って参加、「Do you like this?」と女性が言った。公共の乗り物でも大音量に苦情を言う人は無かった。カリブ海に面したリゾート地、プラセンシアへは長距離バスを2回も乗り換え、遠かった。ホテルのすぐ前がカリブの海、オフシーズンゆえ居るのはペリカンだけ、すぐに海へ飛び込んだ。浅瀬から岸に向かって蹴伸びするのが筆者の水泳だが、打ち寄せる温かい波が腰を優しくマッサージしてくれ、手術後5か月間苦しんだ腰痛が嘘のように消えた。停泊中の船の傍をカヤックで通ったら「TAKATUKA」の船名。「日本語の名前みたいですネ」と船主に声をかけた。トルコからベリーズまで帆を張って来た夫婦だった。トルコ語で「タカツカ」は「古くて遅いボート」の意味だと教えてくれたがその勇気に感動した。ホテルの自転車を借りて街へ。自転車には鍵無し。盗難なぞ無いと言う。人気のレストラン前庭の木陰で夕食中、お皿に可愛い蛙が降って来て参加した。

Takatukadscf9081 トルコからベリーズまで夫婦で乗って来た帆船タカツカ号と愛犬ミッシェル(彩の渦輪)


アメリカからベリーズへ

2013-05-22 10:04:05 | アート・文化

①UCBAの日本文化クラスで茶道を教えてくださった石宇ゆうかさん、哲也さん(Miami大教授)ご夫妻のご招待(プール付きのお家です)

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 長くブログをご無沙汰してしまったがアメリカはOhio、そしてCentral America Belizeへ行って来た。アメリカの12日間はフーフー走り回ってやっと間に合うほど毎日忙しい日々だった。親友Enaのうちが満杯でホテル探しから始まったがすぐにEnaの家に落ち着き、車はいつものごとく教え子Scottが貸してくれた。Dscf9149  Dscf9148

筆者の昔の愛車をScottが買い取ってくれていたニッサン・アルティマだ。多謝。(写真はScott親子とSusan、長女Alexaちゃん) Green CardExpire寸前、Office に行き資料を整え提出したが不備で送り返され、帰国寸前に再提出した。延期届を出していたTex Returnの仕上げや以前不正利用されていたクレジット・カードの件その他で銀行へ行き万事大丈夫か確認。パーティー、旧友、旧アドヴァイザーや教え子、旧隣人訪問、ついでにOhio川からケンタッキー側に渡ってすぐのきれいな病院でマンモグラフィーも受けて来た。中南米唯一の英語国、ベリーズでは8日間、遺跡を訪ねたり、プラセンシアというパラダイスのような海辺のリゾートやキーカーカーという島でのんびり出来た。カリブ海に面したエメラルド色の美しい海岸でペリカンと遊び、

061_2 シーズン・オフで人気(ひとけ)のない岸辺でパチャパチャした。寄せては返す温かい波が手術後耐えて来たひどい腰痛の腰をマッサージしてくれ、そのせいかベリーズにいる間は腰痛が無かった。テレ朝が「こんなところに日本人」という番組の撮影に来ていた。放映は6月だそうだ。日本人が16所帯しかいない、というベリーズで7人もの日本人にあったが、物語的な出会いもあった。帰国したらバレンシアという名のバラが満開だった。(彩の渦輪)

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