あけぼの

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86歳と87歳時にアメリカと日本の自動車免許証を更新

2019-07-31 14:08:14 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 国が違うと自動車免許証の利用価値が異なることを痛感する。アメリカでは官庁、公共機関、銀行、航空機、などでも文書発行時にはIDとして持参していないと拒否されたりする。身分証明書として活用出来るだけではない。人間そのものが肯定・否定される、という感じだ。居住が認められて以来約30年、アメリカではキャデラックに乗っていたが、光陰矢の如し、その間の日米往復が瞬時に感じられる。2つの文化を体験したが、特に健康保険制度の違いは大きい。歯科での総入れ歯治療までは耐えられたが、鼻血が止まらず駆けつけた救急病院の対応や、ホテルの部屋で倒れ、救急病院から来た諸検査等50万円の請求書には、日本帰還志向が生じても当然だろう。住みやすいのはアメリカだったが体力の老化には勝てなかったということか。アメリカで始めた油絵やバック・パックの旅は帰国後も継続している。人間遺産に会えるのは人生に変化が得られ生き甲斐を感じるからだ。家に閉じこもるのではなく、外に出かける習慣をつけるのが良い。脳と身体の活性化が得られるので夏でも冬でも出かける。さあ、「また出かけるぞ!」と今日もAir Ticketsを注文した。ピンコロ人生を目指して。(自悠人)


出身大学多磨支部同窓会の最高齢者だった!

2019-07-27 17:19:21 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 久方振りに出席したら最長老になっていた。87歳だ。話したことのない連中ばかりだ。出身大学にあまり関心がないので同級生ぐらいしか付き合っていなかったが、今回最後のつもりで出席した。最長老を意識してちょっとスピーチをした。大学との関連など上手に話すことも出来ただろうに思いつかず、皆さんにとってはユニークなシニアー・バック・パックの旅や、筆者の旅、「世界遺産より人間遺産を!」の体験談、それらの講演…市町村の老人大学等でやっている…について、現況をしゃべった。拙著やテレビ出演の話もしなかった。アメリカに松葉杖をついて、身分証明書代わりにもなる自動車免許証の更新に行ったのは精神力によるが、「怪我で歩行困難状態のシニアが海外に行くのだから図太い神経でしょう!」と話し、「今後は精神面で若者にお手伝いするだけだ」と締めくくった。(自悠人)


空気清涼、食べ物美味、富士山麗の山中湖村訪問

2019-07-25 14:55:29 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 空も気分も晴れず鬱々と長かった今年の梅雨の最後の日、親友Reiko&Georgeさんが住む山中湖村へ、O地球村塾の事務局長M氏と出かけた。この日は富士は見えなかったが、湿っぽい東京と異なり、富士山麓の清涼な空気に包まれた瀟洒なおうちで、Reikoさんのお手作り大ご馳走にあずかった。野菜は全部無農薬の手作りゆえ、新鮮、安全で超美味。Georgeさん、Reikoさん、M氏と我々夫婦の5人で、多種の手作り料理を囲んでのおしゃべりは大変楽しく、時を忘れた。学者肌のGeorgeさん、絵も上手で社会的弱者のための活動をしているReikoさん、政治問題に明るいM氏との会話は盛り上がり、一瞬にして4時間が過ぎた。久方ぶりに会った甲斐犬、17歳のモモちゃん、人間でいえば88歳だとか、高齢のためか元気がなく心配だった。お年を召したけど「また会う日まで頑張ってね、モモちゃん!」と声をかけ、富士山麗を後にした。空気清涼な山中湖村訪問のこの日、長かった雨日和が鬱々気分と共に吹き飛び、帰路、青空と夏の雲が見えた。梅雨が終わって初夏となったようだ。高速道路から何度も振り返ったが富士は見えなかったので、後ろ髪をひかれたが、M氏も同様後ろ髪だったとか。「ご夫妻、モモちゃん、富士山、に会いに又行きたい!」と。(彩の渦輪)

モちゃんの写真は4年前と現在


心臓に病名3つ、榊原記念病院循環器内科へ

2019-07-20 11:15:09 | 講演・アート・音楽・スピーチ

市の検診で今月始めに近所の脳外科へ行った。T院長先生が、R波不良等、筆者の心臓に病気を3つも発見して下さり、有名な「榊原記念病院、循環器内科へ行きなさい」と指示された。で、昨日その病院へ行き、循環器内科部長のS先生に診て貰った。心電図は2011年--2017年--2019年と変化なし。部長先生は、「不整脈と超音波のチェックが必要だから予約を取って!」と言われたが、その2点の検査を受けるだけなのに、開いた日が8月のほぼ終わりしかなかった。8月末の病院訪問日にエコーをやり、その後フルターを24時間着装し、その結果の診察は9月10日ということになった。7月始めに発見された心臓の病気の結果を知るのが9月とは、長~く待たなければならないのが有名病院なんですね。元気が一番だが、元気のコツは検診を含め、予防医学への関心を維持することだろう。筆者は予防医学へは認識があるが少々動き過ぎ、骨折などの怪我と治療に忙しいシニアでござりまする。(自悠人)

 


我が家の造園の原点は松:墜落や手首ブラブラ事故何度も

2019-07-18 13:43:46 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 実家の築山(庭)が我が造園趣味の原点: 親父が祖父から引き継いだ60坪ばかりの築山を、青年の頃、父親の命令で管理したことから始まる。盆前になると4、5人の庭職人がやってきて庭に入り、松の剪定から始めたものだ。高さ15mのクロ松が1本、中小の松の木が3本、小滝のある池を囲むように段差を利用して周辺に大石を乱立させ、常緑樹が植えられた庭だった。瓦付き板塀で庭が囲まれていた。塀の外には小川が流れており風情があった。子供の頃の忘れ得ぬ思い出は、配置された大石の表面の苔を、竹馬の友、隣家の学ちゃんと競争でむしり取ってこっぴどく叱れたことだ。私が植木に関わったのは高校生ぐらいだっただろうか、下からの親父の指示で多種の木々の高所の剪定をさせられたので庭木の手入れの基本を習得し、要領を覚えた。 我が家の造園の原点はクロ松: 新築したとき、家の玄関用は若夫婦の予算にあう成木の松を購入した。造園の将来を考え、1センチぐらいのクロ松の苗を1本100円で12本購入して庭の一角にまとめて植え、育てのだが、その松苗が3か所の小さな庭に植わり、50年にもなり、育って目の前にあるのだ。植えた場所や手入れ方法によって異なる形、高さ、大きさだ。風格があり、格好が良く、気に入ったものが結構ある。アメリカに20年間住んだ間に盗まれた木もあり、手入れが行き届かず原木に近い松もある。剪定中に脚立から墜落したことが2回ある。1回目は道路に投げ出されたが、落ちる過程で木々や生垣にひかかって難を逃れた。2回目は剪定意欲に駈られ脚立のてっペんで身体を伸ばしたら重心を失って墜落、右手首をコンクリートに着いて身体を支えた。手首が外れて手からぶら下がってしまった。

 救急病院へ駆けつけた。担当医が丁度外科医、レントゲン写真を見ながら正常位置まで手首を引っ張ってギブスで固定。麻酔はしたが粗療治、自身の手なら全身麻酔で丁寧にやるだろう。言葉を絶する痛みが続いた。事前に医者から予告はされた:「若者なら手術をするが貴方は60歳を過ぎているから完全に元通りには治らない。年齢的に通常の機能回復で良いですか。生活に必要な機能は残るはずです。」と、了承させられた。鉢植え盆栽は高松から買って来たが、手のかけ過ぎで2鉢とも枯らしてしまった。いい年のシニアになり、旅も減って剪定シーズンの在宅が多く、松への関心度が強くなった。松、松、松と関心を持ちすぎて、そのうち坊主状態にまで刈り込むかもネ。(自悠人)