あけぼの

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大雪後遺症:車と腰の駄目事(ダメッジ)

2014-02-26 20:10:34 | ブログ

001 東京地方に雪がこんなに降るなんて40年振り?かき集めた雪が凍って氷河のように青光りしていましたネ。やりました!  駄目事(ダメッジ)です。夫、自悠人、氷塊ではないが棒杭に車をこすり、一瞬にして35万円の事故、1週間はかかると言われた。筆者は4年振りのぎっくり腰で4日間全く動けなかった。食べ物など節約しても無意味だけれど車無し、腰痛ではね。で、熊本で買って美味しかった胡麻太鼓-黒ゴマとアーモンドをギッチリ丸く固めたお煎餅-を思いだした。空袋があったので電話した。「もしもし、ぎっくり腰で蒲団からお電話してます。黒いもののほうが栄養があるので黒ゴマだけお願いよ!」「黒ゴマと白ゴマのセットが原則ですけど、はい、お見舞いですから黒だけにしますよ!」。というわけで先日の誕生日に熊本から胡麻太鼓煎餅到着。ちょっとにっこり。「ちょっと」の意味は……昨年は「誕生日おめでとう」をFace bookから14人頂いたのに今年は9人、もう私は忘れられたんだなあ、と。ところが、である。翌21日未明からアメリカやオマーンやスウェーデンから続々と計23人から「おめでとう!」が届いた。時差があったんです。Cincinnati14時間、シカゴは15時間の時差、懐かしい友人のメッセージは去年より結局多かった。その上車の修理は予定より2日早く出来た。胡麻太鼓と「おめでとう!」の声に景気づけられダメッジ(駄目事)からリカバリー(リカー飲んでバリバリに回復)致しました。お粗末でしたね)(彩の渦輪)

002


神秘的なハロン湾と民族の活力

2014-02-12 14:20:06 | アート・文化

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写真はハロン湾と鍾乳洞

景勝地ハロン湾

翡翠色の海面に大小2000近くの奇岩がきり立ち、幻想的な風景といわれる場所。中国の桂林より魅せられると聞いていたが、珍しい光景ぐらいの感覚だった。多くの観光船が行き交い、世界中から観光客が来る場所だった。昼食込みの乗船だったのでハマグリやしゃこエビなど食べることに追われて肝心なハロン湾風景が二の次になった感がある。奇岩群の大きさ、色合い、位置関係、遠近間隔感が船の進行によって次々と変化し、現われては消える。奇岩にまだらに生息する緑の灌木は独特の風情だ。墨絵の世界に値するだろう。観光船の停泊場所、バイチャイ港のそばの山の横穴から登る鍾乳洞は天井が巨大で複雑、見上げれば空も覗ける登り型ゆえ水滴がほとんどない。いずこの鍾乳洞も同じだと思った。

民族の活力

治安の良さと廉価に支えられ移動手段もまずまずで観光上魅力ありと見れば世界の目はヴェトナムに向く。ホーチミン市やハノイ市の数人乗りのバイク群から察せられるように人や国に活力がある。外資を受け入れ、海外の国の生産拠点が郊外に連なっている。生産物の品質を人々が唱えるあたり社会主義国の先輩に負けない気慨がひしひしと感じられる。勤勉で勤労意欲に長けた民族性は良く知られたところ。知恵を出し合い根性で国の発展を願い、支えている。過去は過去として丁重にアメリカとも世界とも友好関係を築こうと努力しているヴェトナムから学ぶことが多い。(自悠人)


ホーおじさんの子どもは国民

2014-02-09 16:39:38 | アート・文化

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 筆者誕生年の3年後、ホーチミンはフランス軍、日本軍を駆逐しベトナムの独立運動を展開、1945年、バーディン広場で独立宣言を読み上げベトナム民主共和国を樹立、翌年初代大統領となった。その後フランスの再占領、内戦と続き60年代半ばにはアメリカとの戦争に突入と、侵略、支配される時代が長かった。アメリカの枯葉剤で下半身は1体、上半身は2人として生まれたべトちゃんは死亡、ドクちゃんは結婚、元気だそうだが、他にも、次世代にも多くの枯葉剤犠牲者が苦しんでいるそうだ。戦争は悲惨だ。75年にベトナム戦争は終結、翌76年、べトナム社会主義共和国となった。独立運動の父、ホー氏は6992日、独立と同じ日に死去したが、独身だったので国民が子ども、民衆の心に父として今も生きている。彼が独立宣言したバーディン広場に堂々たるホーチミン廟があり、薬品処理を施された彼は生きてるようだ。旧正月、ここでまた平和を祈った。(彩の渦輪)写真左より1.堂々のホーチミン廟 2.正月の混雑、3.アオザイで盛装した美女(ホアンキエ湖にて)


笑顔と親切溢れる旧正月のハノイ

2014-02-08 15:46:13 | アート・文化

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131日にベトナムのハノイへ。旧正月だった。ベトナム航空は何度も「Happy Lunar New Year! 」と放送し、ハノイの街では「新年おめでとう!」と交わし合う笑顔の人々。ホテルに着いた時はもう夕方だったがすぐにタクシーで市民の憩いの場、ホアンキエム湖へ。何という人出!アオザイやスーツ姿の正装が多く、特に子どもはアオザイを着ているので可愛い。15世紀、黎朝の始祖、レ・ロイが湖に住む亀から宝剣を借りて明軍をやっつけベトナムを中国支配から解放したという伝説があるが、実際にこの湖に2007年まで大亀が生息していたそうで、玉山祠に大亀の剥製がある。人々と笑顔で「おめでとう!」を交わした後食堂を探したがどの店も閉まっていた。正月は4日まで殆んどの店がお休みだ。やっとカフェを見つけフランスパン・サンドを注文。ベトナムは1000年にわたる中国支配の後フランスに長く支配されていたのでフランスパンは美味。薩摩揚げのような魚のフライとたっぷりの野菜入りサンドだ。隣り合ったのは2人の美人小学校教師。彼女たちと英語で会話を楽しみ、遅くなった。1人が携帯電話で安全タクシーを呼び、運転手に値段を確かめてくれ、安全にホテルへ。親切な若者に会い好運な元旦だった。この国でも若者はみな携帯を持っている。人間性は勤勉誠実、人口9千万人中若者が6千万人、活気がある国だ。続く。(彩の渦輪)

写真(1)初詣の母子と(2)お正月の夜でもこんなにバイクが多い。平素はもっと多い。3、4文廟(孔子さまが祀ってあり、その後700年以上大学だった)(5)一本の柱にお寺を乗せた一柱寺(6)お土産物屋さんは少し開いていた。

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