あけぼの

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サント・ドミンゴでインテグリティー(Integrity)説教

2010-04-20 10:04:55 | アート・文化

122 148 春休み、カリブ海にあるドミニカ共和国に行って来た。この地はコロンブスが黄金の国、ジパング(日本)と信じたと言われる。ジパングを目指して西回りの航海をし、ここが日本までと同距離だった上、先住民が金の装身具をつけていたので間違えたのだそうだ。楽しい旅だったが、お節介おばさんの面白いエピソードをご披露しよう。

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島のドミニカ共和国はコロンブスが第一歩を印した地、ハイチと隣り合う国だ。経済発展よろしく物乞いは見かけない。国産ビールpresidentのせいか老いも若きもお腹ポッコリだ。プンタカーナ近くのリゾート、ババローで淡碧色のカリブ海を満喫したあと、カリブ諸国中の最大都市、新大陸最古の町、サント・ドミンゴにやって来た。クリスタファー・コロンブスの子孫が三代にわたって住んでいた建物、アルカサールはオサマ川の畔の高台、絶好の位置にあり、22の部屋には16世紀の贅沢な暮しが見られる。他の見どころは観光バスで回ろうとホテルで予約した。

 やってきたミケロンは小さな旅行会社の副代表と言い、「市内観光バスと同値で見どころ15ヶ所をバン・タクシーで巡ってあげる」と訪問サイトの写真を見せペラパラと良く喋った。彼に「喋り続けるサラマンカ(イモリ)」という渾名を献上した。がイモリ君は約束は守らず、車を降りる時には「あれは別予算、これも別」と剣もほろろで領収書もなし。「よし、時間があったら教育してやろう」と教師の血が騒いだがその時は胸に収め、北海岸に向かい、プエルト・プラタの白い砂浜やボカ・チカの遠浅の海岸で地元の子ども、若者たちや多くの純情な人々との交流を楽しみ、5日後サント・ドミンゴに戻って来た。

旧市街にある小さい警察署に立ち寄った。若い柔和な警察官が最初から好感を持って聞いてくれた。10分後「その男が警察署に来ています」という。署の要員が気を利かして呼んだらしく、イモリ君は入り口の門の所に立っていた。警察署の近く、コロン公園に奴の事務所があったのだ。事件後5日も過ぎていて何事かと不安になったのか、彼は公園にたむろしている子分を連れており、紙幣をちらつかせ、言い訳を準備していた。曰く、「あの日はコンヒューズ(混乱)していた・・・いくらお返しすればいいですか?」「領収書はすぐ書きます」。子分らしき男も「コンヒューズ、コンヒューズ」と口真似し、二匹のイモリが喋り続けた。警察署の入り口に人だかりが出来始めた。制服警察官と小回り署員、日本人の女とその夫、公園周辺で顔を利かすイモリ連、という顔ぶれが立っているのだから通行人の興味を惹いたのだろう。筆者の出番だった。

「そんなお金が欲しくて旅の道中、貴重な時間を割いて警察署に立ち寄ったのではない。私は嘘つきは嫌いだ。車に乗る前の説明と実際とが異なるのが問題だから警察に来たのだ。私は大学で多文化教育を教えている。特にIntegrity(信用)について話すことが多い。インテグリティーとは信用、即ち「言ったことと行動が一致すること」だ。私がドミニカ共和国で会った人は皆さん純情で素敵だった。ミケロンを除いて!」と彼を指差した。拍手が起こった。若い警察官や奴を呼んでくれた署員を始め彼の子分まで笑った。“Except for Miquelon”(「ミケロン以外は」皆さん素敵だった)が受けたのか指を差されたミケロンまで苦笑いした。やがて警察署員二人が「来てくださって有難う!」と言った。小さな事件を知らせに立ち寄ったことを親切と受け止め、巷の情報も役に立ち、警察署門前の説教も喜んでくれたのだった。若い警察官とハグして別れた。

警察署を出るとすぐミケロンは先ほどちらつかせたお金は引っ込め「コーヒーは好きですか」と聞いた。彼はドミニカ・コーヒーを買ってきて手渡し、子分と一緒に消えた。日本に戻り、筆者は「喋り続けるサラマンカ」を思い出しながら今香りの良いコーヒーを飲んでいる。(彩の渦輪)


リゾートの海辺は幸せの花盛り~ドミニカ共和国~

2010-04-19 14:12:32 | アート・文化

147  購入した航空券はエスパニョーラ島の東端プンタ・カーナ、「地球の歩き方」にも地域の詳細が紹介されていない田舎町だった。だが近くのババローホテル群はメキシコのカンクン顔負け、USの各航空会社の直行便やヨーロッパからの直行便も就航している世界的なリゾート地だった。ババロー地区のホテル・カシノに落ち着いた。このホテルは3食ビール付きで168ドルと同系列ホテルよりは格安、手首にホテル名の入ったバンドを付けている限り、ババロー内の食堂、プール、レストラン、スナックバーは無料、イベント会場、ゴルフ場、ビーチ、系列ホテルにはオープン・トレン(列車風のバス)でトロピカルの木々で埋められた公園内を無料で自由に移動可能だ。ビーチは遠浅、淡緑色の輝く海と白い砂浜に椰子の木々がゆらぐ木陰を作っている。思い思いに椅子に寝そべっている人々は最高気分を味わっている。日がな一日カリブの海風と太陽光を浴びてくつろげる場所だ。 

 次の訪問地は首都サント・ドミンゴ。三分の一は高速道路だが渋滞がひどくバスで4時間かかった。エスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国)はコロンブスの最初の上陸地点であり、カリブ海で最も歴史的遺産の多いこともドミニカ共和国の魅力の一つだ。市内で驚くのは新旧の車の洪水だ。空気汚染が思いやられる。旧市内は道路も狭く二列縦隊の駐車の中を車が進むのだ。

 サント・ドミンゴの東33kmの位置にあるボカ・チカ・ビーチは白い砂浜が3キロも続き、遠浅で人間の腰までの深さが200mも続く。ここは元大統領のプライベート・ビーチだった。現在は一般に開放され、子どもたちの喜びの歓声がこだまし、海水に戯れる姿が微笑ましい。ここでは長椅子に寝そべって甲羅干しでビールを楽しんだ。カンクン以上に美しく、しかも庶民が嬉々として水と戯れていたここの幸せ風景は帰国後も脳裏に焼き付いて離れない。子どもたちや若者の天真爛漫さはいずこも同じだろうが、うす黒い肌が焼き付けるような南国の陽光に照り輝いていて大変印象的だった。この浜の込み合いは格別で日本の片瀬海岸の光景を思い出しつつカリブ海の休日を楽しんだ一日だった。今回の旅は最初からリゾート・ビーチに迷い込み、それが呼び水となって各地のビーチを体験することが出来た。まさに癒しの旅だった。カリブの浜辺は天国につながる場所ではなかろうか。(自悠人)


懲りない男のアメリカ、追っかけられ人生20年 完―加齢なんのその―

2010-04-17 14:19:42 | アート・文化

Laosdec_030 7)コロラド:レンタカーでの追突

 信号で直角方向の道路表示を見過ごし、信号を越したところで前車に追突した。前車から降りてきたのは女性、追突した私に振り向くことなく彼女の前車の運転手と話し合い、車に入って携帯をかけまくっていた。ポリスの事情聴取も前車の2人が中心で私は一番後だった。90ドルの違反キップを渡された。損害箇所の処理は私の車だけということが保険会社の請求でわかった。彼女の損害箇所は請求されなかった。不思議なことだった。多分、彼女が前車に追突して止まっていたところに私が追突したようだ。何とも不運な事故であり、訳がわからなかった。

8)オハィオ:上記同様追突

 この時は前車が発進したと思っての見切り発車でコツン。相手も怪我もなく車も損傷なし。当方は方向指示器のランプが破損。翌日夜、被害者から首が痛いので病院に行きたいと言ってきた。私の保険も尋ねられた。ところがレンタカーには保険をかけてなかった。だが被害者曰く、自分の車に保険が掛けられていたら、その保険がレンタカーにジャンプすると教えられた。流石アメリカ、保険制度は徹底している。

9)オハィオ:一年に違反キップ3回

 スピード違反2回、大学内での駐車違反1回で計3回捕まった。3回目は3倍の違反金にとなる。だがキャンパスの違反は警察には報告されないので助かった。

10)オハィオ:デイトン空港でワイフが人質に

 空港を出たところが道路工事中だった。知らないところだし暗いのにも関わらずゆっくりスモール・ランプで走っていた。突然、パトカーのサイレンで止まったら我が車の電灯がついていない。その辺で犯罪でもあったのか、犯罪関連者とみなされたのか、私の聴取は大変待たされ、ワイフが様子を聴きにパトカーに行ったら帰ってこない。あとで聞いたら犯罪者と間違えられて監禁されていたのだった。自分の車から降りたこと事態が間違いだったようだ。交通違反の対象にはならなかった。

アメリカ20年の運転歴で思い出せることを書いてみた。まだOhioに一台日産Altimaが置いてある。だがもうそろそろ安全運転に徹しようと決意している。自悠人


懲りない男のアメリカ、追っかけられ人生20年②

2010-04-15 09:03:32 | アート・文化

Laosdec_029_2 4)ジョージア州で:パトカーのマイクに怒鳴られた

 週末田舎の道路、前の車が結構なスピードで走って追い越された。そうだ。この車について行けば違反の心配はないと経験から思った。しばらくついて行った時、パトカーが我が車を追い越しながらマイクで怒鳴った。「スピード出し過ぎだぞ!」と、私の前の車を追っかけて行った。スピード違反車を捕えるために待ち伏せしたのは目に入っていた。運は私に味方した。

5)フロリダ、キーウエストで:早朝の待ち伏せ

 7時間でタンパの空港まで行かないと午後2時の飛行機便には間に合わない。早朝5時発、暗い路だった。尾行サイレンでパトカーに気づいた。止まって「ガソリンスタンドは何処ですか?」と尋ねたら教えてくれた。スピード違反で捕まったことは気づいていたが私が機先を制した形だった。ポリス君は場所を教えてくれ、「スピードが出ていたぞ」と注意喚起しただけで解放してくれた。

6)シンシナーティ:居眠り運転事故

 ビール一缶飲み、大丈夫と思って運転した。転居先の家の周辺に郵便局がないか調査に出かけた帰りなので慣れた道、図書館によるつもりだったことまでは覚えている。「ガーン」という音で目が覚めた。T字路の交差点を直進して石垣にぶつかったのだ。車が水煙を上げた。ラジエターまで壊れたか。動くかな、とギアーをバックに入れた。車が動いた。よし。芝生に盛り上げ前部が壊れた車を元の道路に戻し、右折して15m先の駐車広場に置いた。時は昼過ぎ、土曜日だったので車が少なく誰にも会わなかった。怪我もない。家に帰ってこれからの前後策を考えるかと歩きだした。ところがすれ違った通行人が「額からの流血!」と注意してくれた。手で触ったら確かに頭からの血だった。近くの店に飛び込んで洗い場を借り、頭と顔を洗ったが血は止まらない。心配になって救急車を呼んでもらった。やって来たのは呼んでもいないポリスだった。救急車の前に自動的にポリスが来るシステムのようだ。「どうしました?」「ジョギングをしていて転びました」。色々聞かれたが言葉がわからない。救急車も来ない。免許証と言われて提出した。彼はそれを受け取って私から離れた。

 ポリスは我が家を訪ね、ワイフに私の経緯を説明したようだ。「貴女の夫の言っていることは意味がわからん」と。その時私がワイフに電話して怪我をした事情を説明し、「ジョギング中転んだことにしておくよう」伝えた。ポリスは妻の話には納得、免許証を返してくれた。病院では少し休んで帰っただけ。怪我も大したことはなかった。車は大破したが保険で5500ドル支払ってくれた。医療保険がきかない救急車代は自己負担だった。(自悠人)


懲りない男のアメリカ、追っかけられ記録―加齢なんのその―

2010-04-14 08:39:32 | アート・文化

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1)カルデ・サークまで追跡された

 途中ですれ違ったパトカーがどこまでもついてくる。振り向けば「まだついてくる、まだついてくる!」と助手席のワイフが頓狂な声で言う。俺は免許証を持ち忘れた。これはまずい。家まで帰らなければ・・・「まだついてくる!」とワイフは上ずった声で不安げに叫ぶ。追跡を受けること約1キロ、わが家のコミュニティーに入ってもついてきた。ようやく自宅に着いた。降りて免許証を、と思ったらポリスは降りてドアのところに来ていた。「あなたは35マイルのところ50マイル出していた。15マイルのスピード違反だ」という。警笛を鳴らさず追ってきたのは何故か?私が自宅で止まったので嫌疑が晴れたのだろう。「以後注意してください」で違反キップを受けず終わりだった。ワイフがUSで免許を取得するために夕方、学校の校庭でポールを立ててS字のバック練習をし、待たされてイライラし、思い切ってスピード出した記憶がある。その折追跡されたのがパトカーとの最初の経験だった。

2)テキサス州で:広い一方通行でパトカーと対面

 USの旅行は自家用やレンタカーが主体だ。地図を見て走っている最中、正面からパトカーがやってきた。おかしい!私は止まった。パトカーからポリスの声、「どこに行くのだ」「Xの方面に」「それはあっちだ」と叫び、指さして「ここの道路は一方通行だ、注意して!」とUSのポリは優雅であった。今ならナビもあるがポリも高圧的だ。違反キップ間違いなし。

3)コロラド州で:居丈高に脅かされた

 長い下り坂ですれ違ったパトカー、U-ターンしてサイレンを鳴らされた。「免許証を見せろ、パスポートを出せ」と矢継ぎ早やに言う。外人と軽視した目つきだ。国内の旅にパスポートは携帯しない。スピード違反だけだからIDは免許証で充分なはずだ。にも関わらず馬鹿にしてパスポート不携帯を不法と脅かされた。勿論、違反キップもいただいた。(続く)自悠人