あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

誕生日はフラメンコ・ディナー・ショウで

2011-02-23 21:38:20 | アート・文化

先日、筆者の誕生日に娘がディナー・ショウへ招待してくれた。レストラン、エル・フラメンコでスペイン料理のディナーをしたあと本場のフラメンコ・ダンスを鑑賞する、という趣向だった。100人ぐらい座れる席があったが、我々は正面の前から二番目で列の中央、運良く我々の前の席はドタキャンらしく空席だったので、踊りはよく見えるし、激しい靴の動きや音も気にする必要のない最高の席だった。6時からお食事、美味なシャンペーンで乾杯した。料理は最高だった。7時から8時までがダンス、パンフレットには「フラメンコによる心の癒しの世界」とあった。演ずるは「バルセロナで今最も熱いフラメンコダンサー、ペドロ・コルドバ」さん。本場から来た彼はスペインで最も由緒あるフラメンコ・フェスティバルで賞を取ったことのある人だそうだ。女性のオルガさんやベレンさんもとても上手い。我々母娘とも体調不良を抱えているものの、この夜ばかりは全てを忘れて楽しんだ。終了後入口にペドロさんがいたので「ムイ・エクセレンテ」と筆者が、娘も「ムーチャス・グラシアス!」と話しかけた。我々母娘ともスペイン語大好き人間なので一言二言の会話が嬉しかった。ペドロさんはなんと日本語で「どうもありがと!」と。会場の出口でベレンさんがペドロさんと自分が踊ったフラメンコのDVDを売っていた。娘が欲しがり、買い求めた。ペドロさんは「para Yukisan」とサインしてくれた。Paraは英語のforだ。その前に「ご多幸を祈って」があったことは言うまでもない。娘もペドロさんもとても幸せそうな顔!最高に楽しい誕生日だった。(彩の渦輪)


結婚50周年記念イヴェントII

2011-02-16 08:59:38 | アート・文化

地球知の旅の体験

 バック・パッカーには経験を踏んでいる夫婦である。世界知の旅は我々夫婦にとって人生の一部であり、学校である。地を這うようにヨタヨタ歩く千鳥足バック・パッカーの旅は特に地元民との触れ合いが多く、日本人として地球人として恥じない言動を心がけて来た。旅人とて国際親善に貢献すると信じてきた。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、パラグアイ、チリ、アルゼンチン、タンザニア、モロッコ、南ア連邦、インド、ネパール、パキスタン、チェコ、ポーランド、ドミニカ共和国、フィージー、ラオス、ミャンマー、ウズベキスタン等、踏破した国は二人合わせてまだ100か国程度だ。今までは夫婦別々のルートで異文化触れ合いの旅を楽しみ、地球の反対側で会ったりし、その経験をもとに「デートは地球の裏側で:夫婦で創る異文化のう旅」と題する本の出版もある我々夫婦だが、ひと年取った今、相手の無事を心配するより一緒に行動することに決めた次第だ。

20年余の異文化生活は予防医学

 未訪問の国をなるべく多く訪れたいが、再訪の場合はかつて旅した時(数十年前の場合もある)と現在との国情並びに庶民の暮らしを比較出来るのが嬉しい。我々夫婦は還暦前(58歳と52歳)から約20年、異文化の暮らし(USAとメキシコ)をし、大いに刺激を受けた。妻は40歳代、夫は50歳より始めたバック・パックの旅からもアメリカ・メキシコの生活からも、不測の事態に対し瞬時の判断や決断を求められ、それが精神力を高め、脳の活性化を促進してきた。これらの体験が予防医学に役立ってきたと考えている。

世界遺産より人間遺産

 筆者夫婦は地球の一角での出会いを楽しむ。旅先で出会った人にお世話になることを考えるより、お食事に招待し一夕の会話を楽しむことが多い。そこでまた予想外の異文化交流が展開する。(例はウズべキスタンのPartyその他J-Angleに多数の投稿あり)「人の縁は妙なり」との思いで地球の一角での一期一会を楽しみ、異文化の人々の喜びや悩みに触れ、発信し続ける。

旅のデザイン案 

I. 地球の突端を巡り、その近隣諸国を訪問する旅

 タスマニア、カニャークマリ、ケープタウン、ウシュアイア、アイスランドを起点としてトンガ、ニューカレドニア等、効率よく近隣23カ国を訪問。

II. 今回の関心都市(初訪、再訪)

 ハバナ、ボゴタ、クエンカ、コルドバ、(スペイン、アルゼンチン共に)、マナウス、リオデジャネイロ、カサブランカ、トリポリ、ナイロビ、ヨハネスブルグ、モスクワ、ペトロブルグ、キエフ、テヘラン、ムンバイ、カルカッタ、ビエンチャン、スラバヤ、ポートモレスビー、メルボルン、ケアンズ、クライストチャーチ、ReykjavikEtc

III. 航空券はワンワールド・エクスプローラーを基準とし、他のローカル・フライトを追加、活用する。第II弾、第III弾はスカイ・チームやスター・アライアンス等の世界一周格安キップを利用してもよい。先ず第I弾の実行経験が次に生かされるだろう。(彩の渦輪)


病よ飛んでけ!結婚50周年記念イヴェントのために

2011-02-13 12:00:25 | アート・文化

新年を寿ぐ賀状の中に昨年罹った病気を羅列したものがあり、脳神経の病からご丁寧に膀胱炎まで書いてあって笑ってしまったが、実は筆者も「負けてはいないわよ!書きたくないけどこっちには黄門さま(当て字)もいるわよ!」過去一年我がBodyは病のデパート、招かれざる客の快適な安宿だったようだ。一昨年来の腰痛にはコルセットを欠かせず、喉からの出血にガン検センターへ走り、心電図異常は心臓内科へ、鉛のような胃、白内障に大腸炎、そしてよれよれの黄門さま。招かれざる客たちはこの宿が気に入ったらしく居座ってきた。

時間が余りない。結婚50周年記念行事として50か国巡りに出かける予定日まで1か月余しかないのだ。一病ずつでは間に合わないので23病まとめての医者巡りや入院もしてきた。入院患者さんたちと話すのは楽しかった。大物の居候は最近出て行った。万歳!だがあと2匹、手に負えない客がいる。我が宿がお気に入りらしく、しつこくしがみついている。仕方ない。引き連れて旅に出て行くか。(彩の渦輪)

             結婚50周年記念企画

              珍夫婦の地球50か国千鳥足

          ―地球上の人の縁に魅せられ、追い求めて-

異文化比較と異文化共生のヒントを求めて結婚50周年を迎える夫婦が50か国バック・パックの旅を企画した。この旅の主たるテーマは「異文化比較と異文化共生のヒントを求めて」だ。旅は地球上の人の縁に驚愕し、感動することの繰り返しだ。文化の相違点・相似点を見て地球の未来への希望や共生の可能性のヒントも模索出来る。また夫、妻それぞれも小さいテーマを持って出かける。夫は常々海外で楽しんできた温泉探し、妻は常々関心を持ってきたIntegrity(誠実さ)調査、という課題を持ち、簡単なアンケートを携えて出かける

二人合わせて151歳の合言葉、「変化こそ人生、経験こそ財産なり」人生は一度きり、お金をやりくりしての丸腰人生だが、経験の豊かさは心身の活性化をもたらす。我々は死ぬ時は資産ゼロの状態を覚悟している。「変化こそ人生、経験こそ財産なり」が我々夫婦の合言葉だ。縁あって苦楽を共にした一夫婦、79 歳と72歳、合計151歳が、結婚50周年の記念に地球人、日本人として地球50か国バック・パックの旅をすることの意味を同世代や後に続く人々に問い、分かち合いたい。


紅梅の下、少年たちの歓声

2011-02-12 14:08:21 | うんちく・小ネタ

 眼下の風景 絵は彩の渦輪の本より矢川の家の窓から見下ろし家々に囲まれた道と畑の空間を子どもたちが声をあげながら群れで追っかけっこをしている。どんよりした曇り空に紅梅が満開、暖かくなったサインだろう。道に転がって戯れている者もいる。ふと少年時代を思い出した。履物は何をはいていたのだろうか。今は運動靴だがその頃は藁草履か下駄だった。冷たさなど念頭になかったなあ。天真爛漫さは時代を超えて子どもの天性だ。眼下の子どもたちは遊びに飽きたのか集団で帰って行く。加齢者は来るべき時が迫ると童心に帰るのか、幼いものが愛しく可愛く感じられる。動物も含めて小さなものに慈愛心が増し仏心に至ったとさえ感じる。特に子ども連れの母親だ。出会うと子育ての苦労が手に取るように判るので寒空の自転車3人乗りは大変だろうと同情する。我が一家でも通って来た道なのだが当時は当たり前と思って妻への同情心などなかった。年齢と共に希望と覇気が減り、弱いもの、幼い対象に思いが向かうのか。平穏な市井人だが健康で、家族に大きな心配ごとが無いせいか。(自悠人)


民族の悲劇の象徴を民族共生の象徴に

2011-02-05 08:58:40 | アート・文化

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人類の悲劇の象徴

 破壊したのはクロアチア系民族主義者と言われるが、宗教がからむ民族間の憎しみは単一民族の我々の理解を超える感情だろう。現在も川を挟んでクロアチア人とイスラム系の人が別々に居住するという。橋のたもとには「93年を忘れるな!」と小さな石碑がある。橋や川の周辺のビル群にも痛々しい銃痕が無数に残っている。資料館で見たこの橋の物語で特に印象に残ったのは2004年の復元時、拾い集めた砕片を並べ、最後の一枚を誇らしげに嵌め込んでいる職人の表情だった。橋への深い愛情がひしひしと伝わる笑顔だった。

破壊された日はなんと911

 橋のたもとの売店でDVDを買ってきた。橋が爆破される瞬間は胸が痛む。砕片を拾い集める人々や橋職人、完成時の祝祭行事等、苦労して集めたフィルムを繋ぎ合わせただけの素朴なDVDだが、観るだけで心臓がドキドキするリアルな出来だ。爆破当時の恐怖と人々の悲しみが伝わってくる。なんとキャプションに1993911日とある。911日?同時多発テロも911だった。チリのクーデターも911だった。単なる偶然だろうか?

民族融和・共生の象徴に

 緑の木々を背景にエメラルドの水面を跨いで映えるこの橋から突然一人の男性が観光客数人の前で飛んだ。背中からのダイブだ。なんと美しいフォーム!全身に力が行きわたっている。誰かが「ケナンさんだ!」と叫んだ。身体を拭き、衣服を着け、上がって来ると勿論握手攻め、その観客の中からケナンさんは若い女性の手を握った。「貴女が好き!」と言ってるようだったが、残念ながら女性は手を振りほどいた。民族が異なるようだった。民族意識が恩讐の彼方に雲散霧消する日はいつの日だろうか。美麗な橋、スタリ・モストが世界遺産に登録された理由は歴史的価値と民族融和の象徴(デジタル大辞泉)としてだという。それはそれは美しいこの橋が個民族の居住地を繋ぐのみならず人々の心もつなぎ、通わせ、笑顔を往来させる日が近いことを願ってやまない。(彩の渦輪)