あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

タイムトンネルの向こうの街タリン ~エストニア共和国~

2011-09-30 19:24:35 | アート・文化

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赤いとんがり屋根付き城壁がここで始まるViru Gates        美しいカタリーナ通路

赤いとんがり屋根付き円柱塔が連なる城壁の中の可愛い街タリン。丸くふくれた自然石の石畳は疲れるが、童話の絵のような城壁で囲まれ、見どころ全てが収まっている旧市街をフーフー言いながら歩いた。ふる里のように郷愁に浸れる街タリン、1516世紀の街並みを大切に遺したこの街は現在は観光の街、全ての通りにカフェやレストランがテラス状にテーブルを置き、女たちが気軽に乾杯している。「ビ-ルで高笑いの女」の前を「棒足でフーフー女」が行く漫画の訳は……「限られた時間に出来るだけ多く見てやろう!」の日本人的欲張りが、「座ってのんびりビールを楽しみたい」という欲求との戦いに打ち勝ったせいだった。

 歩き廻った城壁の中を少し紹介しよう。トームペア城はまるで宮殿、傍に立つ「のっぽのヘルマン」という14世紀建立の塔の上にエストニアの国旗がはためく。旧市街のど真中にある人気のラエコヤ広場は中世から商業市が立ち処刑も行われた広場で現在も行列やお祭り騒ぎで賑わう。周辺のレストランでは可愛く着飾った女の子が客待ちしている。オリヴェステ(オレフ)教会を建てたオレフは世界一高い教会建設を請け負い、完成寸前に落ちて死んでしまったという。筆者はこの教会の敷地内、彼が落ちた辺りの、彼の骸骨のような石像の前にペッタンと一人座って彼の悲しい運命に涙した。筆者のお気に入りはカタリーナ通路、最も懐古調で美しい通りだ。両端の建物群をスリムな屋根が頭上で列をなして繋いでおり、その下で女の子がバイオリンを弾いている。画家が絵を売っている。この一帯はタイムトンネルの向こう側、156世紀で時が止まっている。筆者は錯覚を愛でつつ何度も行き来した。(彩の渦輪)


デートは地球のあちこちで

2011-09-25 21:22:31 | アート・文化

Holgate アラスカ、ホールゲート氷河前

古希を過ぎてからも夫婦が時には一緒、多くは別々に日本、USと住み、その上二人子どもも別の所に住んでいた関係上、お互いの都合を考慮して合理的な待ち合わせ場所を決め、そこから目的地を訪ねた。全てが上手に逢えたわけではないがそれなりにスリルのあった出会いではあった。

1.カサブランカで会いましょう:結婚25周年記念のデートは地球の裏側の、モロッコのここで。アクシデントの後劇的に会えた。

2.サンフランシスコで会いましょう:子どもたち二人は日本から、我々夫婦はOhioCincinnatiからここで出会うというデート。子どもの日本からの便にアクシデントがあり、やっと会えたのち、かつて小生の父親が住んでいたオークランドの旧住所を訪ねた。

3.カンクーンで会いましょう。:メキシコのリゾート、かンクン。空港の掲示をまともに信用して時間をつぶしたらすれ違いし、すぐには会えなかった。

4.ラスベガスで会いましょう:小生は日本から、ワイフはシンシナティからここで会ってデスバレーに行った。生か死かという最大のアクシデントに見舞われた。

5.ソルトレークで会いましょう:小生は日本から、ワイフはシンシナティから、ここで会いイエローストーン国立公園に。

6.デンバーで会いましょう:コロラドの松茸狩りに鈴木博子さんとご夫君を誘ってここで待ち合わせ。

7.サンチャゴで会いましょう: 結婚40周年記念のデートは地球の裏側で。空港で会えなかったが、約束していたホテルで会えた。この時の旅でアコンカグア登山し、ワイフは高山病で意識不明になりヘリコプターで下ろされた。小生はミュールで下りた。

8.ホノルルで会いましょう:小生はシンシナティからハワイ目的でシンシナティ往復の旅、ワイフはシンシナティから日本へ行く途中降機、飛行機も行き先も異なったが、「終の棲家探し」としてハワイをうろついた。が、物価高で諦めた。

それぞれの出発点は日-日、日-米、米―メキシコ、米―米、と酔狂な企画、会えなくても仕方がない行動と覚悟しての企画だった。「会えればグラスでカッチンし、会えなければそれぞれ勝手に旅を続ける」というルールを定めての行動だった。いずれも携帯電話のない頃だった。思い返せばなかなか大胆なことをやったものだね。(自悠人)


キリスト教の原点とコニャック・アララトの国~アルメニア~

2011-09-23 15:23:57 | アート・文化

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寿司屋わさびで飲んだコニャック・アララトは美味だった  アルメニア美人の店員さん

 第一次世界大戦時、隣国トルコがロシア国境地帯に住むアルメニア人をロシアのスパイと見做してこの地方から追放を企て一説に80万人もの住民が虐殺されたと言われる。ツィツェルナカベルドの丘の上にアルメニアン・ジェノサイド記念碑が建てられ、今も薄暗いモニュメント内には追悼の炎が燃えている。アルメニアが大国に虐げられた歴史には原因があるのだった。それは民族の優秀性が他民族の妬みを買い迫害を齎したことだという。周辺のどの国に逃れてもそこで頭角を現し、自民族の才覚を強調するからだ、と。事実、経済、文化の分野で多くの著名人を輩出している。

 3世紀末アルメニアが世界で初めてキリスト教を国家宗教と認めたことは有名だが、広大な敷地に多くの建築物を持つアルメニア正教のエチミアジンは総本山であり訪れる巡礼者が多い。ノアの箱船が漂着したというアララト山も近くに聳え、宗教的逸話や教会の原型的な建物も郊外に遺産や遺跡として残されている。大地震や歴史的な戦禍、民族の変遷を経て現在に至っているのでヨーロッパ諸国で見かける教会とは異なる。規模も小さく、暗いイメージが強い。艶やかさ、華やかさを期待してはいけない。キリスト教の原点はこのコーカサスにあるのだ。ヨーロッパの豪華な教会を見なれた人はこの地の教会を見ればキリスト教観が変わるだろう。

 日本で知られているアルメニアは美味なコニャック・アララトの産地、美女の多いことも観光目玉になっているようだ。首都エレヴァンではコニャック製造工場も訪れ、試飲もした。イギリスのチャーチル首相も愛飲したという12年ものは美味しかった。我々が知っているVSOPXOなどよりも香り、こく、風味まで加算され、深みのある味だった。寿司屋「わさび」で飲んだコニャックは最高に美味だった。(自悠人)


「栃の心」のお里は黄金色のえにしだ並木~ジョージア②

2011-09-16 10:41:00 | アート・文化

076_3  1.遠足中の小学生と、民族建築村にて 2.バスの中で、民族衣装の可愛い子ちゃんと
 自由広場近くの地下鉄出口で客待ちしているマムカのタクシーは
3回利用した。一回目は古き良き時代のグルジアを見るため民族建築村に行った。ここで小学生の遠足と一緒になったが、アルメニアやアゼルバイジャン出身の小学生がいたので引率の先生に質問しつつ見学した。トビリシでは多くの民族が仲良く暮らしていると話してくれた。旧市街にはユダヤ街、アゼル街、アルメニア街があり、共生して来た歴史がある。2008年のジョージア紛争から丸3年経つが、この紛争はロシアと欧米間の非難合戦の様相を呈している。

マムカの車でムツヘタに出かけた。イベリア王国の首都で世界遺産、ジョージアの旧首都、力士「栃の心」の郷里でもある。ロシアに続く軍用道路の一部を通りジョージア最古のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂へ。薄暗い大聖堂内で聖像、壁画やイベリア国王の写真が神々しい。ジョージア正教の聖堂は上品な採光法でひっそりとした趣、欧州の教会のように威圧しない。世界遺産の他の一つ、山頂の小さな教会ジュヴァリ聖堂は6世紀建立の素朴なものだがジョージア正教のシンボルで上から見ると十字架の形をしているという。この教会から見下ろす風景は雄大だ。眼下に大河の三叉路が見え、延長上はロシアとトルコへとアゼルバイジャンだ。山肌には可愛い家や教会の尖塔が張り付いて美しい集落を作っている。三叉大河の行方と山肌に巣を作っている人々の幸せを見守っているのがこの十字架教会なのである。道中のえにしだ並木の見事さ。日本のえにしだの数倍の大きさで、並木のアーチを作り、黄金色が辺りを染めていた。マムカに空港行きの予約をした時、おまけだと言ってライトアップした夜の教会に案内してくれ、お礼も拒否した。空港で強くハグし合って別れた。トビリシ空港には大きく「Tbilisi is the city that loves you」とサインがあった。(彩の渦輪)

 ジュヴァリ聖堂から見下ろす三叉大河


おもてなし、ワイン、温泉、えにしだ並木~ジョージア(Georgia)~

2011-09-14 09:55:13 | アート・文化

071 この丸屋根がジョージアの温泉

温かいもてなしの国

アルメニアのエレヴァンから国際バスでジョージアのトビリシに入った。バスで一緒だったイランの若い旅行者、アミール君と一緒にムトゥクバリ川に沿って中心部の自由広場へ。三方を山に囲まれ、この川を中心に開けたトビリシは何と美しい街だろう。彼と一緒にホステル「ネスト」に泊まったが、母孝行息子経営のこのホステルは巣のごとく温かかった。夕食は家族同士のように和やかで自家製ワイン付きの大ご馳走。干し葡萄もとびきり美味だ。聞けばジョージアはワイン発祥の地、ワインという語はジョージア語のghvinoだという。遥々一緒に来てここで寝食を共にしたアミール君と別れるとき彼も寂しさを隠さなかった。その後ず~とメール交換があり、最近FBの友達になった。

多民族が共生する東西の交差点トビリシ

ジョージアの紹介パンフには「ヨーロッパはここで始まった」とある。曰く、欧州最古の人骨が出た、最初のヨーロッパ人はこのジョージアでドマニシ原人として骨が見つかった、欧州最高山頂はここで最高地定住もここ、葡萄の品種数は世界一、品質最高のワインで世界一のおもてなしをする国、とあり、温泉もある。

ホスピタリティーは最高だ。道端で困った顔でもしていたら必ず近くから「メイアイヘルプユー?」が聞こえる。バスの行き先表示が英語でなくて困っていたら、ある紳士がアメリカ英語で「カモン!」を連発、バスに乗せてくれ、降りる場所を運転手に依頼、お礼を言う間もなく去った。散歩中の中年女性が、「日本の震災孤児を養子にして育てたいんです!」。温泉浴場を探していたら片目がつぶれ首にも手術跡のある青年が一緒に探しあて、値段を確認し、「Royal Bathは高いから一般用の浴場へ行きましょう」とSulfer Bathへ案内してくれた。トビリシは「温かい」という意味で、語源は温泉だ。昔王に撃たれた雉が温泉に落ち、癒えて飛び立ったことから王がその温泉の周りに作った都がトビリシだとか。良い浴場で地元民と交流出来た。熱々のチーズパンを齧りながら近くのナリカラ要塞に登った。ムトゥクバリ川、丸屋根の温泉、ゴーリキーが幽閉されていたというメテヒ教会、ジョージア正教の総本山シオニ教会等、美しい国際親善都市トビリシの街が眼下に開けた。続く(彩の渦輪)