あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

悲しきお知らせとお礼のことば

2022-03-01 10:19:33 | 多文化共生パーティー

 Blog、長くご無沙汰したわけは・・・交互に執筆していた夫、自悠人が暮れの25日、天国へ旅立った。何でもいつでも前向きに、元気な笑顔で活動していた夫だった!地球千鳥足(世界119か国バック・パックの旅)も、ある年からは夫婦一緒だったのに!当分は旅をする気力が沸かない。O地球村塾によく参加してくれたLisaさんは:「Tさんは今、輝いて天国に無事辿り着いた頃よ!」と。急だったので親族のみでささやかな葬儀を済ませ、筆者は1か月泣き暮らしたが、その後諸団体への報告等、結構多忙となり、お年賀状を頂いた方々への返信が出来なかったこと、お詫び申し上げる。

   良いことも1つご報告させて頂こう。夫が2003年出版した『還暦からのニッポン脱出』が、文芸社の過去全ての出版物(約880冊とか)の中のBest 20に選ばれたことだ。 本年年女の虎ちゃん筆者だが祝う気分はゼロ、夫が生前賜ったご厚情に心から感謝申し上げ、今後も温かいお力添えをお願いし、お礼のことばとさせて頂こう。(彩の渦輪)


救急病院で3か月縛られ縛られ代40万円、認知症になって出された!

2021-04-05 09:29:57 | 多文化共生パーティー

     Blogご無沙汰して3か月弱、文章など書く気力が出ない事件とその余波で泣く日々だった。夫、自悠人に「死んで謝らなければ!」と思い続ける昨今だ。  昨年暮れの26日、夫が自転車から転倒、道端の縁石で頭を打ち救急車で恵・・病院に運ばれた。その時は意識がはっきりしており、道端に座って、「今救急車を待っているところです」などと近所の人に喋っていたそうだ。が、到着した病院で放置され、3日目の29日に溜まった血を除去する手術。年末には元気で看護師さんにあげる自著にサインをしていたという。病名は頭蓋骨骨折と脳挫傷で、左半身不随のうえ言葉が聞き取れない。いわゆるロレツが回らない、という感じだ。1月4日の医師面会時、医師は、「貴女の団那さん、昨年暮れの入院時医師が居なくて2日間放っとかれましたね!」と言った。が、後日この言葉は「言ってないよ!」と否定した。夫は1月14日までは元気だったようで、そのあたりで退院させていればこんなことにはならなかった!長く縛られていたのだ!知らなかった! 

  夫には1回も面会させてもらえなかったので夫の変化には気付かなかった。が、この病院には舌のリハビリを親身にやってくれる、言語聴覚士さんがいて、リハビリに良いからと夫に携帯電話を渡し、「リハビリのため」と電話で入院中の夫との会話を1度許してくれたぐらいなので、素敵なリハビリ聴覚士さんが居る良い病院だと思い込み、「夫にはリハビリさんのいる病院の方が我が家より良い」という意識だった!まさか抑制(手を縛られる)されているとは知らなかった!家より良いと思い込んで1か月と1週間後、主治医が「お宅の団那さん、認知症になったから出てくれ!」と2月20日に。退院の日にその主治医に「お話を聞きたい!」と申し込んだがなぜか予約センターの女性が「無理です!」と面会を拒否、退院の日は医師にも誰にも会えず、入院費40万円払って介護タクシーに乗った。車椅子に乗った夫は骨と皮、妻さえ認識出来ず、車中で涙ぐみつつ自分の手をさすり話しかける妻を不思議そうに見たり、手に触れるものをいじくったりしていた。筆者は夫に誓った。変な病院とは知らず、出してあげる時期を間違えた私が貴方を治します!死んで謝りたいけど、これから貴方を治す努力をしなければネ!」「一緒に認知症を治しましょうね!」。

  もとらぬ口と身振りで「もう手を縛られなくていいなあ!」みたいなことを言ったので、帰宅後恵・・病院に「どれだけの期間どんな抑制をしていたのですか?」と電話で聞いたら、「昨年暮れから退院まで、紐で手とベッドを縛ってました!」と。「え?数か月も縛ってたの?!!! 紐の長さは? 」と筆者。「上半身ぐらいです!」と病院。「じゃあ動けないじゃない!」と筆者。“That's horrible!そんなこと許されるの?”  

  車を売ったのが不幸の始まりだった!3月一杯、保険も払ってあったのに!夫が運ばれたこの病院は、「運び込まれた怪我人や病人を放置する殺人病院とNetに出てるよ!」と友人が知らせてくれたのは後になってだ。が、過去を振り返っても仕方ないでしょう。未来を見なくちゃ!「ご免ね、私が治します!一緒に頑張ろう!」。たまたま夫の近況を尋ねてきたアメリカの友人にこのことを話したら、励ましてくれて、Never give up!”と。はい、夫の心身、頭脳とも治るまで諦めません!(彩の渦輪)

        写真:こんなに元気で世界を飛び回ってたのに!


自転車から転落、胸椎骨折で入院、帰宅してまたスッテンコロリン!

2020-12-17 17:05:09 | 多文化共生パーティー

Blogご無沙汰したわけは…入院していたんです!ほぼ1か月前の日曜日、K君宅でご馳走になり、その翌日、★先生宅の前で自転車から転落、コンクリートの縁石に腰のど真ん中をいやというほど打ち、痛みで動けず伸びていた。が、通行する車は止まらない。22日と23日は天国と地獄、でしたネ。やがての頃中年紳士と体育大の女子大生が筆者を助け上げ、救急車を呼んでくれた。近くのT病院は満床とかで災害医療センターヘ。コロナ下で家族も面会出来ないというので寝巻一式借りての入院生活。主治医がすぐにコルセット業者を呼び結構なお値段の品を作らされ、廊下を歩くリハビリがすぐ始まった。コチトラ、痛いのは腰だけで足は健康なのでスタコラサッサと歩いたが、「満床です!通院先があれば出てください!」と突然退院を勧められ、10泊でさよならした。治療を続ける通院先として「引き継ぎ依頼」の文書を届けに行ったT整形外科ではまず高価な骨密度検査(Y2800)を受けさせられ、「その結果を見て治療を始める」と。1週間後、結果は良好で筆者は同年令女性より129%も骨密度が多かった。が、T 整形外科の医者は「検査は合格ですね」と言いつつ、「この次転んだ時のためにVitamin D(VD)を飲みなさい。一生飲みなさい。1か月分づつ薬を出しますから1か月ごとに当医院に取りに来なさい!」と。受付の女性に「1か月おいくら?」と聞いたら、「約Y4000」と。「え~?!月に4000円の薬を一生飲むの?」。医院の外に夫がいたので、「一生薬を飲みたくないよ! Y4000/月だって!検査は合格してるのに!貴方も一緒に診察室へ入って!」と再度夫を伴って診察室へ。医者は夫を見てヘラヘラと愛想笑いし、VDの薬の話は全くなし。お会計は70円だった。え~?これって女性蔑視のボロ儲け主義 ? この医院の待合室には常にシニアの女性が20人強待っている。高齢女性の患者の皆さんにこのVDを薦めるのかな?

 筆者のBlogが途絶えていると入院中心配してくれた友人のChiyokoさんに昨日この話をしたら、「病院は家族と行きなさい。女性一人で行くとこんな風に『大儲けの鴨』にされますぞ!」と指導してくださった。夫がいたおかげでT整形外科は騙されなくて済んだが、退院後約2週間経っても腰はまだ痛いので、コルセットをつけてBedで休む日々だ。が、やむを得ず料理はするんです。昭和一桁の夫さん…我が家は相変わらず天皇と侍女の関係です。娘が電話してきて、「こんな時こそ『女帝と侍従』の関係にならないとね!」と言うのですけど…。その後も痛みは減らず、食事時間前後以外はBed の中。コルセットつけたままで。我が家の「Blogが止まっている!」と、いち早くご心配くださった麗子さま、Yoshikazuさま、Chiyokoさま、有難う!(彩の渦輪)


我がAggressive人生息長く!

2020-11-20 16:29:28 | #運転免許証 #多文化共生 #人生 #バックパックの旅 #きいてきいて

   前寺清子の歌の歌詞に、「人のやれないことをやれ」とあるが、筆者も精一杯生きてきた米寿88歳だ。この歳で車のちょっとした事故をやった。車はハイブリッド・カーだ。昨今社会的に問題になっているブレーキとアクセルの踏み間違いのようだ。自分ではブレーキを踏んだ意識しかない。実際にはアクセルを踏んだのか、止めることが出来ず直進した。不幸中の幸か、駐車場の車止めコンクリートの間をすり抜け5m先の、直径12㎝位の松の木の幹にぶつかって止まった。対人事故は無く自身も問題なし。車はボンネットが開かない等、前部の破損だけだった。が、この事件も高齢によるものかと、これを機会に車の免許証を返納することにした。27歳から61年間という長期間免許証を維持し、アメリカに住んだ58歳から78歳の20年間にも当然運転したが、……長過ぎた?実践例を思いだせるだけちょっと記してみると:

  • 一生、生命保険はかけなかった。
  • 24歳で大学入学、27歳で卒業。
  • 32歳で10.25坪の家を建築し、その後増改築を繰り返した。
  • 還暦2年前からアメリカに20年間住み異文化・多文化を体験、絵画クラブのCincinnati Art Clubに所属し、世界バックパックの旅を繰り返した。訪れた国120か国。日本から出かけた国や場所も含めて。
  • アメリカで運転中、下りの砂利道でブレーキが利かず、車がスピンして前後が反対になって止まった。
  • アメリカに居住中、冬季ブラジル旅行、その間、自宅2階の水道管破裂、2年分の水量を噴出、家は水浸しになっていた。連絡を受け、旅を中断して帰った。
  • アコンカグア(Aconcagua) のベースキャンプ、Plaza de Mulas (4300 m)でワイフが倒れ、登山は中断した。
  • アメリカでMulticultural Music, Art and Luncheonという多文化共生Partyを年2回開き(客44人)、帰国後日本でも同趣旨のO地球村塾Partyを年2回開催してきた。
  • 市立Museumで個展を開いた。(自悠人)  
  •    写真 1.ワイフがぶっ倒れたAconcaguaのPlaza de Mulas 2.旅中心の油絵個展 
  • 3.ナイアガラの滝(アルゼンチン側) 4.ネイティブ・アメリカンが崇拝するレインボー・ブリッジ。レイクパウエルにある。 5.カラファテの氷河爆発

大相撲を見に両国国技館へ!:琴奨菊最後の琴バウアー見た!

2020-11-16 18:23:59 | 多文化共生・相撲

 13日の金曜日の切符入手、縁起悪いかな? と考えていたら友人の博子さんが「そんなのあなた方夫婦には関係ない、楽しんで来て!それよりマスクを二重にかけて行きなさい。電車に乗るのでコロナに注意!」と助言してくださり、両国国技館へ行ってきました!正面5列目の升席。蜜を避け、4人の升席に2人なので足を延ばしてゆったりでき、贔屓筋の石浦(鳥取県出身)も隠岐の海(島根県出身)も目の前という近さで見て応援出来た。十両の部で「石浦!」と声援したら、「大声を出してはいけない、拍手だけという決まりだ」と夫が言い、それ以後は拍手だけ。後ろの升に九州から来た相撲通の若い女性が3人いて仲良しになった。「今場所は本来ならば九州場所、切符を買っていたので、飛行機で東京へ来ました。2泊3日の相撲見物です!」と言った。筆者は元琴櫻以来の佐渡ケ嶽部屋ファンで国技館は3回目、夫は初めてだ。以前、「琴3兄弟頑張れ!」というBlogを書いたことがあるが、それは琴光喜、琴欧州と琴奨菊の琴ちゃん3人だった。今回、最後の琴ちゃん、琴奨菊を見て応援出来て嬉しかったが、なんと、見た翌日にこの最後の琴ちゃん、琴奨菊が引退表明!新聞には琴奨菊引退会見の大見出し記事が!なんとも残念だけど、なんとも幸運だった!最後の琴バウアーを目の前で見られたのだから。彼の言葉によると、「胸を大きく反らす琴バウアーには支えてくれた方への感謝の気持ちを込めた」と。そして、「やれることはすべてやった」…東京新聞…と胸を張った琴ちゃん。「相撲道を究めようとした求道者…東京新聞…」琴奨菊の最後の相撲を目の前で見られ、縁起悪いどころか、なんとも幸運な13日の金曜日でございました。(彩の渦輪)

 1.土俵入り 2.左が琴ちゃん(ちょっと見えにくいですが)

 


ご招待で胃も脳も満たされた!薬の飲みあわせ、知らなかった!

2020-11-05 16:15:08 |  #ご近所 #防災袋 #観葉植物 #薬

 先日、夫が剪定をしていたらK君のご母堂が通りかかられ、「どうぞおあがり!」と招じ入れてくださった。K君は我が家のPC110番、毎月1回以上お世話になる青年、どんな難問も解決出来る優秀な青年だ。美味しい黒糖ケーキとコーヒーで、日曜日だったのでK君、ご母堂と4人でおしゃべりが弾んだ。そのうち一級建築士のご父君も参加された。楽しい話題に時を忘れて長居し、昼食までご馳走になり、身体へも脳にも知恵・知識、エネルギーを頂いた。夫、自悠人が、例の難病、「XX狭心症のため、一生薬を飲まねばならない」と話したら、K君のご父君も、「私も薬を一生飲まねばならない」と。夫の仲間だった。だが、「病気が判った直後の1年間はアルコールを全く飲まなかった」そうでご立派!他方、夫は今日も絵を描いたからとビールを飲んだ。まあ、薬は朝晩なので昼のビールは大目に見てあげるか。ご母堂のご忠告は、「グレープフルーツは薬とコンフリクトだと思います!薬を飲む前に薬と飲みあわせや食べてはいけない物など、一度処方箋を持って薬局で聞いた方がいいですよ!」と。なるほど!大事なことですね!!! 別の話題でも、「防災袋には、カロリーメイト、水、チョコ、合羽、下着が入っている」と教えて頂いた。いい年の筆者“婦夫”なのに脳がスカスカだった!急ぎ、防災袋チェックしましょう!(彩の渦輪)


我が脳が狂った夢を見た!:変化が無さすぎる生活は問題かな?

2020-11-03 11:35:28 | 生活 変化 絵画 剪定

コロナで何処にも行かないし、ぼやっとしていることが多い。アメリカ行きも、購入したティケットを2回延期した。思いつくままに片付けや修理すべきものなど捜していじっている。本日は午前、アトリエで描きかけの絵の続きを、と絵筆を持って座ったが思うように描けない。先ずは白いところを埋めることから。顔や肌は手間がかかる。飽きて来たので庭の松の剪定を始めた。梯子に乗っての剪定は注意力と集中力が必要だが、足に力が入らず危険だ。手間のかかる割に仕事が進まない。仕上がると気持ちが慰められる。頭脳より肉体を使う方が楽だネ。最近の怪我は植木に関係することが多く、忘れ物も用具や作業着を置いて帰るなど、油断ありだ。木に登ることは来年89歳で卒業と決めている。運転は、ワイフを車で買い物に連れて行くだけ。車の中でじっと待つ。筆者はよく動く男だったが、動きたくない性質に変ったみたいだ。30分平気で待つのだから以前では考えられないことだ。   このところ妙な夢を見る。ウイスキーを沢山飲んで酔っ払い苦しんだ夢だ。会社員時代の飲み会の夢が多い。確か夕べは缶ビール、それもK君に頂いた美味しい赤い缶1本だった。それで酔うなんて考えられないが、辛抱出来ず階下で水を飲んだ。別に不幸なことはなかったのに、我が脳が狂った夢を見て目覚めるなんて不思議だ!良く動く人間が変化の無い生活に変ると脳が狂うのかな?(自悠人)


久方ぶりのふるさとサロンMeeting、 有益だった!

2020-10-22 15:16:09 | 講演・アート・音楽・スピーチ
 今年何度目かの薔薇…バレンシアオレンジの…が庭先に咲き、眼を楽しませてくれている。月に1回集会がある「ふるさとサロン」の「中国、四国、九州、海外ブロック」に、久方ぶりに参加させて頂いた。シニアが多いせいか、2時間の集まりのうち病気の話が50分ぐらいだったが、それはそれで役立ち良かった。特に、夫と同じ心臓病で同じT共済病院に入院、心臓のバイパス手術を受けたことのあるK氏の注意事項: 「①かかりつけの医者を持つが良い。タクシーで行けばいつでも受け入れてくれる。②薬局がくれる処方箋の紙は捨てないで持ち歩くとよい」 は有益だ。夫のように狭心症の薬を「一生飲むよう」言われている人間には必要な知恵ですね。K氏は続けて、「手術は体力を必要とする。自分は毎日6000~10000歩、歩く。また市の公園のゴミ拾いも続けている。ゴミ拾いの説明会を14箇所でやったけど誰も評価してくれず、協力者も出なかった。Etc.」 なるほど、勉強になったけど、その説明会は知らなかった。ゴミ拾い活動が徐々に広がりますように! 今回は筆者も少しバックパックの旅の楽しさについて話したが、それ以外は病気の話題が殆どだったので、次回は「有益な食べ物の話題でお願いします」 と希望をだしておいた。が、「病気の話題も有益だった!」というお顔のお方が多く、ニコニコ顔で「See you again!」でした。(彩の渦輪)
 

ロータリークラブで講演:異文化理解と多文化共生:アメリカ・地球、住んで旅して騙されて

2020-10-15 15:15:50 | 講演・アート・音楽・スピーチ
 18年前短期間所属していた国分寺ロータリークラブから講演講師のご招請頂き、おしゃべりしてきた。以前のメンバーは3人だけ、講演が始まる前に、「全くお変わりないですね~」と、懐かしそうにご挨拶くださったがこちらも懐かしさひとしお。講演内容のアウトラインはいつも似たものを使うが、エピソードを紹介する国は常に新しい旅から選ぶ。が、今回は楽しい話からにした(と言ってもみんな楽しい話だ!)。与えられた時間は30分と、いつもより少ないので内容も絞ったが、楽しんでいただけたかな?
I. 足と心で異文化交流:人間遺産と触れ合う旅       
1. 「日本人?どうぞ!」とパトカーが乗せてくれた! ~キルギス~
2. 鶴竜の父君は学長、同時に思慮深き教育者/琴欧州の国はマロニエの花盛り
3. アルメニアで出会い、ジョージアで別れ、イランで再会、大歓待の日々
4. ボランティアから王女面会まで出会いに富んだ日々 ~アメリカ合衆国~
5. 警察署でインテグリティー説教  ~ドミニカ共和国~
6. アルゼンチンはカラファテの民宿のおばちゃん、「13年前有難う!」 
7.「過去は関係ない。今何をやっているかだ!」
    アルゼンチン最南端のウシュアイアで会った玉城さん
8. ウズベキスタンでロシア民謡大合唱
9. 妻は満足、夫は脳がおかしくなった国 ~キューバ~ 
10.滝壺で出会い、ノルウエイに招かれ、フィヨルドで一緒に釣った若い 医師 
II.  異文化理解と多文化共生について           
「年だ」は「ま~だ」だよ:旅は心身を活性化する。出会いは宝石、我々夫婦の合言葉は「世界遺産より人間遺産を!」だ。そして、いつも若者に手を貸すことを念頭に、さあまた、88歳と82歳の、青年は荒野を目指す。(彩の渦輪)
 

突然心臓が飛び出すような連続激痛が走り、母を思った!

2020-10-11 16:12:04 | 狭心症発作・母の愛
 胸の痛みを辛抱してPCに向い、良い区切りまで打ち込んだ。心臓に手をやると痛くて頭にジーンと来た。ただ事ではないと救急車を呼んでもらった。直ぐ来たのは消防自動車。救急車は立川から呼ぶという。暫く待ち救急車が着いた。初めての心臓発作で、一時はどうなるかと心配だった。行先はT共済病院、原因解明のため心電図、エコー。翌日、心臓カテーテル処置で病名が判った。冠攣縮性狭心症。心臓周りの血管が狭くなって血液を送れない病状。薬は1日2回、死ぬまで服用だそうだ。2泊3日で退院した。6日目、また心臓に鈍痛。押さえれば結構痛く別の痛み止め、ニトロベン舌下で収まった。
 突然母のことを思い出した。翌朝炊く米や、おつゆの準備をして寝るのが母の習慣だった。ある朝、母が起きるのが遅いと同居している息子が気付き、母と一緒に寝ていた女の子に尋ねたら、母が起きないという。そこで息子が行ってみたら、母は亡くなっていたのだ。心筋梗塞か何か、だっただろう。私は東京で世帯を持っていたのでわからない。母は享年68歳だった。女の子は母が不幸な身の上の子どもを預かって世話していたのだ。突然の母の死を思いだし、今回の自分の発作を遺伝的なこととして受け止め、母の生前の生活の苦労を思い浮かべ、母に苦労をかけた筆者のことをちょっと書いてみたくなった。
 筆者は高卒後家の手伝いとして農業を1年間やり、その後三朝の温泉研究所に就職、お金を貯め、それからBack to Schoolで大学へ。だから大学は他の人より4年遅れだ。勤める時身に着けるものを全部母が準備してくれた。当時、豚を飼っていてその売り上げが資金だった。背広、靴、冬のオーバーコートなど。筆者の支出のため身を粉にして働いてくれたのだ。苦労をかけた事は忘れない。母親は子どものこととなると命がけで面倒を見てくれたけれど、「子を持って知る親の恩」を感じた時は既に遅く、母はいない。悔やんでも悔やみきれない思いがいつまでも脳裡に残っている。その分、我が子に返すのが筋道かな?(自悠人)