あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

家の中に蛇

2008-09-28 22:53:11 | まち歩き

やあ驚いたね、40センチほどの長さで親指大の太さの子蛇が玄関の絨毯の上に鎮座ましますではないか。アメリカはオハイオ州シンシナティの話だ。奴さん、伸びているから黒い紐だと思った。ところが首をもたげてこっちを見た。そして反転して家の中へ逃げ出した。何とか彼の方向を変えさせながらドアを開いた。だが玄関ドアは二重なのでもう一つドアを開こうとする間にまた方向を変えて家の中に向かおうとする。足で追いやりながら外に向かわせやっと奴を出した。大蛇だったら大変だった。蛇は屋敷内ではしばしば見かるが家の中に入ってきたのは初めてだ。どこから侵入してきたのかな。どこかに隙間があるのだろう。小さな鼠がしゃもじやすりこ木を齧ったりすることはあったし、蜘蛛やこおろぎなど昆虫類は家の中に多く、自然との共存を楽しんできた。それにしても蛇に好かれるとは何かの前兆か?蛇は縁起ものだが吉と出るか凶と出るか・・・。

 さてその二日後この地方を襲ったハリケーン・イケのせいで三日半に及ぶ大停電があり悲惨な目にあった。冷凍庫の食品は溶けて全滅し(コロラドで採取してきた松茸含む)料理不可能、だが屋敷は大枝二箇所が折れただけで家屋や電線に被害が少なくその点助かった。偶然保険屋に寄ったらこの地域で10軒から強風による家屋の損害が報告されていた。我が家はあのスネーク様が守ってくれたのだろう。(自悠人)


さよなら、母のくれたアイロン

2008-09-08 07:41:27 | うんちく・小ネタ

家を守った大事なアイロンを捨ててしまったので3歳ぐらいの時の筆者と家族の写真。母は美人でした。 母のくれたアイロンがついに壊れた。接触が悪いので修理したかったが古くて部品がないという。偉大なアイロンだった。27年前鳥取県の実家を訪れたとき私がなにげなく「アイロン買わなきゃ」と言ったらしい。親ですねえ、すかさず近くの電機屋で買い、東京に戻る私に持たせてくれたのだった。快適な重さの日立のスチームアイロン、当時の新製品だったようだが良いものかどうか意識もせず使ってきた。すごいもの、と気づいたのはこのアイロンが火事を防いでくれたときだ。娘が大学を出たての社会人一年生、毎朝慌ただしく出かけるのが常だったが、その頃私も外出の多い日々だった。その日も私が出かけたあと娘が出かけ、私が夜帰宅すると、ぞ、ぞ、ぞ~っと胆が冷える光景が・・・アイロン台の上になんと娘のブラウスが広がり、その上にアイロンがペタンと置いてあるではないか。コードはコンセントにつながれたまま。ブラウスには焦げ目が付いていた。アイロンは熱かった。あわててコードを抜いたが、アイロンは炎も出さずに熱くなったり冷えたりを一日中繰り返していたのだった。娘が出かけてから10時間もの間熱いアイロンを衣類に乗せたままよくもまあ火事にならなかったことだ。娘はアイロンをかけているうちに気が変ったのだろう。人使いの荒い会社に勤めていて、朝は早送り状態が常だったから。

今ではサーモスタット付き電気器具は珍しくはないが27年前の話、まして鳥取県の田舎の話だ。便利な商品があふれている今でも私は安物に手が出るが、恐らく母は中年にもなる娘のために最新式の高価なアイロンを持たせてくれたのだった。そのお陰で火事を免れたことは間違いない。その母はまだらぼけながら元気だ。郷里に私が帰るととても喜ぶ。今週また会いに行きますよ、お母さん。頂いたアイロンは27年持ちましたよ。火事から家を守ってくれましたよ!お母さんずっと元気でね!(彩の渦輪)


天中殺か試練・鍛錬か

2008-09-06 15:38:35 | ブログ

 今年は事件が立て続けに起こり参った。2月、娘が難病にかかった。6月、夫も奇病にかかったが7月に回復、7月、息子の一人息子(2年生)が交通事故で脳内出血、ICUで大変な手術だったそうだが生還、だが安心できるのはまだ先である。8月には事故が私自身にもやってきた。身体にではなくコンピューターへ。6年分のデータや重要資料をすべて失い、途方に暮れた。来週の講演の資料を本日も一から手作りしている。

2001年だったか、家族が命の危険にさらされるような事件が78回起こり「天中殺の年」と名づけたが今年がまた天中殺か、それとも神の与え給うた試練か。

バイブルの「ヘブル人への手紙第12章」だったか「あなた方は鍛錬(discipline)として耐え忍びなさい。主は愛する子を鍛練したもう。およそ我が子を鍛錬しない親があろうか」というような一節がある。私が好きな一節で唯一英語で暗誦している箇所だ。困難がやってきた時いつもこの言葉を思い出して乗り切ってきた。しかし子どもやその家族が親より先に病気や事故と闘わなければならないのはつらいものです。結構長く生きてきた私なのに、私はまだまだ鍛練の必要な人間なんでしょう。それともよほど主に愛されているのかな。(彩の渦輪)