あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

あてにせず、待てば海路の、日和あり

2009-05-31 05:50:48 | ブログ

「待てば海路の日和あり」は皆さんご存知の諺ですね。アメリカではその前に「信じずに」とか「あてにせず」とつけたほうがよさそう。当ブログ、Integrity(信用)問題で登場したM君はXU時代の教え子で大きな会社に勤めているコンピューター・プログラマーだ。丁度一年前の去年の五月、私に「素敵なホーム・ページを作ってあげる」と言ってくれ、どんな風に見えるかhome.index.htmlの色合いも見せてくれた。出来る寸前、という雰囲気だった。私は嬉しくて大いに期待して待っていた。首を長くして。待っても待っても待っても言い訳もなく、音沙汰も無く、すっかり忘れた今年の五月、突然に、出来ました!前述のインテグリティー事件では約束時間の1時間後に現れたが、ホーム・ページ作成は約束の1年後だった。優しくて教養も抜群、いい青年なんだけど……。もうあまり英語のHPの必要性を感じなくなってきていた時なので「嬉しさも、中ぐらいなり、おらがHP」だけど…感謝しました。この国では“信じないで待つ”のが腹を立てずに生きるこつです。でも勿論この国にいいところ一杯あり。こちらが失敗のために予定時間に遅れたりしても言い訳をちゃんと聞いてもらえること。事後の言い訳が聞いてもらえるから約束にルーズになるのかな。まあ、Integrityは筆者にとっては、(多くの日本人にとっても)とても大切なことですけど、所変われば…ですネ。

彼が作ってくれたhpURL:http://home.fuse.net/sumo1111/ でしたがもうありません。

現在はhttp://www.michaeldukehall.com/Ogawa/ 

お暇なら見てね。(彩の渦輪)


父が羨む旅:メンデルスゾーンが住み、死を迎えた家に佇んで

2009-05-26 10:25:30 | ブログ

 この春の旅、ベネルックス3国訪問を早めに終え、東独再訪を決めた。フランクフルトでBAHNの親切な駅員さんが格安で乗り放題の周遊パスを手配してくれた。ベルリンへの列車沿線は悠久の大自然、雨に煙る光景も風情があった。ベルリンを見てから列車で夜8時にライプツィヒに到着、ベルリン、ライプツィヒとも駅舎からして余りにも広く立派に変わり、人々の暮らしに相乗して変わる環境というものを見せつけられた。誰に聞かなくても夜でも相応のホテルが探せた。

今回はシューマンの家やメンデルスゾーンの家を訪れ、日本からの音楽留学生にも会い、迷うほど広い有名なゲヴァント・ハウスも見た。筆者の父はメンデルスゾーンが好きで、若き日から89歳で亡くなるまで毎夜ヴァイオリン・コンチェルトをステレオで聴いてから寝たものだ。筆者もそのお陰でメンデルスゾーンが好きになった。父のお葬式にはメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトを流してもらった。自分の愛娘がライプツィヒに来て、メンデルスゾーンが住み死を迎えた家の中に立ち、ゆかりのヴァイオリンや彼が弾いたピアノの前に今佇んでいると知ったらなんて羨ましがることだろう。あの世でメンデルスゾーンに憧憬と賞賛の言葉をかけているかもしれない。ライプツィヒでは当然ながら旧東側の暗いイメージは払拭され、美しく変貌した街並みは時代の先端を行く文明が匂い、世界各国から音楽を学ぼうと集まってくる人たちの謳歌が聞こえた。音楽好きなドイツ人の気質は永劫に生き続けることだろう。(彩の渦輪)

 


風車、ゴッホ、飾り窓の女 ~ネーデルランズ~ 完 

2009-05-24 22:06:53 | 国際・政治

P3230156 特徴あるオランダの建物とハーレムのハネ橋

ゴッホ美術館でもいたく心を打たれた。メモをしながら見て回った。「社会の弱者の力になりたい」と常に望んだゴッホは弱者たる農民を描いた。だが司祭は農民たちにゴッホのモデルになることを禁じさえする。それでもなお農民を愛し描き続けるゴッホ。そんなゴッホの「じゃがいもを食べる人たち」の前は離れることが出来なかった。食べている農民の真剣な表情、フォークを持つ農民たちのごつごつとした指……、絵画という媒体が訴えるものの威力をゾクゾクするほど感じた。若い頃社会的弱者のための活動をしていた筆者には何万言の言葉以上にビンビン響いてきた。献身の絶対性を断言するゴッホ。日本の浮世絵がインスピレーションの一つになったのは嬉しい限りだ。藍が基調の「星空」はいかにも美しいが、そこはかとない畏怖が感じられる。人の生を刈り取られる麦に擬える死生観も共鳴できる。

飾り窓の女については先入観があった。「二階の窓のカーテンの隙間から憂いを含んだ微笑で密やかに誘いかけてる」と。とんでもない!誰でも通る狭い通路に面しずらりと並ぶ等身大のガラス窓。その窓から色んな女性が裸同然で魅惑的な姿態で誘う。ガラス窓と狭い通路の距離は本当に近い。ベッドを見せている個室もある。彼女たちの仕事は哀れでも秘やかでもなく開放的なビジネスなんですね。英語の下手な日本人男性はいい鴨にされているそうですよ。ご用心!(彩の渦輪)


アンネ・フランクの隠れ家訪問

2009-05-23 22:11:59 | アート・文化

P3220138_2 写真はもと市の城壁の一つだったアムステルダムの計量所

 アンネ・フランクの隠れ家を訪れた。かつて「アンネの日記」を英語で読む会の講師をしたことがあるので以前から訪問を願ってきた。大変な行列で一度は入館を諦めたが翌朝は早めに並んだ。運河沿いの明るいビルだが勿論カーテンは閉め、窓はペンキで塗りつぶし、隠れ家への通路のドアの前には動く本棚が置かれた。一階は父オットーの会社の倉庫で従業員は何も知らされていない。トイレの給・配水管が一階の壁を通っているので昼間はトイレは使えない。「しーっ、もう水は流しちゃだめよ!静かに歩いてね!」と言い合いつつ、密告の恐怖に耐え、8人が励ましあって耐えた2年間余。ある部屋は特に真っ暗にしてあり、恐怖に曝されて生きる当時のアンネの気持ちが共有でき、優れた効果だと思った。194484日、匿名の密告電話により8人は大量虐殺処理収容所へと送られた。密告者はいまだ不明という。8人中7人が毒ガスまたは病気のため死亡、アンネと姉マルゴーは終戦の年1945年の3月、数日の違いで息を引き取った。父オットー一人が同じ年の6月に生還し、娘アンネの日記出版を決意、人々が共に生きる世界を作るための活動に従事した。世界中で今なお人権侵害が絶えない現状だが、多くの観光客がアンネの隠れ家に行き、屋根裏部屋の暗澹体験をする。この隠れ家公開は人権意識高揚の啓蒙活動になっていると思える。続く(彩の渦輪)


風車、ゴッホ、アンネの隠れ家  ~ネーデルランズ~  Part I

2009-05-23 02:52:08 | アート・文化

2週間もブログを休んでしまったのは学期末の忙しさの故だった。去年新しい講座「日本文化紹介」を開いてもらい、責任上徹底的に準備に時間をかけたこと、学期末ゆえ有終の美を飾ろうと、他のどのクラスにも色々ナアイデアを盛り込んだこと、等が理由だが、欲張ればいくらでも忙しくなるものですね。得意でない俳句まで教えたので、英語で書いた俳句の本を2冊も読み、学生が2,3句詠めるとこまで指導し得たと思う。後3週間でこの学期は終わり日本へ帰れる。今日は先頃訪問したオランダ報告のPart Iです。

オランダの冬は長く風は冷たい。海岸線は長く、地面は海面より低く、無数の運河が交錯し、水に脅かされ続けてきた。アムステル川にダムを作って人が住み始めたのがアムステルダムだというが、「地球は神がお造りになり、オランダはオランダ人が造った」とは本でも読み現地でも聞かされた。水、風等の自然との戦いを通して忍耐力を培い、対策や予測のための学習を通して自信と楽観性を身につけたオランダ人は、日本を始め多くの国へ貿易にも出かけて行った。第二次大戦中、ナチスに追われるユダヤ人たちを匿う優しさも持ちあわせていた。

P3220140

風車とチューリップで有名なオランダは北海に面した小さな国、面積は日本の9分の1だ。ネーデルランド(低い土地という意味)とも言われ、国土の4分の1は海抜ゼロ以下だそうだ。正式国名はNetherlands、複数だから「ランド」ではなく「ランズ」である。しっとり美しい運河の水際通りを歩いたり、運河の舟から台形や三角形の独特の屋根、美しく頑丈な建物やハネ橋を見上げると、箱のようなビルが並ぶ東京の町並みなど虚しく思える。人々がまた素敵だ。忍耐強く、明るく、大胆で勉強心がある。なぜだろう。

風車が考案されたのは低い土地から滲み出す水を吸い上げるためだったが、後には工業に利用した。風車で有名なザーンセ・スカンスにはかつて1000基の風車があり、世界初の工業地帯を誇ったが現在は13基、産業の現役として観光用として活躍している。(彩の渦輪)