あけぼの

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陽子さんの素敵なお店、Tama Cafeへ!カラオケも楽しめま~す!

2014-07-30 17:52:52 | まち歩き

Tamacafe_001  Tamacafe_003 キャプション: 最初のこの客たちがビジネスの成功を齎しまように!

 Tamacafe_002陽子さんがTama Cafeを立ち上げた。結婚式の司会業をしていたので話術も巧み、料理もお上手、バックパッカーでもありオールマイティーな美女、陽子さんは小川地球村塾の常連で、いつも「エプロン隊でいいですよ!」とサーヴィス係を引き受けてくださる。陽子さんとはオーストリア、バックパックの旅で偶然3回会ったのだった。ザルツブルグの丘の上で1度、次にウイーン西駅の近くのホテルに「ここ、安そうだ!」と飛び込んだら陽子さんと彼女の親友の佳子さんが居た。彼女たちは日本からネットで予約して来たのだ。そして3度目。筆者がウイーンの街中をぶらついていた時、陽子さんたちが我々を見つけ、乗っていた市電を飛び降りて追っかけて来てくれたのだった。この3回とも全く打ち合わせ無しの偶然だった。よほどご縁のあるお方たちだと、その旅以来ず~っと仲良しだ。

陽子さんの母上が最近亡くなられ、そのことが司会業からCaféや教室等、多角的ビジネスへの転機になったそうだ。「悔いの無い人生を送りたい!」と決意も新たに、懸命に船を漕ぎだした陽子さんを応援したい。Tama CafeJR横浜線、中山駅から徒歩34分。室内の建材は自然のままシャビーに仕上げられ、落ち着いた雰囲気で、ここで頂く陽子さんの手作りランチもコーヒーも特別美味だ。教室として貸す部屋もあり、講演会も可能。すぐ近くにカラオケのお店もある。81日のTama Cafe開店に先立ち、景気付けに駆けつけたが、すっかりご馳走になり、カラオケにもつきあって頂き、楽しい1日だった。(彩の渦輪)

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早朝の30分速歩き:矢川・根川の情景

2013-06-02 12:11:10 | まち歩き

Dscf6327 Dscf6325 右腎臓と尿管摘出後、主治医のお勧めは「30分早く起きて速歩しなさい」だった。腰痛がひどくて5か月間ままならなかったが、最近中米のベリーズに行き、カリブ海で泳いで以来痛みが薄れ、その後アメリカでも体調が良かったので、帰国後は「早朝の30分速歩き」を実行、大体Dscf6330朝の6時前後だ。我が家から国立六小前へ、一本柳を見上げ、「おはよう!」と挨拶、矢川沿いにちょっと歩くともう立川市だ。親しい星先生の家の前から青柳北緑地、そして根川緑地の萱やガマの繁茂した沼地を通ると緑地が終わり、続いて星先生の家の後ろを通ると矢川・青柳の雑木林が終わる。国立六小の前の大柳を再度愛でて「ではまた明日!」と挨拶する。筆者は若き日「怒りの葡萄」を読んで以来柳に特別の風情を感じる。

この時間に出会うのは4つ足君の紐の先にくっついている2本足のおじさんやおばさんだけ。時におじさんはチワワ君のうんちを拾い、チワワ君のお尻を拭いてあげている。ご主人は人間ではなくお犬様でござりまする。矢川や根川緑地に居るのは太った鯉、騒々しい鴨、時に白鷺、川辺には水仙や筆者が一番好きな花、紫陽花が咲き乱れる。ある朝、4:45、星先生が黒装束の寝巻でごみ捨てに出ておられ、「星先生、お早う!昨日はどうも!」と挨拶したが、「眼鏡かけてないので」とかなんとか小声で訳のわからないことをボソボソ言い、逃げるようにうちへ入られた。「あれ? 星先生は夜型だから人違いだったかな?」相撲の時期にはお邪魔して一緒に見せてもらいコーヒー・サーヴィスを受け、カラオケも一緒だったし、アメリカからスカイプするのも星先生、小川地球村塾皆勤賞の星先生だが、寝ぼけておられたのだろうか。その後、六小前で桑の実を拾っていたら夫、自悠人とすれ違った。「拾うのはよしとけ。犬のおしっこがかかっているぞ!」本日は夫はパナマで買った帽子、妻はコロンビアのだ。夫も筆者の30分速歩きを真似て早朝に歩くが、夫は歩幅が異なるので同じ時間帯に筆者の2倍の距離を歩く。散歩は夫婦別々にて御座候、異なる国の帽子がすれちがう早朝の矢川の情景でござりまする。(彩の渦輪)


国立は桜の名所、桜は散り際が良い

2013-03-28 09:24:26 | まち歩き

187 Photo  病院のツアーでブログご無沙汰。身体のどこかが痛むと「来たかな?!」と転位を疑うものなんです。大丈夫だったので、散り際の桜を満喫しました。先週末、一夜にして開花した桜は、中央線国立駅から大学通りへ、次に桜通りへ、そして矢川通りと我が家までZ状に並木が続く。風が無くしかも咲いてから気温が下がるという幸運に恵まれ、今朝もまだまだきれいだった。開花した日と変わらぬほど美しく静かな幽玄の境だったので、この逆コースで我が家から国立駅まで、散り際の醍醐味をたっぷり味わいました。(彩の渦輪)


民族衣装、カンドゥーラで街を闊歩した自悠人

2013-03-20 15:33:31 | まち歩き

Mar5102013a_055_2 Mar5102013a_096 無人メトロの駅は巨大な貝殻ドバイに立派なメトロが走っている。3年半前に開通した世界最長の無人電車だ。2路線あり、市内では地下を、郊外では地上を走る。金曜日は礼拝の日、メトロも午後2時からなので要注意だ。渋い金色で流線型の巨大な貝殻を被せたようなメトロ駅はかつてアラビア湾の真珠採取でこの国が栄えたことを物語っているが、日本の真珠養殖の影響で打撃を受けたそうだ。国際都市らしく乗客は外国からの労働者が多い。我々はこのメトロをよく利用し、適当な駅で降りては街を散策した。バージュ・ハリファの真下まで行き、世界一だと評判のドバイ・モールに感嘆した。思い出したのはメキシコシティーの巨大モール、だがそれ以上だ。楽しみ上手の夫は到着直後にアラブ男性用民族衣装、カンドゥーラを購入し、街を闊歩した。お洒落なサングラスのおかげでアラブの金持ちに見えなくはなかった。筆者も夫に合わせて手縫いのパキスタン衣装を纏った。服装の主が日本人と知ると現地の人は喜んで握手してくれた。異文化民族衣装を楽しむ旅人は気楽なものだが、夫と父以外には髪の毛と肌を見せてはならない女性たちは黒装束アバーヤから解放されたくはないだろうか、と気をもむことしきりだった。(彩の渦輪)


酷暑、残暑を愚痴らぬ傘寿 

2012-08-27 10:54:40 | まち歩き

Aug12_001 Aug12_003 傘寿ともなれば過去と邂逅したくなるものか。平々凡々の市井の筆者だが、現在、これといった病気もなく不自由なく暮らせる「幸せ」を感謝せねばならないと自覚している。毎日「暑い」などと愚痴っては罰が当たる。70年前の子どもの頃に返ったつもりでランニングに短パン、自転車でほぼ毎日2回、国立、府中間を往復する。距離にして12kmだ。絵を描いたりしてリラックスする。

子どもの頃はヤスと水鏡を持って裏のねじ川に魚獲りに行ったり、竿の端に蜘蛛の「イギ」(糸)を張って蝉捕りをしたりが夏休みの日課だった。獲った小魚はおやじが丸焼きにして食べていた。今から思えば唯一のカルシューム源だったのだろう。真っ赤になるほど足を「ぶと」(ぶよ)に刺されたが平気だった。それだけ夢中になって捕り物に集中したのだろう。お盆になると「生き物を獲ってはいかん!」とおやじに止められた。お盆は仏さまが来ている日で悲しまれるからだと。お盆も過ぎ20日ともなると朝夕の涼風と共に蝉が「ミーン・ミ-ン」から「ツクツク・ボ~シ」の声に代わり、秋が偲び寄って来て日中以外は涼味を覚えた。油蝉からみんみん蝉、そしてツクツク法師への移行で季節は忘れずにやって来る。夜から朝にかけて、秋の虫どもの声も聞こえるようになる。

地球温暖化と言っても真夏の気温は変わらないと思う。より暑く感ずるのは加齢とともに高温環境に耐える体力と精神力が減って来ているからではなかろうか。また情報過多で「暑い、暑い」と囃したてられるせいもあるだろう。昭和20815日の終戦記念日、あの日は暑かった。中学2年生だった。それから67回過ごした盛夏。酷暑、残暑、涼夏等、その時々の居住環境や体調、精神状態で暑さの感じ方も違っていたようだ。多忙で目いっぱい行動していた時期には「夏は暑いもの」と割り切っていた。それ以上に考えることがあったのだろうか、暑いと思った記憶が残っていない。「心頭滅却すれば火もまた涼し」だ。自分を取り巻く環境が暑さの所以ではなかろうか。(自悠人)